その11:筑糸橋

 稲叢高校→筑糸橋






 チャリを漕いで十五分弱。あたしたちは筑糸つくし橋に辿り着く。


 筑糸橋は筑糸川に架かるから筑糸橋。ここからちょっと下流に行けば矢田川と合流して、あたしたちがさっき居た白鳥湖がある那原なはら川になる。


 こっちの方まで来るときは車を使わないとだるいし、別にあたしはあんまり川に興味がある方じゃないし(川に興味がある女子高生ってなんかカッコイイ)、この辺はわざわざ寄るようなお店とかも無いからあんまり印象に無かったけど、チャリで来てみれば筑糸橋は結構長いってことがわかる。


 今、あたしたちがいるのは十字路の真ん中。県道74号線と434号線がぶつかる結構大きな十字路。看板に道の数字が書いてあるからたぶんそう。このまま真っ直ぐ進めば橋を渡って奥城市。右側に進むと筑糸駅の方に出るはず。あたしたちの家の最寄り駅から6駅も離れた場所に、チャリがあればこんなに手軽に来れる。結構疲れたし、電車に乗れれば乗るんだけど、乗れないから仕方ない。電車だと確か、鉄道橋とこの橋の間にでっかいパチンコ屋が見えるはず。この辺じゃ珍しい大きな液晶の掲示板が車窓から見えるようになっていて、めっちゃ繁盛してるのがそれだけでもわかる。田舎の娯楽なんてそんなもんだ。あたしの親も休日は入り浸ってるっぽい(勝ってくると夕飯が外食になるので恩恵が無いわけでもない)。


「どうしよう、もう奥城入っちゃう?」


 明科さんがきょろきょろ周りを見渡しながら訊く。


「別に見て回りたいような場所も無いよ」


 あたしはハンドルからつり下げたペットボトル(明科さんに持っていくべき! って言われて持ってきたペットボトルカバーに包んである。本当に持ってきて正解だった)のお茶をぐびぐび飲んで答える。少し上がっていた息が落ち着いてくる。


「そうだね。じゃあさっさと筑糸橋、渡っちゃおうか」


 あたしは急いでペットボトルを締めてハンドルにつり下げる……のも面倒だったから籠の中に投げ入れる。もう漕ぎ出してる明科さんの後を慌てて付いていく。ジャリジャリジャリジャリ。油の切れたチェーンがあんまり聞き心地の良くない音を立てる。ダンダンと、籠の中に入れたお茶が暴れてる。……なんかあんまり良くなさそうって思って、あたしは身を乗り出して籠からペットボトルを取り出す。あんまりチャリ乗り慣れてないから、ハンドル操作が覚束ない感じになったけど、なんとかハンドルにつり下げられる。別にこうしたからってお茶が泡だらけにならないわけじゃないんだけど。重さのあるペットボトルがチャリに当たって邪魔じゃないことも無いんだけど。気持ちの問題だ。ふぅ……と息を吐いて、横を見る。


 筑糸川が、ちょうど真下に見えた。


 あたしは右手と左手のブレーキを引き絞ってチャリを止める。


「明科さん!!」


 あたしはもう結構距離が離れてる明科さんを、叫んで呼び止める。


 明科さんはチャリを止めて振り返り、「なにー!!」って叫ぶ。「こっちー!!」ってあたしは叫び返す。「なにー!!」明科さんはUターンして戻ってくる。「川ー!!」ってあたしは叫び返す。チャリから降りて車道の真ん中に停める。手すりの向こうを指さして「川ー!!」また叫ぶ。明科さんが戻ってきて、あたしのチャリの前にチャリを停める。


「川がどうしたんだい広丘さん」


 明科さんはめっちゃ微妙な表情であたしの隣に並ぶ。


「川だよ明科さん!」あたしは言う「だって筑糸川ってあんまりちゃんと見たこと無くない?」


 そう言っても、明科さんは微妙な顔をしたままだ。


「川見る趣味無いもんなぁ。それに」明科さんは向こうの方を指さす。「これあっちまで流れたら那原川になるんだよ? さっき那原川の河川敷にいたときは広丘さん全然川に興味なさそうだったじゃん」


