玖日目
さて、朝が来た。
昨日と同じではない今日が。
――春さんが恋人になって初めての今日が。
とはいってみるものの、本質的には何も変わらないだろう。僕の肩書が『非リア充』から『リア充』になったことぐらいか。
さて、恋人ができても僕は日課を欠かすことはない。
今日はどこへ行こうかな。
「ん……あ、秋斗君」
「あ――春さん。起きてたの――ッて!? 何を手に取って……!」
「ん――ああ、これ? 秋斗君の」
春さんは、布団の中から出した『ソレ』を取り出した。
『ソレ』は――まごうことなき僕の薄い本だった。
はい、と差し出してくるその本を、僕は見ることしかできなかった。
「秋斗君、欲求不満なんだねぇ~それがよく分かったよ~まさか」
「それ以上は言うなッ!!!!」
誰が知りたいか! 僕の性癖を!
「私が知りた~い」
「心を読むな! んで、さっさと返せ!」
「んじゃぁさ~? ――これは何のジャンルなのか、言ってくれたらいいよ~?」
まだ寝ぼけているからだろう。――調子にのりあがって……! 絶対に後悔させてやる!
「それはなぁ! ――ぁぉか……」
「え~? 聞こえないよ~?」
うぜぇ。寝ぼけた春さんがこんなにムカつくとは思っていなかった。
「あのさぁ! 思ったんだけど! 春さんさぁ! それ読んだんだろ!? じゃあ春さんのほうが知ってるだろう!? どんな内容だったか、教えてくれよ!」
「え~? ――え? え、え?」
――この戸惑い方は、明らかに脳が覚醒した証拠だった。
さあ、今までの報いを受けよ!
「春さんさぁ? それ読んだんでしょ? なら内容分かるよね? さあ、どんな内容だった? どんなジャンルだった? ねえ教えてよ!」
「え? その……あの……あれだよ! その~……」
「どうしたの~?」
こうなってしまえば余裕だ。後は待つのみ。
「あの、ね? 秋斗君は知ってるだろうけど――これはあおか、ん? って……奴で……ううっ……主に、お胸のおっきい子が、出て、て……ううっ……」
――泣いてしまった。
いや、恥ずかしくて顔を隠したのかもしれない。
ともかく――やりすぎた、ということだ。
「あの~春さん……? ごめんなさいね……?」
「ひどいよ……私がないの知ってて、そんなこと言わせたんだ……」
「決してそんな下な理由があるわけではないけど……」
「だって! 私に『お胸の大きい』って言わせたかったんでしょう!?」
――毎回思うのだが、こういうことを平気で、しかも当たり前のごとく言える見れるって、女の子の中ではすごいと思うんだよなぁ。――ナイトメアとかはテンパって見る、言うだろうし、魔裟斗さんはナニコレ? としか言わなさそうだ。
それなのに、自分に関する、というか実在しているのが分かるものになった瞬間、恥ずかしがるもんな~。よく分からないものだ。
それにしても、春さんって――貧乳なこと、気にしてたんだな。今後、あまり触れないようにしよう。
「――あのね? 私が心読めるってこと、分かって思ってるの?」
「――! ああ、そうか。ごめんごめん」
「許してほしかったら、好きな事させて!」
――何か企んでる顔をしている。――はあ、どちらにしろ、僕は春さんの思惑通りに動かなければならないようだ。
「で。何をお求めで?」
「ん~じゃあ――森に遊びに行きましょっ」
――――――。
何故森だしッ!
さて、こんな町、どこにでも森があるような町だから、どこの森に行こうか迷ったが、ここは一番近い、というか春さんに合わせて、春さんの神社――つまり『東』の神社に向かった。
昼過ぎてからだが。
さて。そうして、森に入ってから10分、20分ぐらい経っただろう。
――ここは、どこ?
