第三十三話 修行の日々

「赤信号、みんなで渡れば怖くないっていうのは、けだし名言だよな」

「我々の世界では道路交通法違反です。ただし、緊急車両に関してはある条件を元に除かれます」


 マコトは、異世界クリサリアの英雄、勇者の王となった兄の、すっかり定番となった唐突な話題の提供にも、律義に返答する。


「まぁ聞けよ、マコト。誰も、法律を守ろうとしてるんじゃない。罰則ペナルティを恐れてる。もっと言えば、罰則を下す権力を与えられた人間を恐れてる。だから、それが及ばない場所では好き勝手なことをし出す。法に力なんてない。法に守る価値なんて、無いんだよ」


「王シリズ、お言葉ですが、勇者による権威主義的政体を正当化しているようにしか聞こえません。

 法そのものに力がないのは当たり前のこと。何故なら、法が人を守るのではなく、人が法を守ることによって保たれる秩序こそが大切だからです。真に守るべきなのは法ではなく秩序。法とは、人が社会で平和に暮らし続けるために定められた道しるべに過ぎません。

 クリサリア王シリズ。あなたが目指すのは『人の支配』です。それは、どこまで行っても暴力による支配にしかなり得ない。それでは、人を正しく導くことはできません」


「人間社会は、すべからく『法の支配』であるべきだってことか?」


「はい」


「ならば問おう、勇者マコト」


 軽薄だった声色が、黒く染まる。


「法の支配無き世界で、人は、いや、人民はどうなる」


「……社会との契約が解かれた、単なる群衆であり、『自然状態』となります」


「『自然状態』の定義は?」


「生きることのためならば、他者を傷つけ殺めることもいとわない状態です。『万人の万人に対する闘争』、人間の本性が、最も剥き出しとなった状態」


「正確には、危機的状況における人間の振る舞いな。それにしても―――ホッブズか。なぁ、マコト、お前って、『リヴァイアサン』全部読んでそうだよな」


「あなたの本棚に置いてあったものです」


「そうだっけ?」


 本当に、この兄と話すのは嫌になる。


 どこまで本気か分からない。先ほどのように、中学生の屁理屈のようなことを言い出したかと思えば、突然政治哲学の授業でも行うかのような雰囲気を醸し、時には、古典の内容をすらすらと引用したりもする。


「しかし、彼が言うところを読み解くなら、人民の自然状態の暴走、神に次ぐ力の代名詞たる“リヴァイアサン”を抑制するために『法の支配』が必要だと説いたってことだろう。なら、それは言ってみれば、民衆を暴れさせない“力”のある支配者がいれば、法なんていらないってことじゃないか?」


 マコトは、彼女にしては珍しくはっきりと苛立った声を上げた。


「そのような浅い解釈で、愚かな独裁を行っているのですか。ホッブズの専制主義批判と反論など、とっくに知っているでしょう。それとも、あなた個人の力で、リヴァイアサンを抑え込めるとでもいうのですか」


「違うな、マコちゃん」


 その呼び名も、嫌い。マコトは、それが幼児じみていることを自覚しながら、そう思った。


「リヴァイアサンの原典たる『ヨブ記』から引用しよう。かの怪物は神が遣わした“苦難の人”ヨブへの試練の一つで、≪この地上に、彼を支配する者はいない。彼はおののきを知らぬ者として造られている≫のだそうだ。

 俺はこの世界の神によって、この地上で最も強い者として召喚された。つまり―――」


「……」


「俺自身が、リヴァイアサンなんだ。神に次ぐ力を持った、人民の些末さまつな暴走など軽々と凌駕りょうがする力を持った王。力を抑える存在ではなく力そのもの。―――だから俺は作ったんだよ、ってやつをさ」


