第2話 とある傭兵は異世界人の世話役になる

 俺が生まれたルードニア公国は、昔から戦争に巻き込まれてきた、大国と大国の間にある小さな国だ。当然と言われればそれまでであるが、農業を経営する者も服飾関係の仕事をする者も飯屋も医師も、能力の差はあれど誰もが戦うために必要な武器を持ち、その能力を身につけている。健康な国民全員が15歳で徴兵され19歳までは兵学校で基礎訓練を受けるのだ。どこの国の属国にもならず、大国に挟まれてなお独立国家として存続しているのは単に戦闘民族という理由からだけではないが、それは割愛しよう。

 ちなみに俺は正規軍には入隊せず傭兵ギルドに加入している。少しばかり肺が悪い俺は正規軍入隊の条件を満たせなかったのだ。だからと言って他にやりたいこともなく、身寄りがなかった俺はギルドに入るしかなかったというわけだ。

 19歳でギルドの門を叩いてから約20年。20代半ばを過ぎた頃から仕事が忙しくなってきて、あれこれと他国に出向く依頼をこなしている内にもう38歳になってしまったが未だ独り身だ。今、俺の前で骨付き肉に噛り付いている女も仕事が忙しくて独り身なのだという。


 結局あれから女の身柄を拘束して傭兵ギルドまで連れてきた俺は、とんでもない厄介ごとを背負うことになってしまった。

 俺が比較的丁寧な口調で女に同行を願うと、立場をわきまえているのか女は抵抗することなく俺の言葉に素直に従った。念の為に身体拘束の護符を使ったのだが、女は何故かその護符に興味津々ではしゃいでさえいた。更には俺があからさまにあきれ返ると「魔法を初めて見たのよ! 」と興奮を隠すことなくにこりと笑った。

 俺の予想通りこの女 –––– レン・アリシナと名乗る自称ケイサツカンは、異世界人であった。この世界の者ではないので時空を超えてきたことには間違いないはずだったが、本人はそのことについてはわからないと一点張りだ。考えるに、レンは『ニホン』という国から何らかの力によって飛ばされて来たらしい。らしい、というのはレンも俺もそこらへんの事情をよく知らないからだ。


 入国管理官たちを待ち、傭兵ギルドでレンの身柄を預かる間にギルドマスター直々に尋問が開始されたが、レンは臆することなく「女神様が私の願いを叶えてくださっただけだから、どんな風にとか何の魔法を使ってだとかは女神様にしかわからないのよ」と素直過ぎるほど素直に答えた。その願いってやつが「いい男を探しに来た」というのだからふざけているとしか言いようがない。邪神像のように禍々しく厳ついギルドマスターの気迫をものともしないレンは、悪びれもせずに「尋問なら私も得意なの」と笑ってさえいる始末だ。

 しかし、レンが『女神様』と口にした瞬間、ギルドマスターが奇妙な顔になり「確認する」とだけ言い残してこの場を俺に任せて調べ室から出て行ってしまった。そしてしばらくして戻って来たと思ったら「大切な客人なので丁重にもてなせ」とご命令された。


 何故か俺に。


 そんなに大切な客人なら国総出でもてなせよと突っ込みたかったが、逆らうのは得策ではないのでぐっと我慢する。特別手当てくらいつけて欲しいところだが、要するに拾った者が責任を取れというところなのだろう。

 ギルドマスターから丸投げされた俺は、これからしばらくの間『レン・アリシナ』という異世界の女をもてなさねばならなくなってしまったというわけだ。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇




「リューさんは食べないんですか? 」


 ギルドの食堂はもう開いていなかったので、先ほどの酒場に戻る肉を食べたいというレンの為に甘辛いタレに漬け込んだ骨付き肉を頼んでやった。どうやらこの骨付き肉はレンの住む『ニホン』では空想世界の料理らしい。「マンガ肉! 」と喜んで噛り付いたレンは、にこにこしながらお酒で流し込んでいる。ルードニア人は度数の低い発泡酒を好む傾向にあるが、レンは異国の度数の高い火酒をガバガバと飲んでいた。


