18:いつから知っていたの
時間が経つにつれ、野次馬の数が増えた。旋回するパトランプに反応し、団地のあちこちから人が集まってきていた。警察の事情聴取に聞き耳を立てていた聴衆から「犯人、また子供だって」「高校生らしいよ」「こんな近くで」等々、事件に関する情報が広がっていく。少年らが奇声を上げながら走っていくのが見えたという声、その中に血だらけの子供が混じっていたという声。水田は少年に話を聞く勇造を遠巻きに見ながら、野次馬の言葉に耳を傾けた。
その少し離れたところで、経済日報の川嶋が必死に電話を掛けている。今事件現場にいる、また少年らが関わっていると大声で叫んでいるのが耳に入った。
「いつからお前ら、新聞屋とつるんでんだ」
水田にそっと耳打ちしたのは沢口だった。やはり勇造の様子を監視しながら、背後でちょろちょろと動き回るひょろ長の男を不審に思っていたのだ。
「つるんでるつもりはありませんよ。警察がくれなかった情報を、どうやら提供してくれるらしくてですね。仕方なく一緒にいる、それだけです」
「それだけ、か」
「
「それは」
沢口は一瞬言葉を詰まらせ、
「ノーコメントってヤツだよ」
皮肉たっぷりに笑って見せた。
秋が近づいてきたのか、夜風は冷たかった。この寒空の下、湊斗はどこへ行ってしまったのか。何一つ無い手がかり、警察は手を尽くして捜しているというが、闇の中で見つかる保証はない。
見つかったとして、果たして真っ当な状態なのか。いや、湊斗は本当に『狂った』のか。感染しているかも知れないナノの特性がどんなか、はっきりわからなければ場合によっては命の保証も。
そこまで考えて水田はブルブルと顔を振った。
「一ノ瀬、ちょっといいか」
少年に礼を言い、慌てて戻ると、沢口は上着のポケットをまさぐり、四角い何かを手にとって勇造にそっと差し出してきた。
「結果。きてるぞ。――本来は保護者に開封して貰うところだが、母親があのざまだ。開封して、事態を見極めるんだな」
宛名シールに湊斗の名前。『血液検査結果のお知らせ』と表にある。
手が震えた。
勇造は覚束ない手つきでびりびりと封筒の端を破った。恐る恐る中から出した桃色の紙。『要再検査』の文字が上部にくっきりと印刷してある。高鳴る心臓の音に突き動かされ、勇造は勢いよく封筒から目を離した。
「湊斗は、湊斗はこの封筒」
「見てるわけねぇな。未開封のままだ」
「さ、沢口さんは、知ってたんですか」
「何を」
「いえ、知ってたんでしょう。湊斗がナノに汚染されていたこと。そのナノが、一般に知られている医療用のナノじゃなくて、戦と」
「――医療用ナノじゃなくて、なんなんですか」
言葉を繋いだのは、沢口ではなかった。経済日報の川嶋が、手帳にペンを走らせながら近付いていた。
川嶋に見られてはまずいと、勇造は受け取った封筒を二つに折って無理矢理胸ポケットに押し込んだ。
「沢口刑事、事件の原因はやはりナノ感染だと、そういうことなんですね」
一ノ瀬たちに紛れ、素知らぬ振りをして立ち入り禁止区内に潜り込んでいた川嶋が、ここぞとばかりに沢口に質問を浴びせてきた。
経済新聞の野郎かと小さく呟いた後、沢口はギッとひょろ長の川嶋を睨み付ける。
「一ノ瀬に一体何吹き込んだ」
「人聞きの悪い」
「ナノが原因だなんて、俺は一言も喋ってねぇ。そんなことより、事件には未成年が絡んでるんだ。易々と取材に答え、記事にさせるわけにはいかねぇんだよ。世の中には書いていい記事と書いちゃ悪い記事がある。その辺、世に知れた経済日報さんはちゃんとわきまえてるんだろうな」
沢口の睨みをかわし、川嶋は闇の中でにやりと笑った。
「もちろんですよ。じゃあ、別の質問。柳澤生体研究所の中にあなたが入るのを目撃しました。我が社が調べたところに寄ると、製薬会社の下請けでナノマシンの動物実験を行ってるところですよね。未成年事件を担当してる刑事さんが行く所じゃない。そのことについて、何かコメントは」
