第五十話 共に 

 王宮の中庭で、白いローブを着た女性と、シャツにジャケットを着た短髪の青年が並んで座っていた。


「勇者殿から課せられる試練も、今日で一段落か」

「お疲れさまでした、ビリーさん」


 マコトの労いが、数ケ月に及ぶリハビリの終了を告げる。


「ホントに、よく耐えたよね、ビリー」


 ビリーほどの男でなければ、単なる地獄としか思えないスパルタな指導ぶりだったことを、やってきたピリスが暗に指摘する。。


「いや、これくらいやらなきゃあ、あと半年はかかっていたさ。感謝する、勇者殿」

「はい」


 寝込んでいたことと、左腕を肘先から失ってしまったことで、体力の低下と身体のバランスに崩れが生じていた。それを、どうにか普通に走れる程度にまで回復させた。


「勇者殿たちは、これからまたクソ裁判の準備だろう。よくやるな」

「クリサリアを、法が支配する世界にするために大事なことです。シリズを討って三カ月。ケンジの尽力で、議会がようやく発足したのですから―――」

「ああ、小学校中退の俺に難しい話は無しだ。じゃあな、お嬢さん方」


 ビリーが去って行く。彼は今、ディナとフーと共に城にある馬小屋で世話係をしていた。ある種、リハビリの一環でもある。


 残ったピリスとマコト、どちらがどうということなく、並んで座る。


「で、リハビリ終わったビリーとの初夜は今夜?」

「はい!?」


 話題の初手でこれである。


「そりゃアンタ、あんだけ甲斐甲斐しく世話しておいてただのお友達で~なんて、許されるわけないでしょ。ったく、何のために前世で女子大生やってたの」

「勉強のためでしょ!?」

「あ~あ、髭剃って身なり整えただけであんなイケメンになるなら、もっとべったり唾つけときゃ良かったなぁ。まさかマコトに出し抜かれるなんて思わなかったよ」

「ヒナ……」


 すっかり狼狽してしまった親友に、ピリスが小鳥がさえずるような優しい声を出す。


「ほぉら、いつまでそんな可愛い顔してるつもり? いい加減、辞めなさい。今ならチャンスだよ。身体弱ってるんだから。押し倒せばそのままゴールだよ」

「柔和な表情と音声に比べて台詞が下品過ぎやしませんか!?」


※※


 とはいえ、言われたことは何でも一旦は真に受けてしまうマコトである。


「ゆ、勇者殿!? どうした、重……くはないが、しかし、何故のしかかってくる? そして、何故その状態のまま微動だにしないんだ?」


 時刻は夜。ベッドの上、マコトの下で、ビリーがじたばたともがいているが、そもそも筋力差があり過ぎる上、片手を失った痩身の男が跳ねのけられる道理もない。


 片や、友人に言われた通り押し倒してみたまではいいが、そのあとどうするのか何も教えられていないし考えてもいなかったマコトである。今もって、ビリーの胸板の上で硬直したまま。


 つまり、まったくもって理解不能な状況なのである。


 ―――数分後、何かが間違っていることに気付いたマコトが、正気に戻った。


「頭の使い過ぎで、ついにおかしくなったのかと思ったぞ」

「すみません」


 ビリーの部屋は、治療と療養に使っていた広い客間から、衛兵の使うベッドだけが置かれた簡素な場所へと移動していた。


 月の光が差し込み、ベッドに腰掛ける二人を青白く照らす。


「一体全体どういう趣向だったんだ」

「ええと―――あの、訓練、です」


 苦しい言い訳だったが、ビリーは「ああ」と、何かを納得したように頷いた。


「そういえば、寝込みを襲われるなんて久しぶりだな。俺としたことが」


 言いながら見つめる先には、彼の愛銃の残骸があった。左腕と共に消滅していてもおかしくはなかったが、僅かに握るグリップ部分だけが残った。


「焼きが回るとはこのことだろうな」

「私には分かりません」


 フーと同じくらいの歳で父親を殺し、賞金稼ぎギルドに入り、すぐさま才能を認められ、賞金稼ぎとして仕事を続けてきた。ベテランの部類に入る九年間。自分が何歳なのかは、よく分かっていないという。


「あれ?」


 よく考えたら、ビリーは、この髭を剃った素顔が物語るように、思ったよりずっと若いのではなかろうか。


 下手をすれば、自分とそんなに変わらない―――


「いやいやいやいやいや」


 思わず否定の声を出してしまった。どんなに論理的にそうなるとしても、受け入れられない。


 それに、もし彼がそんなに若いのだとすると―――


「勇者殿」

「ひゃい!?」


 行き至りそうだった思考は、件の彼の声によって途絶えた。変な声と共に。


「どうした、アンタらしくもない顔だ」

「それは、割とこちらの台詞です」


「ふっ」と、月明かりに映し出されたビリーが優しく笑う。それを呆けたように見つめながら、マコトは訊いた。


「あの、ビリーさん。失礼を承知でお聞きするのですが」

「ん?」

「賞金稼ぎでなくなったことに、ホッと、されてます?」


 癖になってしまっているのか、綺麗に剃られた顎鬚のあった虚空を右手で撫でながら、ビリーはしばし沈黙を持った。


「……さぁな」


 かくして、絞り出された言葉は曖昧なものだった。


「好きでやっていた仕事じゃあない―――んだが、どうにも、怪しくなってくる。少なくとも、俺には才能があった、銃と、殺しの才能ってやつがな。向いてない職に就くよりは良いとも言えるが、天職過ぎるのも考えものだな」


