第三十二話 即位記念日

 クリサリアには、記録が無い。


 魔王隆盛の時代にはあったとが、それが何であったのか、どういった記録だったのかは、誰も知らない。


「不便」という理由で暦・紀年法は定められており、現在は332年である。


 が、一体何を基準に積み上がった332年なのかは分からない。その間に何が起こったのかについても、何一つ記録が無い。そのため、専ら個人の誕生日及び年齢の確定と、週に一度の安息日の確認や、一次産業の予定を決めるカレンダーとしての利用がほとんどである。


 そんな中で、珍しく今日は、何が起こったのかは分かる日だった。


 勇者王シリズ・バーゼの即位記念日。


 公文書無きクリサリアに制定された、唯一の祝日である。


 その祝祭で賑わう王都バーゼの中心街に、マコト・ビリー・クリーフの三名が乗り込んでいた。


「シリズは、『純粋な転生者』です。どういうことかというと、私たちのように、前世の姿や年齢を保ったまま別の世界に生まれ変わったのではなく、生前の雑賀さいがかけるという意識は持ちつつ、クリサリアの一般的な家庭の子供として生まれ、名付けられ、育てられた。無論、女神マリアンと天使に、特別な異能を与えられた状態で、です」


 マコトの言ったことを、クリーフが解釈する。


「するってぇと、今のあのナヨっちいヘラヘラした若造のつらは、嬢ちゃんの知る兄貴のものじゃあねぇってことかい?」


 マコトは頷く。


「雰囲気は似ています。だから、姿が変わっても一目で兄だと気付いたのですが。……ええ、確かに、あれほどまでに軽薄が息をしているような顔では無かったと思います」


 マコトが下す容赦ない兄への評価に、賞金稼ぎのギルド長はその白髭を蓄えた口を豪快に開けて笑う。


「ガッハッハ!! 手厳しいねぇ。しかしだ、随分と歳の離れた兄妹だな。若造とはいえ、齢三十は超えているだろうに」

「勇者殿の世界と俺たちの世界の時間が同期しているってわけでもないんだろう」


 クリーフと同様の毛量だが、こちらは黒髭を蓄えた賞金稼ぎビリーが言う。


 長身な二人に挟まれる格好になっている女勇者マコトは、その白ローブの下の顔を小さく動かし、首肯する。


「私の体感では、兄が死んで、まだ一年しか経っていませんし、兄と私の歳は、二つしか離れていないはずです。恐らくそれも、純粋な転生と、作為的な転生の違いなのだと思います」

「作為的、とは?」


 ビリーが訊く。


「私たち、魔王が滅んだ後に転生してきた勇者たちは、全員が、シリズ・バーゼの意思によって、この世界に召喚されています。恐らくですが、世界を統治するための即戦力が欲しかったのでしょう。また、魔王が滅ぶ前の時代に生まれても困る。ということで、死んだ者の年齢と容姿を保たせたまま、クリサリアに転生させた」


「女神様と、その配下である天使様が、あの王様シリズ・バーゼに、元いた世界の人間を勇者として転生させる能力を与えたってことか。豪気な話だな」


「世界を救ったご褒美、と、彼は言っていました。本当かどうかは分かりません」


 そこで、会話がいったん途切れる。話題を変えるように、マコトが「あの……」と、声の調子を落とす。


「一つ、お二人にお聞きしたいことがあったのですが」


「「なんだ?」」


「シリズ・バーゼという名前は、クリサリアにおいて、どういう意味があるのですか」


「ふん……すまないが、俺はそういうのにうとい。どうだ? おやっさん」


「ん……? 特に意味ってぇのは……王都生まれなら、割とありふれた名前なんじゃあねぇか? 百人も赤ん坊がいりゃあ、三人くらいはそんな名前になるってくらいの」


「分かりました。ありがとうございます、クリーフさん」


「ま、名前は至って普通だが、この豪奢な祭りを見ると、良い意味で名前負けって気もしてくるな」


 ビリーがいつもの皮肉げな笑みを見えて言う。


 記念日の最も盛大な祭事であるパレードが始まっていた。


 中心街を宮殿から王都の正門まで抜ける大通りに、巨大な四足の竜が闊歩している。その背にシリズは乗り、民衆たちの歓声に応えていた。その隣には、赤い豪華なドレスを身に纏った、美しい女が同じように笑顔を振りまいている。