「森なんて景色変わんないじゃん! 何でこんなところに来たかったんだよ!?」
「ぶ~……何でそんなに文句言うの? あなたが私を泣かせたからでしょ? えっと、何だっけ? 確か好きなジャンルは――」
「分かりました僕が悪かっただから何も言わないでくれ頼むよぉ!!」
縋りつき、懇願する。
はたから見たら、それは異常なのだろうが。
僕はそうすることしかできない。
だって――だって春さんに知られてしまったものは、あまりに僕への損害が大きすぎるだろう?
僕もいつか、いつか春さんの弱みを握ってやると、心に誓った。――まあ、春さんに心を読まれているから、これも春さんには分かってしまうだろうけど。きっと浮気なんてしたら、一瞬でばれるだろう。
「あのねぇ……私が神様じゃなかったら――いや、それ今どうでもいいけど。彼女の前で浮気のことを考えるとか、頭大丈夫?」
――――最近辛辣になってきたなぁ、春さんも……。
「えっ。私、そんなに辛辣……?」
――まあいいだろう。僕の心が広くて良かったな!
「何でそんな誇らしげ……? ――てか、口を使って話しなさいよ……」
「確かに。それもそうだ。神様の力、あるからいいやって思ったけど」
それより、と。
「僕と春さんって――昔からの仲ってぐらい、会話がスムーズだよね」
僕には、記憶に残る限り、5歳の頃の友達が一番最後の友達だ。しかも、それはあのトップ集団ども。
それ以来、僕は――知っての通り、『怪物』と呼ばれた。呼ばれていた。
それから、誰も僕の周りには寄ってこない。――それが生きやすくもあったが。
それから――――いや、デート中だ。こんな話は、きっと何の生産性もない。
さて、何気に言ったその言葉で――何故春さんはそんな顔をしているのだろう。
まるで、いたずらがばれた子供のような。まるで――それが、さっき僕の言ったことが図星であるかのような。
だがしかし、そうなのだとしても、もし子供のころからの付き合いなのだとしても――それなら、春さんと過ごした記憶は何かしらあるはずなのに、僕にはそれがない。
春さんが一度死んで、今この場にいるとしても。それはあり得ないことだ。
それこそ、奇跡のようなものだ。そして、それがあり得たところで――その奇跡には軌跡がない。
軌跡のない奇跡。これは奇跡ではない。それは周知の事実。無数の変数の――改ざんが行われたことぐらいのことがなければ。
――いや、春さんのことだ。どうせ照れているとかだろう。
そう結論付けて、春さんの頭を撫でてやる。
「で? 春さん。森に来たのはいいけど。これからどうするの?」
――きっとろくな答えは返って来ないと思っていたが。
しかしそれは思い違いだった。
「ん~――私、川で遊びたい」
――――――。
何故川だしッ!
――幸い、というべきなのか悩んだが、川は――森の仲ということもあってか、すぐに見つかった。
というか、それが考えられた脳があるのなら、何故着替えを持ってこなかった……。
「はあ!? だって私神様よ!? 着替えなんて要らないし、そもそもあの家に私の着替えなんて置いてないでしょ!?」
「それもそうか……――てかさ、それだったら、お母さんのを借りたらよかったんじゃ……?」
「あーあー! なーんにも聞こえなーい!」
――ぜってー聞こえてる。
まあ、神様だし、その辺もどうにかなるのだろう。
――姿を変えれたり、とか。それぐらいはできるのだろう。
「まあ、水着に着替えるなら、早くしてくれよ」
そう言い、後ろを向く。
――春さんは一応返事はするが、その音よりも――何故かガサゴソいっている音のほうが音が大きかった。――てか、何の音だよ。いったいどこからそんな音なってんだよ。
「あ、そう言えば春さん――」
この辺、よく虫が出るから気を付けてね。
と言おうとした時だった。
振り返ってしまった。――そこには、上半身裸の春さんがいた。
「キャッ! チョッ……!」