「リューさんではない、リュディガーだ」

「ニホン人には難しい発音なんですよ……りゅでがー・はうるしてひさん」

「リュディガー・ファウルシュティヒだ」

「りゅでぃがぁ……はう、ふぁる」

「……いやもうリューでいい」


 特別発音しにくい名前だとは思わないが、レンは言いにくそうに噛みっ噛みの発音しかできないようだ。

 酒を飲む前に本人は27歳だと言っていたが、その振る舞いや言動から多分本人の言う通り成人しているのだろう。『ニホン人』は寿命が80年くらいしかないとのことで、少なくとも150年は生きる俺たちからすれば短命である。これを聞いた俺は「いい男を探しに来た」というふざけた理由を真面目に説明したレンの気持ちも分かるような気がした。のんびりしていては伴侶を得られないまま人生が終わってしまうのだから、それは必死にもなるというものだ。


「リューさんといいさっきのイケおじ様といい、この国の男の人っていい身体してますよね。ここを選んでよかったわ」


 ちなみに『イケおじ様』とはギルドマスターのことだ。恐れることすらなく生ける邪神像なギルドマスターにあだ名とは、やはり異世界人なのだなと妙なところで感心してしまった。


「あんた、本当は女神様ってのに何てお願いしたんだよ」

「私好みの男性がたくさんいて、選び放題なところがいいって言いましたよ? うちの会社の男なんて早婚で、仕事を覚えてそれが楽しくなってきた頃には皆結婚しちゃってるんですよね。一般人だと敬遠されるし、仕事は辞めたくないし」


 だからといって異世界で相手を探すなどとは普通だったら考えつかんぞ。俺も人のことを言えた義理じゃないが、もう少し分別ってもんを持っている。そもそもその女神様も女神様だ、余計な仕事を増やしやがって。


「だから、探していたんです。前にこの世界を覗いた時に見かけた、気になる人のことを」


 骨付き肉を食べ終えて満腹になり、酒も入ったところで酔いがまわってきたのだろう。レンの目がトロンとしてきたかと思うと、艶っぽく俺を見つめてきた。


「リューさんは、イケおじ様みたいに素敵な女性がいるんですか?」


 強面なくせにかなりの愛妻家であるギルドマスターは、見た目はともかく女性に優しい男だ。レンが無害な『時空旅行者』と判明してからまもなく、入国管理局で働くギルドマスターの奥方が入国手続きにやってきた。(夜中なのに手続きを行う辺り、レンには国家機密レベルの秘密があると予想する)

 この夫婦はルードニア公国でも有名な万年蜜月っぷりで、出会い頭の情熱的な抱擁からのいちゃいちゃ連鎖に、レンは心底羨ましそうな顔をしていた。情熱的なルードニア人全てに当てはまるかと言われればそうとも言い切れないが、蜜月期間のルードニア人を見た他国の人はたいがい驚く。酒場でもちらほらと各々の愛しい女性に愛を囁く屈強な傭兵の姿が見られ、それを見るたびにレンは大きな溜め息を吐いていた。


「あのなぁ、ルードニア人にとって『伴侶』ってのは特別なんだよ。俺らの中に流れる血が騒ぐっていうかな、自分の背中を預けられる伴侶を探し出して、一生を添い遂げるんだ。俺に身を焦がすような相手がいたら、あんたの世話なんか出来ねえって」

「ふふふ……そうですよね」

「なんだよ、嬉しそうに」

「一度でいいから、そんな風に激しい愛に身を任せてみたいものだと思って」

「そ、そうか……まあ、頑張れよ」


 このどこか冷めたようなレンにそんな願望があったとは驚きだが、いい男を探して異世界に来るぐらいの気概の持ち主だ。もしかしたら『ニホン』って国の男どもは淡白なのかもしれない。火酒の入ったグラスをカラカラと振りながらレンが俺を見上げた。


