第四十九話 報酬と代償

 王宮の一室。天涯付きベッドで目を覚まし最初に見たのは、傍らに座り、目を閉じ頭を上下に揺らしている眼鏡の女性だった。


 ビリーは、自分が死んでいないことを確かめるように、口を動かす。


「……

「―――ハッ!? ビリーさん!」


 その呼びかけに反応したのかは不明だが、いつものローブ姿ではなく、青のチュニックにズボンを履いた軽装のマコトが覚醒した。驚きと喜びが入り混じり乱れた吐息がかかる距離まで近づき、目は開いても、仰向けの状態から動けないビリーの額にそっと手をやる。


「熱は下がったようですね。痛むところはありませんか。吐き気や、五感に異常は―――そうだ、水をお持ちしま」

「落ち着け、勇者殿」


 嗄れ声で、ビリーが涙を溜めた瞳をいさめる。


「どれくらい寝てた」

「……十日ほど」

「なるほど。腹も減るわけだ―――というわけでだ、勇者殿」

「はい。実は、ディナが昨日こちらに来ているんですよ」

「それは丁度良かった。美味いものが食える」


 相変わらず濡れてはいたが、その目元に笑みを作ったマコトが一礼して出て行こうとする。と、扉が勢いよく開き、危うくぶつかりそうになる。


「あ! ビリー、目が覚めたんだ!」

「ちょっとピリス、危ないでしょう。ちゃんとノックくらいしてください」

「……お取込み中だった?」

「今ここに私の錫杖しゃくじょうが無いことを幸運に思ってくださいね」

「はい」


 マコトと色違いで揃いの服を着たピリスが、直立不動で返事をする。まるで普段は優しくも怒ると怖い姉に凄まれたかのようだ。


「でもチューくらいしたんじゃ」

「ピリス」

「まだしてないのぉ? 服はあんなに簡単に脱がせられるのに」

陽菜ひな

「あ、そうだビリー、鏡持ってきてあげよっか」

賀来がらい


 ついに元の世界の名前で呼び始めたマコトをそれでも無視して、ピリスがベッドまで駆け寄る。


「えへへ。ビリー、なんか顔に違和感ない?」

「ああ。身体と同じだ。どうにも、不自然に風通しがいい」

「ビリーさん。服は確かに私ですが、顔の方はそこのピリスと、ジュンヤさんがやったのですよ」

「髭よりも服の方がまずいと思うんだがな」


 言いながら、ビリーは随分と涼しくなった顔を撫でようと、左腕を動かす。が、上手くいかないので、改めて右手で確かめる。


「―――ほう、久しく忘れていた感触だな」

「剃った方が良いって思ってたんだけど、これは予想以上の化けっぷりだったよっていだだだだ」


 得意げに喋るその頬をつねるビリー。


ジュンヤじっこうはんを連れてこい」


 ふぁい、と、情けない返事をして、ピリスがとぼとぼと出て行く。それを見送り、マコトが言う。


「あまり怒らないであげてくださいね。峠を越えたのがつい三日前。本当にみんな、喜んでいたんですから」

「喜び余ってやった悪ふざけということか。勇者殿も、それを止めなかった、と」

「……私も頬を差し出せばよろしいでしょうか」


 そのあまりにも実直かつ天然な発言に、傷口が開かんばかりにひとしきり笑った後、ビリーは変わらず天蓋を見つめながら言った。


「シリズは死んだか」

「はい。ビリーさんの撃ってくれた魔弾によって、私の能力も『天使の贈物』の枷が外れました。高まった魔力で身体の主導権を取り戻し、自分に宿る“魔人”を消しました」


 語尾が微かに揺れる。覚悟があり、成り行き上そうせねば世界ごと死んでいたとはいえ、実兄に自ら手を下した事実は変わらない。


「被害は?」


 しかし、ビリーは変わらぬ口調で、淡々と質問を続ける。何故なら、これは仕事の確認作業だからだ。自身の命すら、“狩り”のための駒。マコトの個人的な感傷にも、だから付き合わない。彼女も、それは心得ていた。


