第三十五話 臨戦

 クリサリア西部、一人の小型獣人ケットシーが運営する牧場の一室で、大きな物音がした。


 瞬間、全員が飛び起き、荒事が起きた部屋へと直行する。


「ケンジさん? どうしましたか―――って」


 最初に辿り着いたジュンヤは、扉を開けた直後に脱力した。


 寝室に忍び込んだボニーを逆に組み伏せているケンジの姿を認めたからだ。


「おはよう、サトウくん」

「マコトさーん! 兄貴ー! ケンジさんがついにやりました! 婦女暴行でーす!!」

「ってこらぁ!! 一年で随分図太くなりやがったなこのゾンビ勇者が!」

「はぁ……ケンジ、せめて外に出してって言ったでしょ?」

「姐さん!? 何を乗っかってるんですか!」

「まぁ、私に子宮はないから、どっちにしても避妊は完璧なんだけどね」

「ひとっつも笑えねぇ下ネタぶっこむのやめてもらっていいですかね!?」


 ケンジが喚いている最中に、ビリーとマコトがやってきた。


「お、ジュン坊早いな。これが犯行現場か。どうする勇者殿、ケンジの処遇は」

「そうですね。勇者の権限で死刑に」

幼馴染マコちゃんが悪い大人と混じって良くない冗談を言うようになった件」

たくましくなったッスよね、俺たち全員」


 ジュンヤが後ろを振り向きながら言う。


 そこには、攻撃反射の甲冑リフレクトアーマーを着ていないコーザがおり、器用に眼球だけを非透明化したピリスが実体化するところだった。


「ケンジもボニーに勝てるようになったか。ギリギリだったな」

「俺はコーちゃんとは違ってフィジカルエリートじゃないんだよね。ピーちゃんみたいに不意打ちができる能力でもないし」

「しかし、勝てました。ボニーさん、一年間、本当にありがとうございました」


 床に倒れている露出の多い賞金稼ぎに、マコトが白く細い手を差し伸べる。


 それを、女性とは思えないほどごつごつとした手が掴んだ。


「シリズを狩った分の分け前は8:2だからね」

「もちろんです」


 どう考えても吹っかけている金額に、即答する最強の勇者。


「みんな~、朝ご飯できたよ~」


 完全に毒気を抜かれた様子でボニーが立ち上がったのと、フーが皆を呼びに来たのは同時だった。


 今日はクリサリア王の即位記念日。


 最大最後の“勇者狩り”を実行する当日だった。


※※


「クリーフのおやっさんから、賞金稼ぎ共は所定の位置についたと報告があった。いつでも行ける」


 潜入した王都の酒場にて、ビリーが煙草を吹かしながら言う。


「はい。そしてピリス、よくやってくれましたね」


 ここまでの手筈を整えた人質なかまを、マコトが労う。


「まぁ、私はほとんどなんにもしてないけどね。あの人たちが決めてくれたの。女をほったらかしにすると怖いんだからね」


 ピリスの言う「あの人たち」とは、シリズの第二~第四夫人のことだった。今回の侵入の手引きをしてくれた、元仲間たち。


 マコトが彼女たちに送った思念での交渉は不調に終わったが、間にピリスが入ったことで格段にスムーズとなった。ピリス曰く「ガチガチの正論より、ユルユルな感情論」だそうだ。