「なかなかに人気がありなさるな、勇者殿のお兄様はよぉ」


 クリーフが呆れ混じりの声を出すと、マコトが冷静に返す。


「勇者を中心とした強権的な政治体制は、裏を返せば、勇者にさえ従っていれば平和と繁栄を享受できるということですから」

「飴と鞭ってやつか。分かりやす過ぎて反吐が出るな」


 ビリーが中折帽を深く被り直しながら言う。


 マコトの隠遁術は完璧なものだが、シリズの完璧な探知術に対しての抵抗力は、まさに矛盾の関係であった。


「決してシリズに殺意を向けないように」


 と、勇者殿マコトに釘を刺されていた。


 そして、ギルドの仇敵を眼前にしつつ、僅かな殺意も抱かないなどという芸当は、この二人にしかできなかったが故の人選でもある。


 シリズを乗せた竜の巨体が、堂々たる威風で街を闊歩している。


 その後ろには、それより一回り小さな竜がおり、その上には三人の女性が乗っていた。


「シリズの隣にいるのが、現在の女王陛下。第一夫人で竜人族のシセルさんです。

 後ろにいるのが、第二夫人の小型獣人ケットシービーナさん。

 第三夫人の半森人ハーフエルフユメルドさん。

 第四夫人の黒魔導師エリゼさんです。

 四人とも、シリズと共に魔王を倒した、“旅の仲間”、それは、ご存知ですよね」


「知っているが、この序列は露骨だな、ええ、嬢ちゃん」


 クリーフが言葉とは裏腹に、明らかに面白がっていると見える声を出す。


「歳には逆らえんのは、どの種族も一緒だが、ここまで扱いに差が出るといっそ清々しいぜ。旅の仲間、王の嫁といえど、所詮、若さと美しさを失ったら、お払い箱ってことか。世知辛いねぇ」


 王と同じ竜には乗らないケットシー、ハーフエルフ、黒魔導師の女性たち。竜人や純潔のエルフとは違い、寿命はヒトとそう変わらない彼女らの顔は、年相応に皺が刻まれ、肌艶も失われているように見えた。


「クリーフさん、一つ誤解があるようなので申し上げますが、シリズは、あなたが思うような女性蔑視者ではありません―――あの兄は、この世すべてを見下しています」


「なるほどな、そいつは確かに誤解してたよ! ただの日和見ひよりみじゃあない、本物のクズってやつか!」


 ガッハッハ、と、またも豪快に笑う師に、ビリーも釣られて口髭を微かに震わせる。


「……お二人とも、空をご覧ください」


 と、何かに気付いたマコトが、空に視線を促す。


 小さな黒点がいくつも見えた。


「黒竜騎兵です。魔王軍の残党。数にして三百は下りません」


 その黒点が、まるで泡のように一つずつ消えていく。


「王を討ちに来たのでしょうが、既に彼には気付かれています。魔法によって、一人ずつ消されている最中です」


 さしものビリーも驚いたと見え、シリズの様子を伺うが、様子は何も変わっていない。つまり、彼にとって、あの程度の襲撃は片手間に排除する事案でしかないということだ。


「シリズは怪物ですが、この即位記念日の日だけは、彼を守る円卓の十勇者が各地に散り、守りが手薄になります。一年後、よろしくお願いいたします、ビリーさん」


「それはいいがな、勇者殿。俺は今、ギルドの値付けが低すぎると感じたぞ。なぁ、おやっさん。三百億じゃあ、とても足りない」


「ちなみに、私も今のシリズと同じことができます―――……どうしました?」


 こともなげに飛び出した言葉に、新旧最強の賞金稼ぎ二人は、真顔で目を見合わせた。

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