「ねぇリューさん、ルードニアの男性は女性の意見をちゃんと尊重してくれますか? 」

「ああ? なんだよいきなり。まあそうだな、好いた女の願いを聞けない奴はいないな。この国は女だって男と同じ戦士だし、普通に外の仕事もするからよ。お互いを尊重出来ねえ奴は信用もねえってルードニアでは言うぜ」

「そうですか。私もこの国に生まれていれば仕事と恋愛が両立できたのかしら」


 くいっと残りの火酒を飲み干し空のグラスを指で弾くと、レンは哀しそうな表情を浮かべてドキッとするような視線を俺に送ってきた。柄にもなく顔が熱くなるが、レンから目を逸らすことができない。


「貴方に愛されるひとはきっと幸せでしょうね」

「さあね、どうだか。俺は仕事に没頭している方が性に合っているんでね。俺を狂わすくらいにいい女がいるなら……逢ってみたいぜ」


 例えば目の前にいる女 –––– レンはいい女だ。出会って間がないというのに、その声は俺の心の琴線を掻き鳴らし、その瞳は俺を惹きつける。常識的に考えて厄介でしかないはずだというのに、レン・アリシナという女のことを知りたいと思えるくらいには俺はレンに興味がわいていた。


 レンがもしこの国の、この世界の女であるならば、俺は……。


 いや、だから何だというのだ。レンの事情がどうであれ俺には関係のないことだ。根っからの傭兵で、女よりも仕事を選んだ俺にはまったく関係のないことなのだ。それに国も文化も世界も寿命すらも異なるレンと俺、いや、ルードニア人ではうまくいくはずがない。


「リューさん? 」


 考え込んでしまった俺に、視界に相変わらずトロンとした瞳で見上げているレンが映り込む。


 くっ、無防備だ、この女、無防備過ぎる。


「何だよ、眠いなら起きているうちに宿に連れて行くぜ」

「あら、抱っこして連れて行ってはくれないんですか? 」

「ばっ、馬鹿かあんたは! 大人だろうが、自分の足で歩けよ」


 理解して言っているのではないのだろうが、それにしたって計算されたような言い方だ。商売女ならまだしも、善良なる異世界人のレンを騙すようなことができるはずもない。しかもギルドマスターから世話を任されている立場としては、情に流されるわけにはいかなかった。


「ケチ。そんなに素敵な筋肉があるのに」

「この素敵な筋肉は戦うためにあるんだよ。ほら行くぞ……あんたと違って俺は明日も早いんだ」

「はいはい、従います。どうもご馳走さまでした」


 渋々だが確かな足取りで席を立ち出口に歩いていくレンに俺は盛大な溜め息を吐いた。どこまでが本気でどこまでが遊びなのかわかりゃしねえ。


 それから宿までの道のりはレンは静かだった。俺の隣を黙って歩き、時々空高く上がった月を見ては物思いにふけるように遠くを見ている。そういえばレンは月が好きなのだろうか。初めて聞いた言葉も「月が綺麗ですね」だったことを思い出した俺はあり得ないことを考える。

 

 レンはあの月から来たのだろうか。

『ニホン』とはあの月にある国なのだろうか。


「なあ、あんた、あそこから来たのか? 」


 俺は月を見上げて試しに聞いてみた。月には天女だが天使だかが住んでいるという御伽噺おとぎばなしを思い出した俺は、馬鹿馬鹿しさに首を振る。レンが天女だとは、あまりに肉感的でむしろ小悪魔にしか見えない。


「まさか! 月は月です。綺麗な月です」

「意味がわからん。そういえばあんた、あの酒場で何していたんだ? 気味悪い視線なんざよこしやがってよ。一瞬暗殺者かと思ったぜ」

「酷いわ。私の熱烈な視線を気味悪いだなんて……良さそうな人を探していただけじゃないの。皆いい身体だったから目移りしちゃって、せめて暗殺者じゃなくて、愛の探求者って言ってくださいません? 」

「なんだよそれ。あー、はいはい、愛の探求者レン・アリシナさん。それで、あんたのお眼鏡に適う奴はいたのか」

「ええ、まあ……いましたけど」


 何だよ、面白くない。

 一体どこのどいつだ?