「あっ! ――ゴメンナサイッ!!!!」
ほとんど条件反射で振り返るのをやめたので――幸い何も見えなかった。まあ、それでも少しは見てしまったが。それでも見えたのは、まあ隠している春さんの背中だけだったけど。
「秋斗君……? もしかして――見た……?」
その声からは、羞恥心が漏れていた。
「いいや何も見てない何も見えなかったよッ!!」
僕も僕でテンパっていたので、一言多かったような気がするが――まさかそれに春さんが反応してしまった。
「秋斗君!? 何も見えなかったってどういうこと!? 私そんなにおっぱ」
「それ以上はやめとけッ!?」
「私だってあるわよ!? 人並みに! 見えなかったって――もうやめてぇ!」
――やっぱり貧乳を気にしていた。
――――とにかく。
ひと問題あったが、とりあえず着替え終わったらしい。
――僕は水着なんて持っていなかったため――というか、春休み中に水着を使うなんて思いもしなかったため、僕は泳げず、春さんが遊んでいる姿を見ることしかできなかった。
急だが――水着というのは、体のラインを見せつけるようなものだ。
故に、というべきか。こういう時に使う言葉を知らないため、何とも言えないが。春さんのそれはとても美しかった。――胸だけが残念だったが。超がつくほど貧乳だった。
しかし、それ以外は本当に完ぺきだった。女子のくびれも、足も手も。
何より楽しそうな笑顔がよく似合っていた。
こんなことを言うのはまことに恥ずかしいのだが――流石僕の彼女だ。
髪が長い神様は、どうやらその髪が少し邪魔に、僕には見えてしまった。
春さんもたまに髪を見ながら、邪魔そうにしてたし――川から上がった後も、髪邪魔と言っていたし。
――さて、もうそろそろ日が暮れそうだ。
まだ5時ぐらいだろうが、帰り道に迷わないと言い張れるほどの方向感覚は持ち合わせていないので、日が暮れないうちに早く帰ろう。
春さんに声をかけ、着替えを待ち、山を下っていく。
――春休みも、また1日なくなってしまった。まあ楽しかったから別にいいけど。
――ああー、運動したー。
久しぶりに泳いだため、体が疲れた。全身に倦怠感がある。――けど、それが気持ちいい。
もしも秋斗君が私の心を読めるのなら、きっと私はドMとして春休み中ずっと呼ばれるのだろう。――それは、嬉しいような嫌なような。いやいや、こう思ってる時点で、私はMなのかもしれない。
いやしかし、わがままでこんなところまで連れてきてくれるとは、秋斗君も優しいな。――春祭りの頃の話は、やっぱり嘘なんじゃないかと思うぐらい。
いや、実際あれが本当って理由も根拠もないから、私は信じてないけど。いや――信じたくないだけかもしれない。
私はある程度心が読めるから分かるけれど――あの心に、嘘の気配はなかった。
だからこそ――それが嘘と決めつけることができなかった。
――――秋斗君にだけ叱っちゃって、悪かったな。私も人のこと言えない。秋斗君が浮気を気にしているのなら――私は過去を気にしているのかも。
――こんなこと考えるのも失礼ね。私は神様なんだから、皆に憧れる存在でいなきゃ。
秋斗君が慕ってくれているかはしらないけど。――きっと慕ってくれてないんだろうなぁ~……。
まだ歩いていく。――私は方向音痴なため、もうどこから入ってきたかが分からない。
だって、大概迷っても、空間転移が――あ。
それ使えば、もう少し遅くまで遊べたんじゃ……。というか、今、空間転移で帰ればいいんじゃ。
「ねえ秋斗――君……」
今まで考え事をしていた自分が悪いのか――それとも、また別の問題なのか。
私たちの目の前には――首吊り自殺者の死体が――
私たちを見下していた。
秋斗君がそれを凝視している。
が、しかし。すぐに目を離し、その死体の下を歩いていく。
――振り返り、笑顔で。こんな状況なのに、人が死んでいるというのに、満面の笑みで。
「? なにやってるの春さん? ――早く帰らないと、皆心配するよ?」