 あたしは痛いところを突かれてぐぬぬ……って顔をする。


「で、でも……、橋から見下ろす川だよ! それはなかなかオツなもんだよ! 風も気持ち良いし!」


 びゅうううと、あたしの言葉に応えるみたいに強い風が吹く。


「めっちゃ寒い」「寒すぎる」あたしたちはコートの肩のあたりをさすさす擦りまくる。さすさす、さすさす。風も弱くなってきて、あたしはことだま? ってやつが本当は恐ろしいものだったってことを胸に刻み込んだ。


「でもホント、筑糸川のこと、そういえばあたし全然知らないなぁ」


 別に全然身近な川じゃないんだけど、電車とか車で奥城に行くときは絶対に渡るし(車だとルートが変わると那原川になるけど)、でもこれっぽっちも身近な川じゃないって言うと微妙な川だ。


「川に詳しい女子高生がいたらカッコイイのにね」


 明科さんはそう言って手すりから少しだけ身を乗り出して川を覗き込む。


「明科さんあたしと同じこと思ってる!」ってあたしは言う。明科さんは顔を上げて、何とも言えない味のある表情であたしを見て、苦笑いする。「私、広丘さんと感性が同じタイプじゃないって思ってたんだけど」明科さんは言うけど「でもあたしも同じこと思ったもん」あたしは嘘を言ってるわけじゃないからちょっと強気に言う。「あたしは嬉しいって思う!」明科さんはやっぱり微妙な表情で「カッコイイと渋いで迷ったんだけど、渋いの方が私っぽかったかもしれない……」とか言う。「もしかして、あたしと一緒だとアホっぽいとか思ってる……?」あたしはちょっと腑に落ちないから訊く。「うん」明科さんはイイ笑顔で頷く。「でもまぁ言ったことは取り消せないから、アホっぽいのはもうしょうがないかもしれない」「アホっぽくない!!」あたしたちはケラケラ笑った。


 ひとしきり笑って、明科さんはまた手すりから身を乗り出して川を覗き込む。あたしも真似してみる。筑糸川、あんまりキレイな川ってイメージは無かったけど、こうやって遠くから見てる分には結構キレイ。青と緑の中間っぽい色で、流れは結構速い。風が吹いてるからにおいは結構曖昧だ。でも海じゃないんだから川ににおいなんてある? って思ったけど、臭い川は結構臭い。家の近くを流れてる堰が、夏に水量が少なくなるとめっちゃ臭い。って思ったけど川と堰はまたちょっと違うのかもしれない。明科さんに訊いてみようかと思ったら、明科さんはキョロキョロ奥城側の河川敷のあたりを見ている。ちょっとどうでも良いことは聞きづらい雰囲気。「なんかあるの?」関係あることを訊いてみる。「や、何も無いよ」明科さんはどうでも良さそうに答える。「なんか面白いもの無いかな」あたしもキョロキョロ見てみる。


「あっ!!」


 あたしは思わず大声を出してしまう。やばっ! って思った時にはもう大声出した後で、明科さんはめっちゃびっくりした顔であたしを見てる。あたしはもう遅いのわかってるのに、両手でくちを塞ぐ。


「なんかあったの」


 明科さんはめっちゃ真剣な顔であたしを見てる。ちょっとピリピリしてる雰囲気がめっちゃ伝わってきたから、あたしは「違うの」ってすぐに答える。「違うって?」明科さんはあたしが言い終わる前にもう言ってる。「思い付いたの、目指す場所」あたしは慌てながら、でも誤解を与えないように、ちゃんと言う。明科さんはめっちゃホッとした表情を一瞬だけ見せて、「どこに行きたいの?」って、今度はこっち側の河川敷のグラウンドのあたりをキョロキョロ見ながら訊く。


「筑糸川の上流を目指してみるのです!」


 あたしは言う。


 結構名案じゃない!? って思ったのに、明科さんは「それマジ!?」って顔をしてるし、言ってる。


「だってだって、一番身近かもしれない結構大きな川だよ。それがどこから流れてきてるのかって結構気にならない? あたしは気になるよ」


「いや、そりゃ広丘さんはそうかもしれないけど」明科さんは少し困った顔をして言う。「でも広丘さん、中学のとき行かなかった? 六雲台むくもだい。北中は行ったんだけど」