「賞金稼ぎの皆さんは、死者が二十七名、重傷者が五十九名、死者は不可能でしたが、怪我人は全員、治癒魔法で治しました」

「相変わらず、でたらめだな」

「ええ。ですが、魔人を消したのと治癒で、魔力を使い切ってしまいました。どうやら、『天使の贈物』の効果は、魔力の無限供給にも及んでいたようです。休んでいれば、またゆっくり溜まっていくとは思いますが、以前の力を取り戻すのはいつになるか」

「それは朗報だ。世界を壊す力が、一人の女性に備わっているのじゃあ、シリズに支配されているときと大して変わらない」

「それも、そうですね。実は、そのことで、かなりバーゼの人々からは私を恐れ、非難する声も上がっていたのですが、ジュンヤさんが収めてくれました」

「ほう」


 マコトが、嬉しそうに少年勇者の功績を讃える。


「民衆の前で大演説をして。ビリーさんにも聞かせてあげたかったです。今や彼は、市民の避難と救助に尽力した英雄なんですよ。素晴らしい働きぶりだったと、ボニーさんとロホさんがおっしゃっていました」


 その賞金稼ぎたちは、先にギルドへと帰って行ったらしい。


「そうか、なら、お仕置きに一発撃ち込むのは勘弁してやろう」

「……銃で撃つつもりだったのですか」

「ケツの穴にな」

「死んでしまいま―――あ、死なないのか」

「勇者殿も随分と図太くなったな」


 安心した様子のマコトに、ビリーは苦笑する。


「話を戻すのですが……トゥーコさんは、亡くなりました」

「そうか」


 表情を曇らせるマコト。眉一つ動かさないビリー。


「そもそも、至近距離で魔人の魔力の波動を受けきったビリーさんが生きているのも奇跡、いえ、恐らく、トゥーコさんが盾に」

「ああ。大体覚えてる。遺体は?」

「ありません。跡形もなく消滅してしまいました」

「そうか」


 同じ返事、同じ声色。しかし、ほんの一匙の寂寥せきりょうを感じさせないでもなかった。


「それは、もそうか」


 そう言って、ビリーは右手で、自らの左腕をなぞった。肩、二の腕、肘―――


「ごめんなさい、ビリーさん」


 そこから先は、無かった。マコトの目に、再び涙が溜まる。


「何故謝る?」

「命を救っていただいたのに、あなたの利き腕は取り戻せませんでした」

「ああ、大丈夫だ。銃は左の方が上手かったが、俺自身は右利きだ」


 意外な事実。しかし、「そういうことではありません」と、マコトは下手な慰めを拒絶する。


「契約を果たします。ビリーさん、あなたは、私の依頼を達成されました。つまり、私の身をどうしようと、あなたの自由です」

「そうだな」


 マコトにかかった三億は、まだ生きている。あとは、ギルドに突き出すだけ。しかし、ビリーは言った。


「勇者殿」

「はい」

「良い国を作れ」

「え?」


 存外、髭を剃り落とした彼は幼い人相をしていた。色が白く、細面で、ピリスの言葉を借りれば、『予想以上の化けっぷり』。端的にいえば、とても美しい顔が、悪戯っぽく笑みを浮かべた。


「俺は撃つ以外、生き方を知らない。“悪い勇者”がいなくなれば、左腕どうこう以前に廃業だ。だから、こんな賞金稼ぎ崩れでも、潰しが利くような世界にしてくれ」


 髭と、左腕と、実質的に天職を失った彼は、何らかの憑き物も落としたように言った。


「頼んだぞ、勇者マコト」

「……はい」


 返事をしたマコトの黒髪を、ビリーの指が撫でた。


「だから、もう泣くな」

「はい゛っ……!」


 滂沱ぼうだの涙を止められないマコトの頭を、ビリーはただひたすら撫で続けた。


 それは、彼のお仕置きを恐れて王宮と城下町中を逃げ回っていたジュンヤを捕まえたピリスと、その仲間たち―――フー、コーザ、ケンジ、ディナが部屋に入ってきて、またぞろ大騒ぎが始まるまで続いた。

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