※※


「大変ですー! 大変ですよマコトさぁん!!」


 最低な悪夢から自分を呼び起こしてくれたのは、辺境の牧場主、小型獣人ケットシーのディナだった。


「どうしたのですか、ディナ」


 少し寝癖のついてしまった髪を手櫛で梳かしながら、眼鏡を探す。


「ボニーさんが、ケンジさんの寝床を襲いました」


「へー……はぁ!?」


 クリサリア西部の早朝。眠気が吹き飛んだ。


※※


 朝食の席で、ケンジが泣いている。横で、ジュンヤが慰めている。


「もうお嫁に行けない……」

「俺はもっとえぐい経験したけど、割と慣れれば平気ッスよ。心を強く持ってください」


「割と余裕あるじゃない。それにしてもボニーさん、すごいね。勇者を抑え込むなんて」


 ピリスの呑気な感想に、辛うじてシャツで胸、短いデニムで陰部は隠した状態という金髪の賞金稼ぎは「ツボがあるのよ」と請け合った。


「つぼ?」

「そうよ、フー。男にも、女にも、亜人種にだって、「ここを攻められたらダメ」っていう急所があるの」

「ボクにもあるの?」

「あるわ。明日は貴方のベッドでお勉強しましょう」

「おいやめろ痴女」


 たまらずと言った風にコーザが突っ込む。朝からとんでもない猥談が為されてしまっている。


「いいや、鎧くん。君のように肉弾戦をしなきゃあいけない勇者こそ、ボニーの“訓練”を受けるべきだ」


 朝から焼き立てのパンをむしゃむしゃと貪り食うビリーが真面目な顔で言う。


「たとえ、相手が賞金稼ぎで最も体術に長けたボニーであっても、普通の人間に抑え込まれたとあっちゃあ、話にならない。精々、多めに夜の稽古を付けてもらうことだ」


「夜のってつけるな」


「何を慌てている? 確かに、結果として君の貞操がどうにかなってしまう可能性はあるが、なに、俺のように、射精一発が致命的になるわけでもあるまい?」


「やっぱり猥談じゃねぇか!!」


 叫んだコーザをたしなめるパーティリーダーの咳払いが響く。


「コーザ、朝からあまり大きな声は控えてください」


「焦った童貞ほどみっともないものはないよねぇ」


 ピリスの、あんまりな煽り節に口元を震わせつつ何も言い返せないコーザ。


「マコトは、そういう話に免疫無いんだから、ちょっとは気を遣ってあげなきゃ」


「な!? ピリス! あなた、仮初かりそめにもパーティの人質という立場で何を―――」


「それってつまり、友達同士とか幼馴染とかいう関係じゃなくなったってことでしょ? なら、私も容赦なく行くよ。さ、ビリーさん、私に射撃の稽古つけてよ、行こう」


「分かった。じゃあ、このボンクラ共の世話は頼むぞ、ボニー」


「はいはーい」


 朝の修行風景。ボニーによる寝込みを襲う襲撃者への対応。なお、不死身のジュンヤを相手にするときはなるが、多分に彼女の趣味も入っているようだ。


※※


 弓矢を射る軽やかな音と、重々しく殺人的な銃撃音が交互に響く。お互い、的を外すことはないが、異名通りの“一穴”ぶりを発揮するビリーに対し、“必中の矢”であるはずのピリスの方が、狙いをぶれさせている。


「ねぇ、ビリーさん」

「どうした」

「私、ちゃんと役に立つかな」

「どうかな―――」


 撃って撃って撃ちまくれ。それがビリーの指導法だった。透明化も含め、異能の精度を高めれば、戦力になるはず。そう思って教えを乞うたが、成果は芳しくない。


「前回の魔王軍残党の襲撃、恐らく、あれが最後だ」

「え?」

「全滅だ。恐らくここからの一年で、魔物もほぼ絶滅するだろうな。その状況を、勇者殿は恐れてる。あまり、時間はないってな」


 勇者が魔物にかかずらうことがなくなれば、いよいよクリサリアの支配は完璧な物になる。シリズの施行する『人の支配』が完成してしまう。勇者に従っていれば平和を享受でき、少しでも勇者の機嫌を損ねれば死が待つディストピアに。