 レンが俺だけを見ていたわけではないと知ってあまりいい気はしない。しかもちゃっかり目星をつけているようなレンに言いようのないいらつきを覚える。


 どうしたんだリュディガー?

 らしくない、まったくらしくない。


「あんたなぁ……いくらケイサツカンとかいう仕事をしてたって女が一人で酒場なんかに行くもんじゃねえぞ」

「酒場には一人でなんか行ってませんよ? ここに来る前に女神様が少しだけ覗かせてくれたんです。ここに決めたって言ったらあの裏通りに飛ばしてくれました」


 女神様の能力に空恐ろしさを感じるが、『ニホン』の高名な術者か、本当に神様の類いに違いない。


「俺にはいきなり目の前にあんたが現れたように見えたんだが」

「そうですよ。いきなりあそこに飛ばされたんです」


 なるほどな、どうやら嘘をついてはいないらしい。


 あの時視線の正体を見破ることができず、突然目の前に立っていたレンの気配に気が付かなかった理由はこれだったのだ。俺の腕が鈍ったわけではなかったのでよかったのだが、ますます女神様とやらが恐ろしく感じられる。


「あんた、会ったのが俺でよかったな。この国には血の気の多い奴やろくでもない奴もうじゃうじゃいるんだ……ましてや酒が入るとろくなことにならねえ。夜中に街をうろつくなよ」

「だっていい人を探すんですもの。ジッとしていても出会いはありませんし……でも私、リューさんに出会えてよかったわ」


 そんなに嬉しそうに言うなよな!


 レンの屈託のない笑顔に俺は柄にもなく照れそうだったので、気付かれないようにそっぽを向く。


「あんた、いつ帰るんだ? 」

「とりあえず明日と明後日と明々後日は仕事が休みですから、明々後日の夜には帰れるはずです……多分」


 なんともあやふやだが、俺にはレンの事情に関与できない。多分女神様とかいう不思議な存在が、来た時と同じようにレンを元の世界に飛ばすのだろうが、不安が残る。


「あんたが自分の世界に帰るまで俺が面倒見てやるよ。どうせギルドマスターからも命令されてるしな」


 俺の言葉にレンが顔をしかめる。

 なんだよ、そんなに俺が嫌か。


「うわー……縦社会の弊害がここにも。命令って嫌ですよね、なんだかごめんなさい』

「 い、嫌じゃねえよ。珍しい体験だからな……あんたが『いい人』を見つけられるようにしてやるから安心しな! 」


 3日間だけだからと俺は腹をくくったが、久々の高揚感に気分はよかった。ただし、深入りしてはならないと警鐘は鳴り響いている。

 レンは異世界の住人だ。

 結局は住み慣れた世界の住み慣れた街で相応しい相手を見つけた方が幸せになれると気が付くに違いない。


 だから深入りは禁物だぜ、リュディガー。


 レンを知れば知るほど甘い誘惑に絡め取られそうで、やはり自分もルードニアの男なのだと今更ながらに思い知らされる。


 だが、しかし。愛する者をこの腕に抱くことが出来たならば、どんなに幸せなのだろうか。いや、駄目だ。それを知ってしまえば手放せなくなってしまう。


 目の前を足取りも軽やかに歩いていくレンを見ながら、俺はほころび始めた口元をキュッと引き締める。独りで生きていくために封印した感情が、突然やって来たレンによってあっさりと溢れ出してきそうになりながらも俺は必死にそれに抵抗した。


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