19:小児科医の男

 午後八時を回って、少しだけ車が空いた大通り。この後タクシーが溢れかえる九時台以降にここを通のは大変だろうと、勇造はハンドルを握りながら漠然と考える。現場に水田を残し、軽ワゴンに乗り込んで、勇造は研究所を目指していた。助手席に経済日報の川嶋を乗せて。


「どんな風の吹き回しです」


 肩に掛けていた取材用の黒バッグを膝に載せ、メモ帳をめくりながら川嶋は勇造に問いかける。


「どうもこうも、話が途中過ぎる。最後まで話を聞いて、その上で全部判断したいんだ」


 ネオンが眩しく光っていた。都営団地の騒ぎが嘘だったかのような、煌びやかな光の下、高級車に混じって走る白いワゴン。その車内だけが妙に現実味を帯びていた。土と作業機械の臭い、カーブを曲がる度にバウンドする座席、そして勇造の荒い息。現場から持ち出した緊迫感をそのままたずさえて、車は走る。

 事件から数時間経ったと思われるこの時間も、湊斗ミナトの足取りは掴めていない。一緒にいたという数人の少年たちがどうなったのか、彼らが何者なのかさえわからない。どこに行って何をしているのか。勇造は気が気でなかった。

 同時に柳澤からの呼び出し。午前中に済ませた血液検査の結果が早々にわかったのか。呼び出さねば話せぬ内容、しかもこんな夜遅くに伝えたいこととは一体何なのか。考えれば考えるほど焦りが募った。

 情報が欲しい。例え嫌な相手からでも聞き出せるなら根こそぎ聞き出してやりたい。そんな気持ちで勇造は、毛嫌いしていた経済日報の川嶋を車に乗せた。

 川嶋はそんな勇造の気持ちを知ってか、信号で車が止まり落ち着くのを見計らってから、ようやく事務所で喋りかけた続きを話し始めた。


「たしか、病院が共通していると、そこまで話しましたね」


「ああ」


「これは警察や取材などでかき集めた資料を整理してわかったことなんですが、個人情報だの未成年者の人権保護だのってうるさくて、外には出てない情報の一つなんですよ。今年の春以降殺傷事件を起こした少年たちの出身地や家庭環境、その他諸々整理して……この辺は話した気もしますが、まとめていくと面白いことがわかりましてね。不自然なくらい、生まれた病院が偏っていたんです」


「不自然なくらいって、どのくらいの割合で」


「三割弱の少年が同一の総合病院、他一割強ずつが五つの病院で、残りが個人病院や産院などで生まれています。超少子化のこのご時世、いくら産科のある病院が少ないと行っても不自然な数字です。ちなみにこれは、関東圏で起きた事件だけじゃなく、全国で起きたものを集計した結果ですよ。ちょっとあり得ないとは思いませんか」


 言われてみれば不自然な数字だ。眉間にしわ寄せ、勇造は唸った。


「もう一つ、関連して。その中で数値の高い六つの病院の共通事項を、我々は発見したんです」


「それは?」


「六つの病院、全てに共通して、ある小児科医が勤務していた形跡があるんですよ。その医師の経歴、調べていくと更に面白いことがわかりましてね」


 川嶋はそこまで言うと、もったいぶって一度口を閉じた。

 運転席から助手席に目を向けると、川嶋が含み笑いしてこちらを見ている。その顔にネオンが反射し、不気味な面のように暗闇に浮かび上がっていた。ブルッとひと震いした後、勇造はもう一度「それは?」と聞く。


「驚かないでくださいよ。その医師、あの研究所の所長、柳澤圭司と、同じ大学の同じ研究室にいたらしいんですよ」


 思わず、アクセルを深く踏んだ。一瞬コントロールを失い、ワゴン車は左右に大きく揺れたが、すぐに体制を立て直しスピードに乗って更に大通りを進んでいく。

 大きく深呼吸、額から垂れる汗を腕でぬぐって、何とか落ち着こうとしている勇造を嘲笑うかのように、川嶋は話を続ける。


「つまりあの所長、事件の成り行きを全部知ってるんじゃないかと思うんです。だからワザとマスコミを遠ざける。警察だって、我々と同等かそれ以上の情報を持っているはずですよ。それどころか、どんなナノが流行してるかも……これは、警察は否定してますけどね、知ってるはずなんです」


「なるほど。それは面白い話だな」


「でしょ」


 二人、にやりと笑い合う。


「柳澤所長が一体何のために俺を呼び出したのか知らないが、その辺のことは深くツッこんで聞く必要がありそうだな。で、その医師は今」


「それが、行方不明らしいんですよ」


「行方不明?」


「三年前に勤務していた総合病院を最後に、足取りが掴めないんです」



 *



 警察の現場検証が終わり、次第に人並みが引いてきた。事件現場を目撃した湊斗の友人義行よしゆきはパトカーに乗せられ自宅へ送られて行く。沢口が最後に、「なんかあったら連絡くれよ」と名刺の裏に携帯番号を走り書きして義行に渡したのを、水田は離れたところから見ていた。