シリズあのひとにビビって裏切ってた私が言うのもなんだけどさ。クリサリアの人たちは、それでいいのかな。そりゃあ、魔物がいなくなったり、ディナみたいな人たちの権利が向上したり、悪いことばかりじゃないっていうのは分かるけどさ」


「それだけじゃあない。俺たちは恐らく、牙を抜かれた。絶対的な力に立ち向かう、気力と自信を無くした」


「絶対的な、力?」


「魔王だ。俺はよく知らないが、みんな、強大な魔法力と、強力な魔物を統率する魔物の王と戦っていた。辛く苦しいものだったろうが、そうして戦い続けている人間には、牙があった。

 だが、悲しいかな、我らが女神マリアン様が、ほかの世界の人間に助力を頼んでしまった。それが間違いだった。自分たちの力で魔王を倒す道を、放棄してしまった。たとえ勝ち目が薄くても、その道を違えちゃあ、いけなかった」


「……なんか、勇者にとっての異能みたいだね。便を得たら、それに頼っちゃって、使い手の成長がなくなって―――ビリーさんと戦ったカレンや、ジュンヤ、私も、コーザも、今朝のケンジは、ボニーさんにも負けちゃった。みんな、都合の良い力に頼るばかりで、戦う上での心構えも、覚悟も何も無かった」


 ピリスが話している間に、ビリーがさらに一発の45口径を、的に撃ち込んだ。空いた穴は、まさしく一つ。それを、ピリスは悲しげな表情で見つめる。


「マコトは、私が必要だなんて言ってたけど、ビリーさんさえいればいいんじゃないかな。どうかな?」

「―――俺は、この道しかなかった」


 真っ黒な髭に覆われた口が、今までとは違う声を発した。二十代後半から、三十代に見える彼の見た目からすると、十歳ほど若返った様な。


「親殺しの孤児で、読み書きはおろか、言葉もろくに話せず、死にかけていた。そんなガキにできるのは、戦うことだけだった」


 紛争・内戦地帯の子供が、少年兵になるしかないような状況。ピリスの世界でもあった、道を選べない子供の話。


「ピリス。アンタには今のところ、選べる道はない。人質ってのは、そういうことでもある。だが、その先は知らない。ギルドを抜けるのも、パーティを抜けるのも自由だ。だから今だけは、覚悟を決めろ。俺じゃない、アンタを必要だと言った、あの勇者殿を信じろ」


「……うん」


「無駄口は射撃の精度を低める。教官からのありがたいお言葉だ。よろしくて?」


「はい! ―――で、さ」


「ん?」


「ビリーさん、緊張感が欲しいから、これから私と勝負してくれない? ビリーさんが勝ったら、言うことなんでも聞くから」


「ほう、淑女とは思えない発言だが、いいのか」


「淑女ではあるけど処女ではないもんね。パーティの男どもやあのマコトおぼこさんと一緒にしないで」


 あっけらかんと笑顔で言い放つピリス。やはり、良い性格をしている。


「それはそれは―――で、俺が負けたら? あり得ないが」


「ビリーさんの髭、剃ってあげる」


「……ほう」


「うふふ、素顔は結構イケメンだと思うんだよねぇ。その竜の死骸みたいな目も、ちょっとは光を取り戻すかもって思うと、モチベーション上がってくる」


 つまりこれは、ビリーにとってアイデンティティを守る戦いということ。


「良い心構えだ。なら俺も、先に要望を伝えておこう」


「……うん」


 調子に乗ったことを言っておいて、いざとなるとやはり緊張するらしい。そんな優柔不断な弓嬢ピリスにビリーは、こう言った。


「シリズを殺す役目を、アンタにやってもらう」


※※


 それから、ビリーによるマコト一行への修行の日々が続いた。


 そして、クリサリアでの一年が、あっという間に過ぎていった。

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