17:KEEP OUT
ロゴマーク入り軽ワゴンで
電話はやはり湊斗の友人、
呆然と立ち尽くした勇造を水田は平手打ちした。
「お前がしっかりしないでどうする」
無理矢理車に引きずり込み、急発進。その時打たれた頬が、まだしびれている。
「なんで湊斗、帰しちまったんだ」
悔しそうに助手席で項垂れる勇造。
水田は舌打ちして、罵倒する。
「未成年を親元に帰すのは当たり前のことだ。何くよくよしてんだ、この青二才が」
「水田さん、何もそこまで」
「香澄ちゃん、こいつは甘ったれなんだよ。自分では結局何にも出来ないくせして普段社長面なんかしてるから、こんな一大事に動けなくなっちまう。責任もとれないのに未成年雇おうって言ったのはこいつなんだし、責任はてめぇがとらなきゃいけないだろうが。あの沢口さんが警告しても、こいつは無視し続けたんだ。避けられるリスクを、わざわざ避けずに真っ正面から受け止めるなんて、アホに決まってるだろ」
水田のハンドルさばきが、荒々しい。急ブレーキに急ハンドルを繰り返し、湊斗の自宅のある都営団地へと向かう。車内は右に左に激しく揺れた。その度に勇造たちは身体を何度もバウンドさせ、ぶつかり合った。目的地に近付くにつれ急に道路が混み合い、道が詰まるとスピードが一気に落ちる。水田は苛々しく車の窓ガラスを肘で突き、早くしろ早くしろと連呼した。
金曜の夜だった。会社帰りのサラリーマンを乗せたタクシーが、道々を塞いでいた。ヘッドライトとテールライトが右と左でラインを作り、どこまでも続く車列が彼らの焦りをいっそうかき立てた。人通りの多い商店街を抜けるまでかなりの時間を要し、気がつくと社を出てから十数分経過している。
「――その沢口刑事は、何で彼が感染者だとわかったんですかね」
運転席の後ろで、黙って座っていた経済日報の川嶋がふと疑問を投げかけた。
「なんでって……。そりゃあ」
そこまで言って、助手席の勇造は答えを知らないことに気づく。
「詳しい少年の経歴、喋りましたか。彼がいつどの病院で生まれたかまで、沢口刑事は尋ねてきましたか」
「いや」
惨殺死体を発見して二日経ったあの日、沢口が事情聴取に尋ねてきたとき、彼は最初から湊斗に話を聞きたいと言ってきた。事件の日事情聴取した別の刑事に、現場に居合わせた社員の名前と年齢だけ書いたメモを渡したが、それ以外情報提供はしていなかった。沢口は事件と関係のありそうな話をして、無実の湊斗の何かを探っていた。それが何だったのか。あの時点で沢口は知っていたのか。それとも、血液検査をした病院で会ったときまでに、沢口は何らかの確証を得たのか。
「警察は全部知ってるんだと思うよ。沢口さん、ああ見えて結構優しいから、社長になんやかんや口出ししたいんじゃないの」
香澄の言うとおり、沢口は優しい。優しすぎるあの沢口が冷たくあしらうのは、勇造を事件に巻き込みたくないと思っているからだ。そんなのは痛いくらいわかっていた。
テールライト向こうにパトランプが見え、四人の焦りは頂点に達する。都営団地に面する並木道だ。
軽ワゴンを路肩に乗り付け、急ぎ降りて走り出す。目指すは湊斗の書いた住所、三号棟の五〇五号室。団地の中庭には人だかりが出来ていた。ざわめき声の中を、かき分けるように進んでいく。既に警察車両が歩道から進入し、三号棟前に駐車していた。ヘッドライトが三号棟入り口を眩しく照らしている。警察車両から少し離れて救急車も一台。立ち入り禁止のテープが見えたところで人の波に押され、これ以上前に進めなくなった。
「だめだ、入れない。――ぐるっと回って、端っこっから警察に話しかけるんだ」
水田の合図で便利屋たちは右へと進路を変える。川嶋も人混みに引っかかる取材道具の入った肩掛けバッグを何とか引っ張って後をついて行く。
黄色いテープの向こう側、制服の警官とスーツ姿の刑事、事情を聞かれる近隣住民に混じってひとりの少年が見えた。
「すみません、関係者、関係者です。中、入れてください」
一際大きい水田の声に、ざわめき声が一瞬途切れた。
