第六話:鳩宮さんとその仲間たち

「懐かしい匂いがするじゃねぇか」


 上野には大勢の鳩が住んでいる。

 そんな中から鳩宮さんの知り合いとやらを探し当てる事が出来るだろうかと不安はあったが、運よく杞憂に終わった。

 探索開始から程なくして、不忍池弁天堂の軒下に屯していた鳩たちの一羽から突然声を掛けられたのだ。


 閉じた右目に深い切り傷跡のある、隻眼の鳩であった。


「この匂い、隊長のものだな」


「隊長?」


「ああ、鳩宮隊長のものだ」


 そう言って隻眼鳩が俺の肩に乗ると、アフロの中に嘴を突っ込んだ。


「間違いねぇ。兄ちゃん、隊長は今どこにいる?」


「それは……」


「いや、その前にどうして兄ちゃんの頭から隊長の匂いがするのか聞こうか。答えによっては」


 俺を睨みつける隻眼鳩の左目がギラリと光る。

 俺は生まれて始めて鳩に恐怖した。





「そうか、隊長はまだ人間の為にそんなことを……」


 俺は包み隠さず話した。

 当初、軒下にいたのは十羽足らずだったが、いつの間にかその数倍の鳩が集まっていた。


「ああ、だけどその鳩宮さんがいなくなってしまったんだ。このままでは東京オリンピックの一部競技を中止、もしくは他国開催にしなくてはならない。それだけは避けたいんだ。だから」


「隊長の仲間である俺たちを探していた、と?」


 隻眼鳩が問い掛けながら、右の翼を口元へと伸ばす。

 この仕草、もしかして?


「お、気が利くな、兄ちゃん」


 俺が懐からタバコを取り出すと隻眼鳩はコクリと頷いた。

 口元の羽にタバコを一本置き、ライターで火をつける。


「ぷはぁ」


 それを嘴に咥えると、やがて満足げに煙を吐き出した。


「兄ちゃんよ、俺たちはな、かつては人間に飼われてた鳩なんだよ」


 遠い目をした隻眼鳩が語り始める。


「最初は軍の伝書鳩ってヤツさ。とんでもねぇ状態で、ひでぇ距離を飛ばされて大変だったなぁ、ありゃあ。で、戦争に負けた後は、何故か俺たちが平和の象徴とか言われてよ、ことあるたびにひと飛びする仕事が舞いこんできて、あれはあれで参ったもんさ」


 軍の伝書鳩!

 鳩宮さんの好々爺たる態度から相当な年齢だろうとは思っていたが、まさかそんな時代から生きていたなんて。

 鳩の寿命は10年ぐらいらしいから、これだけでも鳩宮さんたちが異質な存在なのが分かる。


「そんな過酷な労働状況に、別の部隊の仲間たちは次々と倒れていった。が、鳩宮隊長率いる俺たち第三小隊だけは誰一羽脱落せず、あの地獄を生き抜いたんだ」


 すぱぁと吐き出したタバコの煙が、奇麗な輪っかを作って浮かんでいった。


「隊長は凄い鳩だ。人間の言葉を話し、天候も操る。そしてその術を惜しげもなく、俺たちにも教えてくれた」


「やっぱり!」


 やはり隻眼鳩たちも鳩宮さん同様、雨雲を蹴散らす事が出来るんだ!

 しかもこの数! これだけいれば台風でもなんとかなるかもしれ――。


「だがな、それは俺たちが生き残る為に教えてくれたんだ。お前たち人間を救う為に教えてくれたんじゃねぇ!」


「うっ……」


「人間ってのは自分勝手な生き物さ。自分たちが闘う為に俺たちを使い、自分たちの自己満足の為に俺たちを酷使した。それでいて動物愛護団体から鳩の虐待にあたると非難され、その風潮が高まると、あっさり俺たちの飼育を放棄しやがった。俺たちの飼い主だった人間の、最後に言ってきた言葉を教えてやろうか? 『お前たちはもう用なしだ。どこにでも勝手に行け』だ」


「…………」


 隻眼鳩だけじゃない。その場にいる全ての鳩が俺を憎しみを込めた目で睨み付けているのが分かった。

 そうか。鳩宮さんの話をした時、『隊長はまだ人間の為にそんなことを……』と呟いた裏にはそんな事情があったのか。

 戦火の死線を必死に潜り抜け、終わる事のない重労働を繰り返し、その結果待っていたのは侘びの言葉でも、感謝でもなく、非情の解雇通知。

 これでは人間の為にもうひと働きしようなんて気が起きないのも当然だろう。

 

 だが!


