第三十六話 シリズ・バーゼ

 ―――後に、公文書が適切に作られ、管理されるようになったクリサリアの歴史の教科書で、この年の出来事はこう記されている。


『旧バーゼ歴二十年〇月〇日

 王都バーゼにて、勇者マコトとその仲間たちが、シリズ・バーゼに決起。

 王都各所で戦闘が起こり、円卓の十勇者五名を含むバーゼ側が、反乱の鎮圧に乗り出す。

 動乱開始から二時間後、マコト・サイガとシリズ・バーゼが会敵。

 対話による交渉は不調に終わり、戦闘が開始。


 その一時間後に―――が勝利する』


※※


 たもとを分かってから初めてとなる邂逅かいこうにも、シリズ・バーゼは、いつもの調子でマコトに語り掛ける。


「国家における政府とは、あくまで主権者たる国民の代理人であり、市民の一般意思によって、その統治を任せられる。

 ルソーは『正当な国家統治は、ただ法によってのみ行える』と語り、法治国家以外を国家ではないと言った。

 同じことを俺に言った奴がいる。ひょっとして、我が愚妹は、フランスの哲学者が転生した姿なのかもしれないな」


「いいえ、私はそのような立派な人間の生まれ変わりではありません」


「マジで冗談通じねぇのな。同じ産道を通って生まれてきたとは思えねぇわ。……一つ、お前に質問をしよう。差別のない世界とは実現可能か」


「可能です」


「どのように?」


「人々の意思によって」


「ふわっとしてるな」


「ふわっとであろうと、ざっくりであろうと、まずは“できる”という意志を明確にすべきだと考えます。それによって、法を整備する。それが、個の集団である公の利益となる。簡単に言ってしまえば、差別をしないことは得だ、という意志を醸成していく。それはやがて、世界を構成する大いなる信条へと繋がっていく。やがて、差別は根絶されます」


「気が長過ぎるし、ベンサム的功利主義者も、カント的義務論者も、一緒くたにして箱に詰めるような乱暴な政策だな。

 そんな「討論に勝つためならどんなにめちゃくちゃなことでも言います」みたいな子だったっけ? マコちゃん」


 バカにした口調は相変わらず。


 マコトは、この者の“芯”が変わっていないことに落胆し、同時に、安心もする。


「ところで俺は、魔物のいない世界を実現したぞ。これで、クリサリアの人々は魔物に怯えずに暮らせるようになった」


「ご立派です」


「それを評価するということは、魔物との共存は不可能だったと認めるってことじゃないか。差別のない世界はどうした。魔物は人じゃないってか?」


「いいえ。私は、あなたの導き出した結果をもって称賛しているだけで、対話を断固として拒否し、殲滅せんめつを謳った手段に賛成しているわけではありません」


「へぇ、ホントに変わったね、マコちゃん。小狡い言い回しもできるようになったんだ。

 んじゃあ、もう一つ質問。マックス・ウェーバーは、国家権力の在り方を『暴力の正当な独占』にあると説いた。その暴力の正当性を、誰が担保する? 神か? 女神か? それとも天使か?」


「あなたでない事だけは確かです」


「だとしても、独裁専制主義であれ議会制民主主義であれ、最終的には人が人を統治することになる。そこは、マコちゃんとも同意が取れるよね。今まさに行われているのが、それだもの」


「私たちが行っているのは暴力による革命、という意味ですか。ならばこちらも質問させていただきます。

 どれほど優れていても、独裁制が滅びるのは何故かはご存知ですか。『人治主義』の限界も」


 その回答には、やや間があった。


「―――人の命には、限界がある」


「よく分かっておいでではないですか。

 この政治体制には、“最強”の名をほしいままにした英雄であり狂王でもあるあなたの存在なくしては不可欠です。

 しかし、いみじくもあなた自身が先ほど申し上げたように、あなたは私と同じ血を分けた人の子です。。そこですべては終わりです。だから、もうやめましょう」


 無理だと思ったことを敢えてやるのは心苦しい。


 せめてもの提案に、やはり、マコトの兄は首を縦に振らなかった。代わりに、こんな話を始めた。


「この世界の民衆は、魔王の討伐を勇者という『外部の暴力装置』に任せたことで、平穏を得た代わりに、自分たちで戦って生きる権利を勝ち取るというプロセスを放棄した」


 ビリーもいつか同じようなことを言っていたことを思い出す。クリサリアの人々は、そのせいで「自信を失った」のだと。


「その『圧倒的な自信喪失』に俺は付け込んで、王になった。んで、さっきお前が言った『最大多数の幸福』ってやつを真に実現する国家を作ろうと思ったのさ。勇者という存在が三権をつかさどることで、この世界における凶悪犯罪は劇的に減ったんだ」


「それは事実ですが、内実は、勇者が市民を自分たちの気分で処しているだけです。上手くいっている場合があっても、それはたまたまです。システムとしては、土台から破綻しています」


「いいや! 破綻してるのは俺たちのいた世界のシステムだ。法治主義はあくまでも人間同士が対等だという前提で物を考える。しかし現実は違う。差別なんて無くならないし、強い者が弱い者を搾取する構造は絶対に変わらない。ならその歪みを逆に利用してやればいい。

 絶対的な力を持った女神に選ばれし勇者と、それに従う民衆。これが本当の『暴力の正当な独占』だ。

 賞金稼ぎに狙われるようなアホより、ちゃんとやってる奴の方が多い。質を担保することができなかったのは痛恨だけど、今度転生させる奴はもっと上手くやるさ」


「……そうであったとして、あなたの望みはなんなのです?」


 いつの間にか、どこか他者を小馬鹿にした印象だったシリズの口調が荒く、言動が熱っぽくなっていたことに、マコトは気付いた。故に、彼女は少しだけ声色を柔らかくした。


 かくして、熱くなったシリズ―――否、カケル・サイガはこう言った。


「俺はこの世界から、格差も差別も暴力も無くす。その尻尾は、もう掴んでる。あの糞みたいな世界から転生した俺の、それが、使命だ」


「そうですか―――」


「お前の率いる賞金稼ぎ共は、未だ牙を失っていない獣だ。そいつらを返り討ちにできれば、民衆はますます勇者に従うしかないと思うだろう。マコト、友敵理論だよ。お前のおかげで、俺は俺が目指す支配に近づけるんだよ。本当の平和ってやつにさ」


「友敵……カール・シュミットですか。相変わらず、博識ですね、兄さんは。

 ところで、マックス・ウェーバーが定義した、理想の政治家の姿というものをご存知ですか」


「……え?」


「≪『情熱』と『責任感』と『判断力』を持ち合わせ、ある種の憤りと偏見があり、自らに達成したい目標、その実現に向けた闘争、その帰結に対して責任を負おうとする人間である≫とのことです。

 過去の偉人の言葉の引用で失礼ですが、この言葉を、あなたに贈ります」


 マコトは、どこか晴れがましい表情で、錫杖しゃくじょうを“政敵”に突き付けた。


「あなたの蛮行を許しましょう、シリズ・バーゼ。そして、あなたの抱いた理想と野望のすべてを、今この場で叩き潰します」

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