第四十八話 賞金稼ぎVS魔人 後編

 黒い物体が、ピリスの頭上にヒラヒラと落ちてきた。痛む身体を無理やり起こして、それを手に取る。


「ビリーの帽子だ」


 広げるとかなり大きかった先住民族ケト柄の外套ポンチョを、破れてしまった衣服の上に巻いている身で、さらに頭にその中折帽を身に着ける。身体も顔も大きい彼のものなので、やはりブカブカだ。鼻まで隠れてしまった帽子の中で、ふと鼻腔をつくものがあった。


「ん……ビリーの匂い……」


 何気なく呟いてしまい、ハッとする。何を言っているのだ私は。そういう趣味はない。ビリーの長身痩躯や彫りの深い顔立ち、ちょっと曇ったときの表情なんかは確かにストライクゾーンだが。


「って! 何言ってんの私!!」

「何を叫んでんの?ピーちゃん」

「!? って、ケンジじゃない」


 突如としてかかった声に勢いよく振り返ると、いたのは旧友たちだった。ケンジと、フー、それに―――


「その背負っているミイラはなに?」

「みみーのもうま、むまままっま」

「なんて?」

「ビリーの方が上手かったって」


 全身包帯の刑に処されたコーザの言葉を通訳したフーは、開放的過ぎる謁見の間から、空を見上げる。


「マコ姉ちゃん、かけるくんと一緒にいるんだね」

「一緒に、のレベルが大分気持ち悪いけどね。ケンジ、城下町したはどう?」

「ジュンヤが頑張ってくれてる。任せても大丈夫だろう」

「そう。すごいね、あの子」


 ピリスが頷くと同時に、コーザが、顔に巻かれた包帯のくびきから自らを解放した。


「……ぷはっ。空でビリーが戦ってる。助けないと」

「……へぇ」

「なんだ?」

「ううん、、なんだと思って」

「無論マコトもだ。そんなの決まっているだろう」


 そういう意味じゃないんだけど、と、ピリスは敢えて言わず、一つ年下の幼馴染の思いに応えようと、弓を取り出す。


「うん、そうだね。みんなで勝とう。ディナのご飯が待ってるしね!」


 ピリスの呼びかけに、長年の仲間である三人の勇者たちがそれぞれに「おう!」「よーし」「ご飯!」と応えた。


 足並みは、思いのほかバラバラである。しかし、それでもこのパーティから始まったのだ。世界を救った勇者の討伐という一大革命。結実させるのは、もちろん、この勇者マコト率いるパーティでなくてはならなかった。


※※


 クリサリア上空で、ビリーが唸りながら言う。


「しかし、どうするかな」

「俺のことなら心配すんな。もともと生きてちゃいけねぇ犯罪者だ。何があっても、どこまでも付き合うぜ」

「大丈夫だ。お前の命なんて、端から勘定に入ってないさ」

「……」


 黙るしかないトゥーコ。その背を柔らかい手つきで撫でるビリー。


「誰が死んでもおかしくないってことだ。それくらいのヤマだと、分かってるだろう―――上昇!」


 喋っている間に、シリズの意識を持った魔人マコトが、魔力の光線を放ってくる。ビリーの声に反応したトゥーコが、上空に逃れる。


「まず、あのビックリビームをどうにかしなきゃいけねぇな」

「一度に何本来るのか分かれば、まだ対策のしようもあるんだがな。一度、町を全力で破壊してみちゃあくれないもんか」

「俺が言うのもなんだが、アンタ人の血は通ってんのか?」

「何で俺が市民の命に気を配らなきゃあいけないんだ。これは仕事だ。三百と三億のな」


 上昇を続ける火竜の上で、ビリーは言った。


「俺は勇者じゃあない。賞金稼ぎだ」


※※


 なるほど、これは確かに“狩り”だ。

 太陽が地平に落ちていく。壮絶な空中戦が夕日に染まる。

 シリズは、心から戦いを楽しんでいる自分に気付いていた。


 急旋回、急上昇を続ける竜の背から、なおも完璧に計算し尽くされた弾道で、確実に自分を狙ってくる銃弾。半径一メートル内に近付いただけで重篤なダメージを負う魔力の斥力場があるため、当たることはないが、竜も含め、死をも恐れぬ雰囲気。近付けられれば、いつでも重傷覚悟で接射してやろうという意気を感じる。