「沢口さん! 沢口さん、俺です、一ノ瀬です」
刑事の中に沢口を見つけ、勇造は大きく背伸びし左右に手を振った。捜査員に事情を説明し、四人は纏まってテープの内側に入っていく。
沢口はその様子を見るなり勇造に近付いて、突然作業着の胸ぐらを掴み自身に引き寄せた。
「最悪の事態だな。言わんこっちゃねぇ。だから俺はお前に言ったんだ。『縁を切れ』ってなぁ。お前ぇは一体、何を考えてるんだ。世間で何が起ころうとしてるのか、本当にわかってるのか」
鬼のようだ。今までで一番恐ろしい顔をしていた。いつもは笑顔の度に顔に表れる優しいシワが、今日は暗がりの中、パトカーのヘッドライトに照らされ荒々しく見えた。
「――俺は、俺はただ」
そこまで言って、勇造は話すのをやめる。こんなところでこれ以上、過ぎ去ったことを言い合っているわけにはいかなかった。
沢口も、怒りで震える手から渋々勇造を解放した。
「団地の住民から、『少年の叫び声のようなものが聞こえる』と通報があった。激しくものを壊すような音と一緒に、悲鳴のようなものも聞こえたらしい。ところが警察が駆けつけたとき、部屋はもぬけの殻だった。あの湊斗という少年の行方も知れねぇままだ。今、警察が全力で捜してる。何らかの事件に巻き込まれたのか、それとも自分で事件を起こしたのかもまだわからねぇ。そこにいる少年は、湊斗少年の友人だそうだ。お前ンとこに電話したのはそいつだな。念のため控えておいた便利屋の電話番号に夢中で掛けたそうじゃねぇか。それで来たんだな」
「彼と、少し話していいですか」
「構わんよ」
「ありがとうございます」
乱れた作業着の胸元を整え、少年の所へ足を向けたところで、勇造の視界に誰かが担架で運び出されるのが見えた。狭い階段口からゆっくりと現れたその人は、少し肌の浅黒い、髪の長い女。それは湊斗の母に違いなかった。誰かすぐわからぬように、顔の半分まで毛布が掛けてある。息の出来るように鼻だけ残して目元までタオル掛けたのは、救急隊員の優しさなのだろう。
「香澄、お前、湊斗の母ちゃんに付き添え。病院まで、いいな」
水田が気を利かせ、香澄に指示する。香澄はブルッと武者震いし、大きく頷いた。
湊斗の母が運ばれていくのを目にすると、少年はますます戦き、頭を抱えうずくまる。一体何を見たのか。勇造は何とかして彼から事情を聞き出したかった。
「君、電話してくれたろ。便利屋の社長、一ノ瀬勇造だ。部屋で何があったか、俺にも教えてくれるかな」
住宅の壁に隠れるようにして小さく震える少年のそばで、勇造はそっとかがみ込んだ。何におびえてか、少年はガタガタと歯を鳴らしている。
「しゃ、社長さん。俺、俺……」
ようやく顔を上げた彼の目は見開き、大量の涙と鼻水で顔中がぐちゃぐちゃに濡れていた。
「俺が、俺が悪いんだ。湊斗に余計なことを。だからあいつ、キレたんだ。俺、どうしたら」
「さっきも電話で言ってたが、余計なことって」
「――刑事さんには言わないで。約束して。言ったら、あいつの母ちゃん、捕まっちまう」
「いいよ。約束。いくらでもする」
「あ、あの」
優しく話しかけた勇造に安心したのか、彼は少しばかり息を整え、そっと勇造の耳元に顔を近づけた。
「あいつの母ちゃん、未成年相手に売春してたんだ。俺、辞めさせたくて、湊斗に忠告したんだよ。『子供相手に商売してる』って。あいつ、それから様子がおかしかった。昨日は帰らなかったみたいだし、心配で。だから俺、様子を見にここまで。そしたら」
「そしたら?」
「家中、ぐちゃぐちゃだった。何もかも壊れてて。血が、血があった。誰のかわかんない。湊斗のか、別の誰かか。あいつの母ちゃん裸だし、パトカーの音聞こえてくるし。俺、もう何が何だか」
必死な訴えに何度も頷いた。もういいもういいと、勇造は少年の背をさすり、頭を撫ぜた。
事態はとんでもない方向に進んでいる。勇造の焦りは加速し、そのせいで妙に頭が冴えてきていた。
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