「あ、南中も行った覚えある! 一年のときにキャンプで!」


「だしょ? なら過去の広丘さんがその目的を達成してくれてるよ」


「えっ!? なんで過去のあたしが!?」あたしはびっくりして訊いてしまう。


「なんか大きな池? があったでしょ。なんとか池。それ筑糸川だよ」


「えっ」あたしは愕然とする。「あれ、これ」あたしは筑糸川を指さす。「これの上流なの」


「うん」明科さんは真顔で頷く。


「でも、透明度が」


「途中に何個かダムがあったりするし、上流と下流で透明度違うのはそうじゃない?」


「いや、じゃあどんどんキレイになっていく川を見ることが……?」


「ずっと登りだぞ!? とんでもない山道をくねくねくねくねしながら登っていくんだぞ!? 私たちの移動手段、今んところチャリだぞ!? 死ぬぞ!?!?」


「あたし死にたくない!」死ぬなんて言われたらさすがのあたしでも前言撤回をせざるを得なかった。「山の方はもう雪降ってるかもしれないしなぁ」それはあたしを黙らせる最後のダメ押し情報だった。「知らんけど」「知らんのかい!」あたしが突っ込めば、明科さんはわはわは笑い始める。癪だから前言撤回を撤回する高等テクを披露しようかと思ったけど、さすがにチャリで山道を登るのが現実的じゃないことくらいあたしもわかってたから、ここは黙っておくことにした。でも残念っぽさを演出するためにほっぺを膨らませておいた。つんつんされた。「広丘さんめちゃかわ」「かわいくねぇし!」かわいくねぇし!


「さて、じゃあそろそろ休憩終わりにしよ」明科さんは「よっこらせ」なんて言いながらめっちゃだっさいことで評判のピンクのママチャリに跨がる。別に休憩のつもりは無かったんだけど、「そだね~」なんて答えながらあたしも薄い黄緑色のママチャリ(これも相当だっさいと評判)に跨がる。「レッツゴー!」って言いながら、明科さんが出発する。「おー!」あたしもそれに続く。チェーンをジャリジャリ言わせながら、あたしたちは300メートルくらいある橋をどんどん渡った。明科さんは立ち漕ぎして結構スピード出してるけど、めっちゃキョロキョロしてる。


 たぶん、稲叢高校を出発してからずっとしてる。


 職員室の給湯スペースでカップ焼きそばの容器を見付けたとき、明科さんは言った。


「出よう、広丘さん」


 あたしのコートの袖を掴んで、明科さんはほとんど走ってるくらいのスピードで歩いて、あたしをチャリを乗り捨てた校庭まで連れ出した。


 その時、明科さんはひとが隠れられそうな場所をめっちゃ避けながら歩いていたのは、あたしの気のせいじゃないと思う。隠れられそうな場所だけじゃなくて、ひとが住めそうな場所も。職員室には給湯スペースがあるから、カップ焼きそばとかカップ麺とか用意出来る。でも、たぶん寝たりするのにはあまり適していない。来賓用のソファとかは革製でめっちゃ座り心地良いけど(一回だけ座ったことがある)、別に寝るために使ったりはしないと思う。だとしたら保健室だ。明科さんは保健室を通る廊下を明らかに避けてた。校庭に出るにはそっちを通った方が速いのに、そうはしなかった。


 校庭に乗り捨てたチャリを拾って、あたしたちは高校を出た。


 明科さんはずっと厳しい顔をしていた。


 あたしは、そんな明科さんに声を掛けられなかった。


 橋を渡る前にコンビニに寄った時も。明科さんは焦ってるみたいだった。食にこだわりが無いにしても、飲み物と軽食とかおやつを選ぶスピードが尋常じゃなかった。あたしは優柔不断な方だから、こういうのってめっちゃ時間掛けちゃうんだけど、もう外に出てチャリに跨がってる明科さんがキョロキョロ周りを厳しい顔で眺めてるのを見たら、さすがに長居しようとは思えなかった。手当たり次第飲み物と食べ物を取って、急いでコンビニから出て、チャリに跨がった。「行こうか」って明科さんが言って、あたしは頷いた。それから少しチャリを漕いで、ちょっと裏道っぽい道をわざわざ通って、筑糸橋の前まで来た。