「頼む! お願いだ! お前たちの力を今一度貸してくれ!」


 俺は土下座した。

 こいつらの気持ちは分かる。

 俺たちの世界だって、苦労が報われずに蔑みの言葉を無遠慮に投げつけられることがある。

 その言葉に「もうこんな仕事やめてやる!」と思ったことも少なくない。

 

 だけどそれでもこの仕事を今も続けているように、今回も諦めるわけにはいかなかった。

 なんとしてでも隻眼鳩たちの協力を取り付けないといけない。

 それが東京オリンピックを無事成功せさる為の必要条件、最後の希望だった。


「……兄ちゃん、顔を上げな」


 隻眼鳩の言葉に、俺は素直に従った。

 睨みつけてくる数十羽の鳩の憎悪が突き刺さる。

 それでも俺はじっと視線を隻眼鳩から離さなかった。 


「兄ちゃん、悪いがな、土下座なんかで俺たちの気持ちは変わらねぇよ。俺たちは人間が憎い。俺たちをボロ雑巾のように扱き使って捨てやがった人間を恨んでいる」


「…………」


「だから兄ちゃんから鳩宮隊長がいまだ人間の為に働いているのを聞いた時は驚いた。が、今のこの状況を見れば、隊長の考えも理解出来る」


 隻眼鳩がくっくっくと笑った。


「隊長は兄ちゃんたちに協力する素振りを見せて信頼させ、ここぞというタイミングで裏切ったんだ。そう、すべては人間への復讐の為。俺たちの悔しさを晴らす為に人間を」


「それは違う!」


 俺は思わず叫んでいた。


「何が違う?」


「鳩宮さんはそんなことをするようなヤツじゃない!」


「ほう。じゃあ何かい、兄ちゃんは鳩宮隊長が裏切ったとこれっぽっちも考えたことはない、と?」


「それは……正直に言えば、疑った。あんたの話を聞いて、やっぱりかとも思った」


 一瞬、どう答えるべきか言葉に詰まった。

 ここはノータイムで「当然だ」と答えるべきだったかもしれない。 

 だけど、隻眼鳩との会話で俺は自分の本心に気付いてしまった。

 そしてそれを包み隠さす話すことが、彼らを説得出来る唯一の方法だと思った。


「だけど、やっぱり俺には鳩宮さんが裏切ったなんて考えられないっ! だってあいつは……鳩宮さんはちょっとひねくれたところもあるし、迷惑をかけられたこともあるけれど、でも本当は影で俺を助けてくれていたいい奴なんだ。意地を張って鳩宮さんの力を借りずにいる俺を、何も言わずに黙って支えてくれていた! その鳩宮さんが俺を、俺たちを裏切る? そりゃあ人間に強い憎しみを持っているあんた達はそう思うかもしれない。けれど俺は鳩宮さんを信じる。あんたたちが何と言おうと、俺は鳩宮さんを信じている!」


 想いを一度口にしたら歯止めが利かなくなるぐらい、俺は興奮していた。

 そうだ、俺は鳩宮さんを信じたいし、信じている。

 それは俺の本心からの願望であり、決意であり、俺が俺自身であることの証明でもあった。

 

「ははっ、甘ぇな、兄ちゃん。そんな甘い考えで魑魅魍魎蠢く人の世を生きていけるのかい?」


「そういう世界だからこそ、自分が信じるものを信じるんだよ」


「甘いようで厳しい道だぜ、それは。俺たちみたいに結局は裏切られることもある」


「気象予報士ってのはな、他の連中が何を言おうと、自分の予測を信じきることが出来る奴だけがなれるのさ。外れるかもなんて態度を少しでも見せたら誰も信じてくれないだろう? 俺自身が信じきって初めて、周りも信じてくれるのさ」


「……だからお前のように隊長は裏切ってないって俺たちも信じろと?」


「そうだ。鳩宮さんはいいヤツだ。たとえ人間に裏切られた過去があっても、こんな形で復讐するような奴じゃない。それはお前さん達の方がよく分かっているんじゃないか?」


「…………ったく。なるほどな、兄ちゃん。


 不意に隻眼鳩がタバコを持っていた羽を広げた。

 と、同時に鳩の群れがサササーと二つに分かれる。

 そしてその群れの向こうから姿を現したのは……。


「ぽっぽっぽー、どうやら賭けはわしの勝ちのようじゃな」


「鳩宮さん!?」


 鳩宮さん! 鳩宮さんだっ!

 いつもなら奇麗に整えられた羽がところどころ毛羽立ち、こちらに近寄ってくる足取りもどこか覚束ないものの、間違いない、行方不明になっていた鳩宮さんがそこにいたっ!


「鳩宮さん、一体今までどこに行ってたんですかっ!?」


「説明は後じゃ、アフロ。それよりも鳩村、どうだ人間もまだまだ捨てたもんじゃないじゃろう?」


「はっ、また人間の為に飛ぶ日が来るなんて思ってもいませんでしたよ、隊長」


 鳩村というのは、どうやら隻眼鳩のことらしい。

 その鳩村が煙草を外へ放り投げると、俺をまじまじと見つめて言った。


「分かったよ、兄ちゃん。俺たちも飛んでやる。鳩宮第三小隊、復活だ!」

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