研究所と聞いて、沢口の目尻が動く。
「俺はマスコミの立ち入りを認めた覚えはねぇぞ。第一そっちこそ、なんでナノマシンのことなんか探ってる。三流マスコミならまだしも、経済新聞社が探るこっちゃないだろうが」
「いやだな。経済日報は何も経済ばかり扱ってるわけじゃないですよ。社会問題、医療、科学。全て経済に繋がってるんです。ナノマシンだってそう。未成年が起こしている事件だって、経済に大きな影響を与えているんですから。追ってて不自然なことはないじゃありませんか」
川嶋のもっともらしい台詞に観念したのか、沢口は彼から目をそらした。しばらく思案しながら、慌ただしく動く部下や鑑識に目配せする。
野次馬の数は一向に減らず、むしろ帰宅時間が終わって団地全体に人が増えてきていた。辺りで何か変わったことはないかと聞いて回る刑事らも、押し寄せる人並みに苦労しているようだ。騒ぎが大きくなりすぎるのはいいことじゃない。普段はひっそりとしている都営団地は騒然とし、経済日報だけではなく、他のテレビ局や新聞社、雑誌記者らもうろついている。
沢口は焦り、川嶋に現場から立ち退くように諭し始めた。一切沢口が口を割ろうとしないのに観念し、川嶋はそっと手帳を畳む。
「最後に一つ、一番大切なことを聞いてもいいですか」
「何だ」
「もし、政府が行っている血液検査の本当の目的が、感染症の検査じゃなかったとしたら。感染症検査の振りをして別の検査をしているとしたら。それは、憲法や法律に著しく反するのではありませんか。警察はそれをどう捉えているのでしょう。国全体が偽証を働いている。そんな国家があり得るのですか」
声を荒げる川嶋に、沢口は動じなかった。うつろな目をヘッドライトが照らし出し、そこに大きな影を作って全てを飲み込もうとしている。何か言いたげに口を数回動かしたが、それは沢口の声にはならず、消えた。右手を軽く挙げ、現場検証のために建物に向かう沢口を、川嶋は複雑な思いで見つめるしかない。
「どこまでも口を噤む気なんですね」
悔しそうに沢口の後ろ姿を見つめる川嶋。
その様子を隣でじっと聞いていた勇造も、川嶋と同じ思いでいた。沢口が何か喋れば、少しでも手がかりになることを教えてくれれば、全てが繋がる。全てが解決するのにと。
ふいに勇造のズボンのポケットで携帯電話が震えた。一件のメール。沙絵子からだ。
内容を確認した途端、勇造は血相を変え、すくみ上がった。
「どうしたんです」
勇造の様子がおかしいのに気づいた川嶋が、顔を覗き込む。
「け、研究所から連絡……来てくれって、どういう」
「『柳澤生体研究所』ですか」
驚く川嶋を無視して、勇造は少し後方で事件現場を見上げていた水田に走り寄った。メール画面を水田の顔面に突き出し、
「あの所長から、事務所に連絡があった。湊斗のことで話がある、電話やメールではダメだ、すぐに来いってことらしい。水田さん、俺、行ってくるから。湊斗のこと、頼んでもいいかな」
噛み合わない奥歯を必死に噛み合わせるように、震える手元を動かさないようにしながら、勇造は水田に訴えかけてくる。
「いいかなってお前」
無責任なと思ったが、水田は言うのをやめた。
暗がりの中、ヘッドライトと建物から漏れる明かりだけが色を映し出していて、思考が変になりそうだった。こんな状態の中、素人が正常な判断を下せるはずがない。わかっていたから水田は簡単に返事ができなかった。
やがてどたばたと足音が聞こえ、警察と鑑識が慌ただしく声を掛け合っている中で、「凶器と思われる包丁が現場から無くなっている」ことを聞かされると、そこにいた全ての者が心臓音を更に激しくさせた。
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