「一夫多妻って、面倒ッスね」

「いいえ、違いますよジュンヤ。あの人は他人に“モノ”以上の価値を見出さなかった。それが、彼女たちにも筒抜けだった。それだけのことです」


 この一年、何度も聞いたマコトシリズへの辛辣な評価の中で、口調も含めて最も強い非難。


 兄妹の完全な決裂を知ったジュンヤは、「そろそろ行ってくるッス」と、作戦開始位置につくための腰を上げる。


「ジュン坊」


 呼び止められたジュンヤの口に、火の点いた煙草が突っ込まれる。


 成り行き上、何故か弟子になってしまった少年勇者は、それをゆっくりと吸いこみ、紫煙を吐き出す。


 臨戦りんせんにおいて大事なのは、呼吸を整えること。教えられたとおりに実行する。


「ボニーを頼むぞ、我が弟子よ」

「うっス。行ってきます、兄貴」


 元の世界でなら法律違反の年齢だが、なかなかどうして堂に入った喫煙姿。店から出て行くジュンヤを見やり、ビリーは、あるかなしかの微笑みを浮かべる。


「私たちも行こっか」


 ピリスが呼びかけ、マコトとビリーが頷く。


 一年間の勇者狩りに、敢えてマコトは参加しなかった。シリズ側に、こちらの脅威度を誤認させる必要があったからだ。


 少なくとも数名の勇者たちが賞金稼ぎに協力していることを知らせる。

 無視はできずとも、シリズ本人に届き得る牙ではないと思わせる。

 マコトの能力の底を―――を知られないようにする。


 仕込みは、確実に行われていた。


 作戦は、こうだ。


 記念式典の準備に、城の衛兵や勇者たちが出払う時間を見計らい、王都で、大きな騒ぎを起こす。


 大規模な制圧が始まり、玉座の間に人間がいなくなったところで、マコトとシリズをぶつける。


「彼と私の能力は同じ。故に、最大出力も同じです。それをぶつけ合い、つばぜり合いに持ち込みます。その隙を突いてください」

「これはまた、随分と大雑把な作戦だな」

「ビリーさんを参考にしました。概要だけをざっくりと決めて、あとは即興で、臨機応変に」

「それはいいがな、勇者殿。おたくら兄妹の本気同士をぶつけ合って、傍にいる俺たちは持つのかい? いや、そもそも城や街がどうなるか分かったもんじゃあない」


 ビリーの疑問に、マコトは自嘲的な笑みを浮かべた。


「ビリーさん、それが、この異能の弱点ですよ」

「ほう?」

「この世界すべての魔法を最大限に扱える能力とは、いざとなれば、世界クリサリアそのものを破壊し―――いえ、星を滅亡させてしまえるほどの力ということです。そのようなものを、女神マリアンがそのまま与えると?」

「つまり、こういうことか」


 ビリーは、自らの銃を取り出すと、起きていた撃鉄ハンマーを戻した。この状態では、弾は出ない。彼の仕草に、マコトが首肯する。


「そうです。私と兄の能力には、かなり強力で恣意しい的な安全装置セーフティが掛かっている」

ってわけか」

「そういう理解で構いません。狙いを定めた対人においてはほぼ最強ですが、周囲に影響を及ぼさないような制限ができます。また、対物における出力も同様です。正直、この異能は物量攻撃に対してはかなり不利です」


 ふむ、と、ビリーは自身の顎髭あごひげを撫でながら言う。


「数百の犠牲を当て込んで、数万の兵力で押し潰せば勝てるってことか。先鋒に選ばれた奴らは、地獄だな」

「私がその数百人分になります。それに、私なら死なない、かもしれません」

「なるほど。では、行こうか、捨て石を買って出た愚かなる依頼主殿」

「はい。このような愚か者に雇われた、憐れな賞金稼ぎ殿」


※※


「そんじゃま、首尾よく頼むよ、トゥーコさん」


 ケンジの呼びかけに、上半身裸のでっぷりとした男が頷く。


「これで、本当に俺は恩赦にありつけるんだろうな」


「アンタの態度次第だよ。実際、アンタは賞金稼ぎとその家族を何人も殺してる。ここで働かないと、いよいよ凄惨なリンチ大会が始まっちゃうよ」


「……分かった。何をすればいい」

「僕のお手伝いだよー」


 王都バーゼを見下ろせる小高い丘の上、ケンジとフー、そして、ギルドの“持ち物”となっていたトゥーコがいた。


 彼ら三人が、王都城下町の騒乱と、それを起こすフーの護衛を担当。さらにケンジは、能力で全体の指揮も執る。


 制圧に乗り出した兵士と勇者たちの相手を、クリーフ率いるギルドの賞金稼ぎたちが担当。


 地方に出向いている三名以外の円卓の十勇者は、コーザ、ジュンヤといった反体制派勇者と、ボニーら賞金稼ぎ“先発組”が各個対応する。


 最後に、ビリー、ピリス、マコトが、城内部に侵入。シリズ・バーゼを討つ。


 臨戦態勢は、整った。

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