第四十話 忌み子
トゥーコ、本名・
『何をやってるんだ』
『早くやれよ、置いてくぞ』
『失敗したら、お前のせいだからな』
そのどれもが、透一郎に非があり、責任の所在が彼にあることは明白であるとともに、一つ一つは小さな出来事に過ぎなかった。だが、借金と同じく、追った責任も積み重なれば、とても返済できなくなる。そして、透一郎自身も、己が人として脆弱で、利発さに欠ける自覚があった。
―――こんな出来損ないの人間に、失敗の責任を背負わせないでくれ。
そう思うことはあっても、気の小ささから、言葉にして訴えることができない。ウジウジとしているうちに、時間だけが過ぎていく。何もしない、できない、やろうとしない彼の姿に、呆れかえった親・教師・同級生が「もういいや」と言うのを、震えながら待つのみだった。
結果、彼の自信と自尊心はさらに減退し、「何かをやれば自分のせいにされる。だから何もしたくない」という負の螺旋にはまり込んでいく。勉学も就業も失敗し、家に閉じこもるのは必然だった。
「そんなことがあったんだねぇ」
「……え?」
賞金稼ぎギルドの地下牢。その鉄格子の先に、小さな少年が一人立っていた。丸顔で能天気な、しかしこれでも転生した勇者である少年・フーは、トゥーコに、こう呼びかけた。
「ねぇ、もっと僕とお話ししようよ」
トゥーコは、誰にも話したことがない、話せるわけもなかった胸に内にある苦しみを、気付かぬうちに吐露していた。
「ガキ……お前は、何モンだ?」
フーの異能。動物との意思疎通―――は、能力の副次的なものでしかない。
彼本来の異能の正体は『洗脳』である。
対象が生物であれば、相手の意識を完全に奪い、自分の意思で操ることができる。数に限りはなく、時間の制限もない。発動さえさせてしまえば、対象者は完全に虚ろな人形と化す。反撃の手段はない。無敵の能力である。
が、弱点は存在する。
操るために出す指示が大雑把なものだと、こちらの想定しない不合理な動きに固執したり、指示の意図をくみ取れず間違った行動をとったりする。逆に、あまり細かく指示を出すと想定外の事態に対処できず、動きを止めてしまうこともある。
また、人間的/動物的な判断力すら奪ってしまうことから、目的達成のため、自らの命を危険に晒し勝手に死んでしまうことさえある。
これらのことを回避するためには、敢えて相手の意思を多少残す必要があるが、過保護な『天使の贈物』によって、それはできないようになっている。何故なら、能力を緩めるという行為は、『洗脳』を敵が打ち破る可能性と直結し、勇者自身の身を危機に陥らせてしまうからだ。
結果、過去に賞金首となった『洗脳』の能力者は、操った他者の一挙手一投足を管理することに忙殺され、自滅し、狩られてきた。
フーは、そのような事を考えていたわけでなかったが、彼自身の優しい性格から、他人や動物を操ることをよしとしなかった。『相手の意識を奪う』という能力に偶然備わっていた『相手の意思や、深層心理を読む』ことに特化した使い方をしてきた。
フーという少年の前では、
幼きカウンセラー。
どういった要因で、まだ十歳の彼がその
少なくとも、自分の親、恋人、近隣の住民を含めた計八名を殺害した凶悪な殺人犯を母に持つ生い立ちは、無関係ではないだろう。
母の死刑が執行されたのは、フーが一歳の誕生日を迎えた三日後のことだった。
忌み子・
彼とトゥーコの“対話”は、一年に及んだ。
そして。
『トゥーコ。最近は随分と顔色がいいじゃあねぇか』
ギルド長クリーフの声。その隣には、勇者パーティのリーダー・マコトが神妙な顔で立っていた。
『あなたに一つだけ、仕事を任せたいのです』
トゥーコの頭には、責任を負いたくない、取りたくないという思いしかない。
『ガイエという勇者が、ケンジと同じ異能を持っています。彼を引き付ける役目をお願いしたい』
何人も殺した。何人も犯した。盗んだ。傷つけた。そんな自分に。
『フーから、あなたの話は聞いています。心から他者の役に立ちたいと思いながら、それが
お前に何が分かる、と、反論することも許されない。トゥーコ自身でさえ忘れてしまっていた、最初の願い。
『無論、すべてが終わったあと、量刑を多少軽くすることはお約束します』
『懲役120年が100年になる程度かも知れんがね』
マコトの後に続いたクリーフの言葉に苦笑する。そうだろう。もはや、取れる責任など、存在しない。この命をもって償うほかない。
だが、それならわざわざ自分に頼む理由は?
『トゥーコさん。法治国家において、犯罪者に最も期待されることは、なんだと思いますか』
自分を『洗脳』すればいいだけの話だ。だが、あいつはそれを決してしない。
『頼みますよ。フーを―――きっと、この世の誰よりも
※※
「なるほど、ここにいたのは、トゥーコ、最初からお前ひとりだったということか」
「そうだ。お前を誘い込むためだ、ガイエ。アンタの『千里眼』をよ」
目の前から
「アンタは、
「誘い込まれていた、ということか……ん?」
先ほどから、
危険な毒使いの勇者は、彼の傍らで、ただ呆けた双眸を虚空に向けている。
『洗脳』が、発動していた。
どこに潜んでいるのかを『千里眼』で確認する。上空。なるほど、魔王軍が操っていたクリサリア最高の機動力と隠密性を誇る黒竜と“友達”になっていたということか。
ガイエは、一つ舌打ちをした。表情こそ冷静だが、その顔には、玉汗が浮かんでいる。
「トゥーコ、貴様は誰も信用せず、自分を省みない人物だとシリズ様から聞いていたのだがな」
「へっ……まぁ、更生したってやつさ」
その返答に、黒衣の神父然とした男は声を上げて笑った。
彼が馬鹿げた話であると断じるのも無理はない。だが、とある一人の“忌み子”が、一人の大悪人の心を救っていたのは、確かだった。
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