第三話 鳩宮さん、飛ぶ!

 次の日の夜明け前。

 俺たちは土砂降りの雨の中、部長が運転する車で横浜へと向かっていた。

 後部座席には俺……と、俺のアフロな頭に鎮座する一羽のハト・鳩宮さん。


「部長、マジですか? マジでこの鳩……鳩宮さんがどうにか出来ると信じているんですか?」


 俺は何度も繰り返した質問を、それでもしつこく投げかける。


「前線が停滞していて、今日は一日中こんな調子のはずですよ。それを快晴にしてみせるなんて、神様でもなきゃ――」


「アポロン、お前、子供の頃にこんな経験はないか? 昨日まで大雨だったのに、当日は雲ひとつない快晴で運動会が無事開かれたって経験を」


「え? まぁ、小五の頃に一回だけ」


「それを可能にしたのが、今、お前の頭の上に乗っている鳩宮さんだ」


 ええー? ウソくせぇ。


「ぽっぽっぽー、子供達の元気な姿が見たくてついやってしまうだけだよ」


 頭の上から鳩宮さんが照れるように笑った。

 てか、笑い声がぽっぽっぽーって。


「そんな鳩宮さんは私たちの業界では隠れた超有名人、いや、有名鳩だ。過去にも何度かお願いして、どうしても雨天中止に出来ない時にはご足労願っている」


「……マジかよ」


 だったら俺たちイベント気象予報士なんて必要ない、全部こいつに任せたらいいじゃねぇか……って、そういうわけにもいかないらしい。

 なんでも鳩宮さんは気にいった仕事しかしないそうなのだ。


「くっ、鳥類のくせに生意気な」


「何を言う。本来なら天候なんて自分たちの都合で操って良いものではないのだぞ。それをお前たち人間ときたら……」


 まったく人間の強欲さと来たらと嘆く鳩宮さん。

 昨日その強欲の権化である人間の金でたらふく飯を食ったお前に言われたくねーよ。


「ったく……分かった、分かりましたよ。で、一体どうやって天候を操る――」


「それは口で説明するより見た方が早いだろう。鳩宮さん、着きましたよ」


 部長が静かに車を停めた。

 山下公園だった。

 どしゃぶりの雨とあって車外に出るのは躊躇われたが、部長が傘を差して出て行くので俺も続く。

 鳩宮さんは相変わらず俺の頭の上でご満悦だ。

 大粒の雨が傘に跳ね返り、リズム感がまるでデタラメなドラムみたいな演奏を奏でていた。


「この雨だとベイブリッジがよく見えないなぁ」

 

 海に臨み部長がそんなことを言うので、俺も目を凝らしてみる。

 が、雨靄に煙り、ぼんやりとしか見ることは適わなかった。

 

「そりゃこの大雨では……って鳩宮さん?」


 不意に俺の頭が軽くなったと思うと、鳩宮さんがぱたぱたと羽ばたいて地面に降り立つ。


「アフロ、『雨の中を飛ぶ鳩はいない』って諺を知っているかね?」


 そして振り向きもせず、そんなことを言ってきた。


「そんな諺、聞いたことねーよ。てか、アフロじゃなくて太陽アポロン!」


「ふ、ならばアフロ、その言葉の意味をよく考えてみるといい」


この鳩こいつ、人の話を……えー、雨の日に飛ぶ鳩がいない意味ってか、んなの、雨に濡れるのが嫌でどっかで雨宿りをしてるんだろ?」


 確かに雨の中を飛んでる鳩って見た覚えがあまりないもんな……って、んん?

 鳩宮さんが首を前後に振るお馴染みの動きで、雨の中を歩き始める。

 動きそのものには何も変わった所はない。

 が。


「あ、あれ? なんか鳩宮さん、全然雨に濡れていないような……?」


 目の錯覚だろうか。

 ザーザーと降りしきる雨の中を歩いているというのに、その雨粒が鳩宮さんの身体に当たる瞬間にパッと消え失せ、その身体が濡れるのを防いでいるように見える……。


「これが鳩宮さんだ」


 部長が後ろから俺の肩に手を置いて囁く。

 信じられない光景に呆然として振り返ろうとするのを、しかし、続いて聞こえてくる鳩宮さんの声が許さなかった。


「ぽっぽっぽ。アフロ、『雨の日に飛ぶ鳩はいない』ってことを言い換えるとどうなる?」


「えっ、言い換えるとって……あ、まさか?」


「ふ、そうだ、そういうことだよ、アフロ君」


 鳩宮さんがその翼を力強く羽ばたかせて、大空へと舞い上がる。

 すると突然、まるでモーゼの海割りの如く、雨雲がぱぁと開けた!

 そこから顔を覗かせるのは朝日に照らされた、雲ひとつない抜けるような青空だ。


「ば、馬鹿なっ! 雨の日に飛ぶ鳩がいないってことは、つまり鳩が飛べば……」


「その通り! 平和の象徴であるわしらが飛べば、空はたちまち晴天へと変わるのだっ!」


 鳩宮さんがぽっぽっぽーと高笑いしながら、空を自由自在に飛びまわる。

 その度に雨雲が消え失せて、青空がどんどん広がっていった。


「こんな……こんなことがあって……」


「いいじゃないか、こういう不思議な力もあって。お、見ろよ、ベイブリッジがよく見えるぞ」


 部長の指差す方向に、朝日に照らされて輝くベイブリッジが見えた。

 そしてその付近を鳩宮さんが優雅に旋回している。


「ぽっぽっぽー、これで今日の試合は開催できるわい。見とれよ、ベイスターズ! 2017年の借りを返してやるんじゃあ!」




 かくしてこの年、鳩宮さんが応援する阪神タイガースは見事下克上を果たしてセリーグクライマックスステージを制覇。

 さらにその勢いで日本シリーズでも宿敵・千葉ロッテを全7戦トータルスコア・33対34と言う大激戦で制し、日本一に輝いた。


 優勝が決まった甲子園の空を、鳩宮さんが浮かれて飛び回ったのは言うまでもない。

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