「……」


「“やりがい”ってのは、あった。厄介な異能を持った勇者の弱みを探し、隙を突いて、撃つ。胸がすかっとする。結果的に、賞金首が死んだとしてもな」


 理屈だけでも、感情だけでも推し量れないこと。


「ある男に寝込みを襲われたときは、なかなかに酷い目にあった。ボコボコってやつだ」

「誰に?」

「人の世では、“父親”と呼ぶ」


 息を呑むマコトに、ビリーは淡々と話を続ける。


「何が気に入らなかったのかは知らないが、よくあることだった。実の息子を袋叩きにした後に行く場所も決まってる。母親を殴り、服を引っぺがし、強姦おかす。だが、その日は違った。間抜けな奴は、ポケットに入れていた銃を落とした―――俺はもともと、右利きだって話はしたか」

「はい」

父親そいつを撃ち殺したのは、右手こっちだ」


 ビリーは、残った手を月明かりにかざす。


「私も、兄を殺しました」

「あれはもう、人じゃあなかった」

「それでも、肉親を殺めたのは同じことです」


 ビリーからの応答は無かった。マコトが、切々と言葉を紡ぐ。


「これは、契約ではありませんし、私はあなたに、何もしてあげられないかもしれない。けれど―――」


 月が一瞬、雲で隠れた。

 互いの目に映る表情が消える。

 その暗闇の中で、声だけが響いた。


「ビリーさん、私と共に生きて頂けませんか」


 再び月明かりが戻る。映るのは、ひたすらに必死な表情のマコト。


 ビリーは、まるで生まれて初めて“人間”を見たように、目を見開いていた。


「勇者殿」

「はい」

「それは……つまり、結婚ってことか?」

「え?」


 マコトが固まった。


 改めて。


 この救世の勇者は、クリサリア時間で約二年が経過し、ビリーやボニーといったアウトローたちとの交流でやや図太くなったものの、元の世界では成人する年齢にもかかわらず、キスどころか異性の裸体にすら免疫の無い筋金の入った生娘である。


「………………………結」


 だから、その後の言葉は、続けられなかった。


「いいいい今のは無しにしてくださいッ!! 忘れてくださいというかそうだ、記憶忘却術を使えば―――」

「落ち着け勇者殿。掴んだ錫杖しゃくじょうをゆっくり下ろすんだ。下の世話も自分でできなくなるほどボケさせるのは勘弁してくれ」

「はっ、そういえばまだ魔法は使えないんだった! すみませんビリーさんちょっと痛いですが頭に直接衝撃を」

「やめろと言っているだろうが!!」


 ロマンスなんて無かった。そのあとは、さながらただの友人同士の他愛無い会話が続いた。ピリスは怒っていい。


「実は、全魔力解放の余波で、世界中の勇者から『天使の贈物』が消えてしまったようなんです」

「そうなのか。ということは、いよいよ賞金稼ぎがお払い箱だな」

「ええ、それでですね、再び魔力が溜まったら、やろうと思っていることがあって」

「なんだ」

「異能をすべて消してしまおうかと」

「おやおや」

「勇者もお払い箱にしてしまうんです」


 喜々として話すマコトを、ビリーは見つめていた。そして、気付いた。


「勇者殿、眠くなってるんじゃあないか」

「あ、分かりますか」


 深夜のテンションというやつである。


「なら、今日はこのまま眠っていけ」

「え? それは……」

「俺を襲わないと約束してくれれば、安眠できる」

「うぅ、はい、もう何もしません、から」


 言いつつ、ズルズルと睡魔に負け、こてんとベッドに倒れる。豊かな肢体を投げ出し、まったく無防備になってしまった女性を横抱きにして、ビリーは苦笑しながら、楽な体勢で寝かせてやる。


「共に、か」


 そして、誰ともなしに、そう呟いた。


 月は、また雲に隠れつつあった。


※※


 翌朝。


 マコトが目覚めると、そこにビリーはいなかった。


 枕元に一枚の紙があり、クリサリア語で、短くこう書かれていた。


『少し出かけてくる


 ありがとう』


 出かけて行った彼は、その日のうちに帰ってこなかった。次の日も、また、次の日も、月が一巡りしても。


 ディナによると、馬が一頭、いなくなっていたという。


 ついでに、ジュンヤもいなくなった。


 どこに行ったんだと苛立つコーザを困り顔で見つめるマコトには分かっていた。


 ―――彼は、私たちと共に生きることはできないと思ったのだ。


 賞金稼ぎとして、首まで殺し合いに浸かった自分には、資格が無いと。


「……馬鹿」


 マコトの呟きは、風の音にかき消えた。

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