手を差し伸べてくる、その人が。
恐ろしく、怖く見えた。
まさに、異質。祭りの時、彼らが言ったように。
秋斗君は、死体を見て尚。
笑顔で私を見てそう、言った。
それはまるで――悪魔のようで。
私には――知らなくていい、むしろ知りたくもなかったことを、叩きつけられたような。
ハンマーで胸を打たれ、その痛さにも浸れず。
その――『悪魔』を見ることしかできなかった。
それは――命を知らぬ、『伝承』のような佇まいであり。
命を知らぬ、『伝承』のような――笑顔だった。
「春さん? どうしたの? 早く行こうよ」
もう日が落ちてしまうではないか。
何でそんなにその死体を見ているのだろう。それを見て――何が面白いのだろう。
昔あったことだが、皆死体を見ると、一目散に散っていく。――その理由が分からなかった。
「春さん、早く」
しょうがなく、手を差し伸べる。
しかし――春さんは差し出した手に対して――「ヒッ……!」と小さく悲鳴を上げるだけだった。
「だって、秋斗君……人が、死んでるんだよ……?」
「うん。『で?』」
その言葉を聞いた瞬間、春さんが小さく「近付かないで」と言ったのが――不運にも聞こえてしまった。
何故そんなことを言うのだろう。
「秋斗君……あなた、本当に何も、感じないの……?」
「え? だって――ただの死体でしょ? 僕たちの知らない人の」
そして春さんは――――その言葉を聞いて、消えてしまった。
そして、僕はその意味を――悟ってしまった。
そして、不運にも――彼女に近付くなと言われてしまったことに、深く傷ついた。
――僕は、人ならざるものだと、彼女に遠回しに言われてしまったことに――深く傷ついた。
――初めまして。こういう形で会うのは初めてだろう。
私は――この物語の作者、という奴だ。
――そこまで本編からずれないが、秋斗君は今、昔が頭に流れている。
それを――――私目線でお送りしよう。
――――秋斗君が年を5つ重ねたころ。
まだ友達だったトップ集団と共に、空き地で――いや、森で、鬼ごっこをしようと、そういう話になった。
空き地には、本当に何もなく誰も来る気配もない。
そんなところで――先程提案された鬼ごっこを皆でしていた。
まあ、鬼ごっこをしたことのある人なら分かるだろうが、あれは中々疲れるもので――それはこの子供たちにも通用するもので、遊びは早々に交代された。
とりあえず休憩する集団。
その頃は、まだ秋斗君もその輪には入れていた。というか、その集団のなかでも中々上のほうに位置していたような気がする。――お父さんとお母さんが人気だったから。
さて、休憩も終わって、集団が集まる。
今は、次何の遊びをしようか、話し合っている途中だった。
――その裏に来ている人に気付かずに。
そして、それに気付くことになったのは――とにかく、いやな気付き方になった、とだけ言っておこう。まあ、詳しく説明はするつもりだけど。
さて、秋斗君たちの後ろの木が、ガサガサッと鳴って――音に敏感な5歳児なため、それを見てしまった子供たちは――その景色に、息をつめた。
――人が、女の子が、秋斗君たちを見下していた。
半端に開かれた目で。無機質な瞳で。
秋斗君たちを見下していた。
トップ集団はその視線におびえ、怖がり、すぐにその場を後にした。――まるで何かにすがるように。
その中の1人は、その場に座り込んで動けなくなってしまっている。
だが――秋斗君だけは、違った。
様子も、態度も、何もかも。
その死体を見上げ、そしてそれを気にする風でもなく。
今度は去っていった仲間のほうを見て。
悲しそうにこう言った。
「え~……もう解散?」
そして続けて。
「まあ、いっか。――やった。ここ、独り占めできる」
と。
微笑みながら、言った。
それは、場違い以外の何物でもなく。
それが、『伝承』と言わせるだけの説得力を持っていた。