 ざわめきが無くなり、いつもの静かな団地に戻りつつある。古めかしい、いかにも安っぽいこのアパート群で、誰が凄惨な事件を予感しただろう。そう思うと寒気がした。

 乗ってきたワゴンを勇造にとられ、事務所に帰る方法を失った水田は、ダメ元で沢口に乗せてくれと頼んだ。


「本当はあんまりうまくねぇんだが」


 言いながら沢口は快く送ってくれる。なんだかんだ言って、いい人に違いない。

 部下に現場周囲の警備等指示をして、沢口は水田をパトカーの後部座席に乗せた。ハンドルを握る沢口の表情は言葉と裏腹に硬い。


「丁度、俺も聞きたかったことがあってな」


 運転席から少し振り向いて、沢口から声を掛けてきた。


「お前ら、事件のこと、どの程度知ってンだ」


「どの程度知ってると思います」


 水田はそうふっかけた後で、


「――冗談ですよ。乗せてくれたお礼です。喋りますって」


 バックミラーから覗く沢口の鋭い眼差しに謝った。

 パトカーは繁華街を抜け、静かな住宅地へと向かう。その先に便利屋一ノ瀬の事務所がある。


「連続して起きている未成年事件の根底に、ナノ汚染があるかも知れないというのは、我々だけじゃなく、マスコミも感づいてるところです。下手したら一般市民も、ある程度知っているのかもしれません。ネットで噂になってるとか何とか。――で、あの研究所のことですが、我々は残念ながらどういう施設かイマイチわかってないんですよ。ナノマシン関係の研究、動物実験もしているようだってくらいで。正直、俺はあの所長さんとは顔を合わせるのも嫌なくらい、気が合わなかったですけどね。それからあの新聞社員面白いことを言っていました。事件を起こした少年らには共通事項がある、それは彼らが生まれた病院にあると。しかし、そこまでです。詳しいことを聞こうとした途端、電話が鳴って呼び出された。湊斗が事件に巻き込まれている、それで話は中途半端に」


「なるほどねぇ」


 沢口は大きく息を吐いて、ハンドルを切った。


「ところで警察は、少年たちの居場所を突き止めるのに、どういう方法をとってるんです。まさか、虱潰し、検問、そんな方法でですか」


「まぁ、お前ンとこの湊斗少年が携帯電話でも持ってれば、電波の発信源から突き止めることも出来ただろうがな。携帯も買えんくらい貧しいそうじゃねぇか。事件に関係した別の少年たちの身元が判明すりゃあ、そいつらの持ってるだろう携帯の電波を頼りに何とか探せるとは思うんだがな。実際の所は所轄総動員で近くの空き家空き店舗、公園なんかを探してる状態だよ。見つかったときには最悪の事態ってことも、ありえなくはねぇな」


「あんまり……考えたくはないですね」


「だろ」


 住宅街に入り、道が狭くなるとパトカーは一気にスピードを落とした。辺りのざわめきや光が無くなり、闇の中に街灯の明かりだけが並んで見えきた。


「あの少年が行きそうな場所はわからないのか」


「いや。彼はあまり、身の上を話しませんでしたから」


「義行とかいう、彼の友人も言っていたが、相当変わった少年らしいな、彼は」


「変わってる、というと」


 水田は身を乗り出して、声を絞った沢口の台詞に耳を傾けた。


「交友関係が殆どない。小学二年前後から学校にも行ってない。母親は夜の仕事、父親なし。滅多に人に心を開かないそうじゃねぇか。お前らに対してはどうだったんだ」


「俺たちに対しても……さほど、変わりませんよ」


 奇妙な沢口の質問に、水田は一抹の不安を覚える。これは、捜査と何か関係のあることなのか、ただの興味なのか。沢口の心の中が知りたくてたまらなくなっていた。


「勇造のヤツに、沢口さん言ったそうじゃないですか。『ヤツから目を離すな』って。どういう意味だったんです。それこそ、あいつがナノに感染していると、いつわかったんです」


 フンと、沢口は鼻を鳴らした。そして目を細め、よりいっそう表情を険しくする。


「ナノについてはコメントできないが、あいつの目がな」


「目、ですか」


「今まで見てきたいろんな事件、その犯人らの目にどこか似ていた。ただの思い過ごしだといいが。あいつ、常に誰かを殺そうと――殺したいと思ってはいなかったか」


 そこまで聞いて、水田は思わず変な声を上げた。


「覚えが、あるんだな」と、沢口。


 熱にうなされていた夜、『あの女』と何度もうわごとを言っていたと沙絵子に聞いた。母親とは上手くいっていないらしい。たった二人の親子なのにと嘆いていた沙絵子の寂しそうな顔が、水田の脳裏に浮かんでいた。しかし、いくら憎いからと言っても、本当の母を殺そうと思うだろうか。何よりあの頼りない少年にそんな殺意があるとはとても思えない。


「あると言えばある、ないと言えば無い、その程度ですよ」


 曖昧な返事しかできないのは、水田自身、湊斗と積極的に接しなかったからかも知れないと今更ながら悔やんだ。

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