 圧倒的に格上なのはこちら。


 だが、何か一つ手を間違えれば、こちらが敗北する絶対の予感がある。


 さらに、こいつらに、いわゆる“人の道”は通じない。人質も、心理的な駆け引きにも応じない。たとえ酷薄に眼下の町を破壊したとして、この男はそれに憤ったり、庇おうなどとは一片たりとも思わない。逆に、その注意力の散漫、隙を突いてこちらが倒される。無辜むこの市民、いや、仲間まで含め何人が犠牲になろうとも、自分一人を狩りに来る。


 野生の戦い。否、それ以上。

 


 ああそうだ。俺は、こういうのを望んでいたんだな。ただ強力な魔法を撃てばそれですべてが終わる単細胞な魔王との戦いも、その後にやってきたグダグダとした王としての職務も、飽き飽きだった。


 ありがとう、賞金稼ぎのビリー。お前のおかげで、俺は退屈せずに済む。


 ―――いいえ、兄さん。その認識は誤りです。


 シリズの意識、魂の最奥から、澄んだ声が響いてきた。


 邪魔をするな。俺は今、とても楽しい時間を過ごしている。あとで構ってやるから引っ込んでろ。


 ―――引っ込みません。兄さん、彼は、ビリーさんは、意外とですよ。そして、それは人間であれば誰もがそうです。最強の力と永遠の生命を持て余し、ヒトでなくなってしまったあなたには、少し難しいかもしれませんが。


 うるさい。


 ―――あなただって、かつては一番近しい家族を守るために、ほかのすべてを投げ打って努力し続けた、甘くて優しい、ちっぽけな一人の人間だったのですよ。


 黙れ、


 獣の咆哮の如き叫びが空に轟いた。それは、かつてヒトだったものが、それと完全に決別するべく放った断末魔のようだった。


 この瞬間、確かにシリズは、魔人を越え、魔王となっていた。


 ただし、それは敗北の予兆でもある。


 なんとなれば、魔王とは常に、打倒される運命にあるからだ。


※※


 ケンジの『千里眼』による分析で分かったのは、魔人と化したシリズは未だ、自分の力を十全に制御できていないということだった。


 出力の調整ができず、敵と見定めたものには最大限の反撃を。たとえるなら、ゴキブリを一匹殺すのにダイナマイトを持ち出してしまうような、過剰防衛の状態。


 その不完全さを突く。勇者―――否、過ぎた力を持った異能者に立ち向かう上での鉄則。


「異能は用法用量を守って正しくお使いくださいっ!!」


 ケンジが弾んだ声で言い終えた瞬間に、ピリスが『必中の矢』を放った。軽傷すらつかない、子蟻が噛みついた程度の攻撃に、“魔人”はしかし、全開の魔力放射を返礼としてきた。


「コーちゃん!」

「コーザ!!」

「任せろ!」


 四人の中では、最も重症。重体と言ってもいい。四肢の骨折と、出血多量、全身打撲を負ったコーザが、気力だけで立ち、異能の鎧で仲間たちを庇う。


 『反射』など不可能。だが、この世のどの生物を一瞬にして蒸発する程度の攻撃を受けきることはできた。


 その、一瞬、つ、にとっては十二分の好機を、フーが思念によって伝えていた。


「合格だ、


 どこか、誇らしげな色を湛えた声が、シリズの至近距離、僅か数センチの距離で届く。


、お前の勝ちだ」


 膨大な魔力の波動の中、皮膚が一片ずつ剥がれ落ちるような激痛に苛まれているにもかかわらず、ビリーはシリズのかおにコルトの銃口を向け、笑った。


 ヒトとしての言葉をほとんど失くしたシリズの魂が、仄暗い憎悪を含んだ音声で、こう言った。


 ―――ショウキン、カセギ……!!


 かつての英雄が、魔王と化してまで行った暗黒の時代の決着は、天空から短く消えた“パン”という呆気ない音が告げた。

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