そして、近くでへたり込んでいた子に――先程のように笑顔で手を差し伸べ、言う。
「さ、他の皆は帰っちゃったから、僕達だけで遊ぼうよ」
――その少年は、初めから腰が抜けていなかったかのように、一目散に『秋斗君』から離れていく。
――その少年の後日談として、少年の目には――秋斗君のほうがよっぽど死体よりも怖かったらしい。
それからというもの、秋斗君は学校で『怪物』と呼ばれるようになった。
そして――いじめられ始めた。主に、トップ集団に。
皆――先生方も、無論それを見てはいたがしかし、『伝承』と重なる子供なぞいない方がよかろうと、いじめを放置していた。――それは、知らないふりしている奴らよりも、よっぽどひどい。先生公認のいじめなど、存在していいものか。
さて、本編から話がずれてしまったが――秋斗君はそれらのいじめにも屈しはしなかった。いや――それすらも、何とも感じなかった。
だからこそ、いじめはエスカレートし、秋斗君の前で動物を虐待する輩が出てきた。
それを見ても、秋斗君は何も感じなかった。それを見て、連中は楽しんだ。まるで1つの娯楽のように、その様子を見て――嗤った。
その中には、秋斗君をさらに悪名高きものにしてやろうと、自分の命を賭してまでそれを実行する輩も現れた。――要するに自殺だ。
ちょうど、秋斗君が外の空を眺めている時だ。その秋斗君の視線に入るように、屋上から飛び降りる生徒がいた。それは他の生徒には公表せず、個人で行ったもので、他の生徒たちは驚きと恐怖を心に秘めていた。――人が死んだということよりも、それに反応さえしない、何気ないように次の授業の準備に取り掛かる秋斗君を見て。
それによって――秋斗君が先生からお怒りを受けた。
何でこんなことになったと。
それに秋斗君は、こう答えた。
――僕には関係ありませんよ? 彼がそうしただけでしょ。まあ、死んだところで、っていうやつですかね。と。
そして――その先生は、言ってしまった。――お前がここにいるから悪いのだと。お前が――
邪魔なんだと。
――それから、中学に上がり、町の外の学校に通ったせいもあるのだろうが、もういじめはなくなった。が、その学校では誰とも出来るだけ関わらないようにした。――関わると、また自分の時間がとられると。あくまで自分の不利益のことしか考えていなかった。
だが――そんな静かな学校生活も終わりを告げる。
――誰かが、秋斗君をいじめていた誰かが、その中学校に――情報を流したのだ。
その結果――いじめまでは行かずとも、秋斗君は、その学校での会話権を失った。
いてもいなくても、同じ。空気のような存在に。
それを、春さんたちはもちろん――親たちも知らない。
そして――今日この頃を迎える。
語るに恐ろしいこの話は、ここまでだ。ご清聴感謝する。
長きの過去を見て、僕は今、地面にヘたれている。
地面を頭に押し付け、誰かに頭を下げているように見えなくもない。
だが、勘違いをしないでほしい。――あくまでも、春さんに見損なわれたかもしれないことに、今は打ちひしがれていることに。
――向こうのほうから、足音が近づいてくる。音からして――人数は4,5人だろう。
そして、それの心当たりが――トップ集団の奴らでしかないことは、何とも分が悪い。――いや、タイミングが悪い。
音が近づき、そして声が聞こえる。
きっと死体を見て言ったものだろう。気持ち悪いなどの声が多々聞こえる。そしてその声は――案の定、トップ集団の奴らのだった。
そして、その付近にいた僕に気付いたのだろう。僕を見るなり、鼻で嗤いだした。――死体を見て、またどうせとでも思ったのだろう。
「おやおやぁ。こんなところに、いい蹴り具合の石があるじゃないか。皆――サッカーしようぜぇ」
――聞こえるように、わざと大きな声で言ったのだろう。しかし、慣れっこだ。そんなのは、痛くない。
暴力なんて、痛くない。