 明科さんは言った。


「どうしよう、もう奥城に入っちゃう?」


 って。


 あたしはちょっとパチンコ屋に寄ってみたい気持ちがあったけど(未成年が入れない場所に制服で入ってみるのがちょっと楽しそうだと思った)、でも明科さんの様子を見てたら、とてもじゃないけどそんな提案は出来なかった。もっと気楽にあれこれ見て回りたいって思ってたし、チャリで奥城行くなんて経験は無かったから、めっちゃ楽しい道中になるんじゃないかってめっちゃ期待してたけど、そうはならなそうな雰囲気で、でも息苦しいのも嫌で、だからあたしはわざわざ橋の真ん中で明科さんを呼び止めてしまった。怒られるかもしれないって、あたしは結構ビクビクしてたけど、でも話し掛けてみたら明科さん案外普通で、でもあたしは喜んで良いのかわからなかった。なんだろう。明科さん、結構話し掛けるなオーラ出てたから、拍子抜けしたのかな。だったら普通にしていてよ、って、あたしは少し思ってしまった。うん。たぶんこれはあたしのワガママだ。


 だって、あたしと明科さん以外に、ひとがいるかもしれない。


 あたしたちは二人きりになったと思っていた。他のひとがいるなんて考えもしなかった。明科さんがどう考えていたのかはわからないけど、少なからずそう考えていたから、こうしてめっちゃ焦ってるんだと思う。どれだけのひとがいるのかわからないけど。誰がいるのかもわからないけど。たぶん明科さんは、そのひとたち(一人かもしれないけど)と関わりたくないって思ってる。あたしも出来れば、関わりたくない。だって、あたしたちはあたしたちをシカトする世界にやってきて、それでこうして二人だけになって、少なからずホッとしていたはずだ。あたしも明科さんも、他人とは関わり合いたくない。そういう話は、今まで何度もしてる。あたしたちは関わってるけど、でも、たぶん今は試用期間みたいなものなんだと思う。だから明科さんは最初に言った。「少なくともどうしたら良いかわかるまで、一緒にいようよ」って。それでダメなら、バイバイしようよって決めた。あたしたちはバイバイするかもしれないのだ。もし、互いの意見とか主張が噛み合わなくなってしまったら、そうするって決めたのだった。


 その前提が崩れるかもしれない。


 あたしはもちろんビックリしたけど、でも、明科さんほどは焦っていない。明科さんが焦ってるの見たからかもしれないけど、でも、明科さんがそこまで焦る理由はわからない。訊いてみれば良いんだと思う。でも、それを訊くのは怖い。今更それ訊く? みたいな顔をされるんじゃないかって、あたしは思ってる。別に、あたしだって他のひとがいるかもしれない状況を喜んでるわけじゃない。面倒だなって思う。でもそうなったら、関わらないように動けば良いって思ってる。顔を合わせてしまうシチュエーションに怯える必要は無いって思ってる。それに、あたしたちはまだあたしたち以外のひとに会っていない。それはこれから会わないことを保証しないし、たまたまめっちゃ運が良かっただけかもしれないけど、そうだとしても、めちゃくちゃ大勢の透明じゃないあたしたちと同じ人間がいるとも、やっぱり思えない。それなら一人くらい会っていてもおかしくない。あたしたちは別に、人通りの少ない道を選んで通ってきたわけではないのだから。


 そう言ったら、明科さんは暢気だって言うだろうか。


 わからない。


 少なくとも、今あたしはそれを訊こうとは思っていないから、わかりようが無い。


 どうして明科さんはそんなに焦っているんだろう。


 何にそんなに怯えているんだろう。


 あたしにはわからない。


 先を走る立ち漕ぎする明科さんの背中は、あたしの頭の中の疑問には、当然だけど答えてはくれない。


 そんなことを考えてる間に、あたしたちは筑糸橋を渡り終えた。





 筑糸橋→奥城市

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