――着々と蹴り続けるトップ集団は、反応のない僕を見て、初めは舌打ちをしたものの――その後、かすかな笑い声が聞こえてきた。
いやな予感がする。
「おい、そう言えばさぁ。――こいつの連れ、どうしたんだろうなぁ? ――こいつ、捨てられたんじゃね? 情けねぇ。あいつも気付いたんだろうなぁ。――こんな奴と一緒にいた自分が『恨めしい』ってさ」
――やめてくれ。胸が痛い。
黙々と蹴り続けられるよりも――そちらの痛みのほうが、痛かった。
「でさぁ。どうせこいつ、また1人になってくんだぜぇ? 親にも捨てられ、友達なんていない。天涯孤独さ、よかったなぁ」
『嫌われ者で』
――その一言が、僕の心にどれほどの負荷が付加されたかは分からない。
ただ、気付いた時には、僕は相手を殴っていただけで。
そして、4,5人に殴り返されただけだ。
目なんてもうまともに開かない。足も、手も。どこも言うことを聞いてくれない。
殴られ続ける僕の身体からは――僕の意識は完全に隔絶されていた。
――あいつらの言った、天涯孤独ってのは、あながち間違いでもないんだろうなぁ、なんて呑気に考えている自分がいた。
それを気味悪がろうとも、それができない。
ただ。去っていった奴らの顔面に――唾さえはけなかった自分の身体を呪った。
ただ、自分を呪い。
初めて怒ったであろうあいつらを――呪った。
――夜が更けていくのが、目が開かないながらも分かる。
手と足も、少しずつだが動くようになってきた。
だが、まだふらふらだ。――あれからどれだけ時間が経ったかさえ分からない。
家に帰ろうにも――場所が分からない。いや、いっそもう今日は帰らないでおこう。
春さんも――皆もどうせ、僕のことを嫌っているんだ。そんなところに――
「僕の居場所はない」
そう言い、力を振り絞り立ち上がる。
立ち上がってしまえば、もう簡単だった。
後は――どこかに向かって歩くだけ。――もういっそ、このまま死んでしまっても構わない。
――――どうせ、僕の居場所なんかどこにもないんだから。
帰っても仕方ない。皆は、僕のケガをどうにかしてくれるだろうが、春さんがあのことを話していない証拠なんてない。
それを知ってしまった瞬間、皆は僕と一言も話さなくなるだろう。
そう考えると――胸が痛くなる。
――――ああ、そうか。これが、『普通』なのか。
だとしたら僕は――――遅すぎた。
もうどうしても、失うことしか考えられない。
これでは、無垢な子供より質が悪い。
遅すぎで、手遅れである。
何も手に入れられず、何もかも、なくすだけ。
それならもう、僕は――廃棄物に等しいではないか。
普通なんてものから、目をそらしすぎた。僕の目が今、現実を――精神的にも物理的にも見ていないのと同じ。
僕は普通を――精神的にも、物理的にも、見てなんかいなかった。
今まで見てきたと思っていたのは、思い込みだと。全てが幻想だったと。
――ただ、目をそらしていただけだと。
目をそらし続けた結果――罰がこれだと。
――神様なんかが本当に本当にいんだとしたら。
「何で僕なんかをこの世に顕在させた……!」
これもまた――怒りなのだろう。
ああ、何でこんなにもすべてが、遅いのだろうか。
遅くて。遅すぎて。
そして――遅すぎ『た』。
それならばせめて――命の消滅だけは早くなってほしい。
居場所のない場所から――否定する世界から、逃げ出したい。
そうして、さまよい歩き。
――地面に突っ伏した。
今夜は、密会が――行われない。
静かに、明日を迎える。
恨めしくて、残酷で。
実に現実的な、世界が。
また始まる。
何かを生み出し、何かを消している。
生産性のない、世界が。
無意味を生かし、意味を生かさずしている。
実に生産性のない、世界が。
また、朝を迎える。
――無意味を、意味あるものに変えるため。それを、あるべき場所に、返すため。
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