20:カラクリ

 小高い丘の上から見た夜の東京の街は、安っぽい宝石をまき散らしたようだと、勇造は思う。ロゴマーク入りの白い軽ワゴンは研究所のある住宅街の緩やかな道を進んでいた。姿を見るだけで嫌悪感を覚えていた川嶋とも、知らぬうちに意気投合し、会話にのめり込んでいった。


「その所在不明な医師が、何らかの方法で子供らをナノに感染させたかも知れないと、そう考えて間違いないんだな」


 勇造は力強く言う。


「何でもかんでも結論づけるのは、社長さんの悪い癖ですよ。あくまでも可能性の問題。裏付けをとってからじゃないと断定は出来ませんね」


「まあ、そうかも知れないな。――見えたぞ。研究所、まだ明かりが付いてる」


 軽ワゴンを降り、塀の横のインターホンを押すと待ってましたとばかりに門が開く。

 薄暗い玄関先で、


「新聞記者も一緒ですか」


 と嫌そうな顔をして見せた柳澤だが、


「まあいいでしょう。但し、オフレコで頼みますよ」


 と念を押し、二人を奥に通した。

 先日訪れたときと同じ応接間に通され、温かいコーヒーを同じように出される。その合間に、午前中血液採取をした湊斗ミナトが午後に突然様子が変わって何らかの事件に巻き込まれたことを告げると、柳澤は眉間にしわを寄せて黙りこくった。


「事務所に連絡してきたのは、血液検査の結果、ナノが検出されたからじゃないんですか。教えてください、所長」


 口をひん曲げて腕組みし、うなり続ける柳澤に対し、勇造は必死に急かした。

 オフレコですよと言われてバッグを床に置いた川嶋は、自分のメモの内容を思い出し、柳澤に何とか話をさせようと、別の話題を振る。


「所長、医大の研究室で一緒だった、『田村』という男、覚えてますか」


 湊斗と同じ名字に、勇造は思わず背筋をただす。


「……覚えてますよ」


 柳澤はとうとう口を開け、深く一つため息をついた。


「その田村という男、小児科医としていくつかの病院を転々としていたようですけど、彼が勤務していた病院で生まれた子供たちが、多く凶悪事件を起こしているんですよ。これって、どんな偶然だと思いますか」


 細い目を少しだけ見開いて、柳澤は川嶋を睨み付けた。それは聞いてはいけない質問だったのか、柳澤は珍しく心を乱していた。


「経済日報さんは、どんな偶然だと」


「これは憶測に過ぎませんが、もしかして彼は、研究していたナノマシンを小児の体内に注入させていたのでは。その結果、今年になって相次いで事件が勃発している。仮定として、そのナノはある程度の年月が経過した後に発症させる時限装置のようなものを備えていて、それで彼らは同時多発的に狂い出すのではないかと。――想像に過ぎないので、イマイチ説得力には欠けますけどね。これはあくまで、恐らく、の話ですよ」


 川嶋の仮定はどことなく辻褄が合っていて、勇造は納得しきりだった。渇いた喉で唾を飲み込み、川嶋とその話を聞く柳澤の顔を交互に見る。二人とも何かタイミングを見計らっているようで、寒気がした。


「では経済日報さん、もし、その時限装置のようなものがあったとして、そのナノの存在を世に公開することで、考えられる事態は」


「大混乱、でしょうね。感染者もそうでない周りの人間も、疑心暗鬼になる。いつその時限装置にスイッチが入るのか、はっきりわからなければ対処のしようがない。まさか、実際にそんなことが起きてるはず、ないですよね」


 川嶋は少し背中を丸め、勘ぐるようにわざとらしく耳を傾けた。 

 湯気の立つコーヒーをひと含みし、少し落ち着いた後で柳澤は意味ありげにこんなことを言い出す。


「本当に起きているとしたら、どうします」


 まさか、と二人は顔を見合わせた。


「湊斗君の血液から見つかったのは、いわゆる医療用のナノマシンとは種類の違うものでした」


 柳澤はそう言って、準備していた紙袋から一枚の紙をそっとローテーブルの中央においた。グラフ、びっしりと細かい文字、レポートのようだ。


「アドレナリンをご存じですか。生命の危機や不安、恐怖、怒りなどの感情の変化を覚えると、視床下部から交感神経を通じ、腎臓上部の副腎から分泌されるものです。アドレナリンの分泌は人間にとって必要不可欠なものですが、過剰分泌されると生命に危機を与えます。具体的には血圧や血糖値の上昇、心拍数の増加などの症状が出て、いわゆる興奮状態を作るわけです。この種のナノは、アドレナリン分泌値が一定値を超えると、神経伝達物質のセロトニンの分泌を抑え、鬱病などに似た強迫観念を持続させ、人間を攻撃的にさせるのです。結果、訳もなく人を傷つけたり、殺したりする。もちろんこれは、スイッチがなくては働かない。何らかのスイッチになる出来事があって、その結果、ナノに操られるように攻撃をしてくるんです」


「それが、この間言ってた、『戦闘用ナノ』の正体ですか」


 戦闘用という勇造の言葉に川嶋は驚いて顔を上げた。

 こくりと一回、大きく頷き、柳澤は話を続ける。


「中東地域、東南アジアや東ヨーロッパの一部、またアフリカ大陸のほとんどの地域では、二十一世紀半ばになった今日でも内乱が続いています。彼らは仲間同士の殺し合いに至っても戦闘を止めることはない。一部では金が絡み、一部では倫理観が崩れ去ってしまっているからとも言われていますが、実際どうかはわかりません。宗教観対立など、解決の糸口のない争いに収束はないんでしょう。兵士は続く戦闘に疲弊し、体力を失っていった。大人だけではなく子供までもが戦争にかり出され、泥沼状態だ。そんな状態でも、戦争を続けていかなければ困る連中もいる。武器や麻薬、人身の売買を生業なりわいとする連中です。その中には国家権力を握っている者も含まれるから埒があかない。彼らはより長く戦闘を持続させるため、かつては麻薬などを使って最前線の兵士の士気を煽っていました。しかし、麻薬というのは金がかかる代物でしてね。そこで目につけたのが、先進国で医療に利用され始めたナノマシンなんです」


「戦闘用のナノが使われ始めたんですか」と、川嶋。


「そうです。強迫観念と興奮状態の継続を促すナノは、特に好まれた。一度体内に入れてしまえば半永久的に効果が持続する。今でも内乱地域では日常的に使われてますよ。それによって、どのくらいの死者が出ているか、想像するだけで恐ろしいですがね」


「じゃあなんで、そんな恐ろしいナノが日本中に広まったんです。その医師はなぜそんなものを」


 したたる汗を何度も腕で拭うため、勇造の作業着の右肘から先の部分には汗のシミができていた。そんなことを気にもとめず、また勇造は無意識に袖で汗を拭う。


「田村は、妙な男でね」


 柳澤は一口、カップに口をつけ、


「戦闘用のナノマシンが人間をどのようにして戦闘に向かわせるのか、そのメカニズムを研究していたんです。人間の脳やホルモン分泌に直接影響を与える経緯というか、逼迫ひっぱくした精神状況に置かれた後にどのような変化が体内で起こるのか。そんなことをね。正直、およそ医大生のするような研究内容じゃないですよ。だが彼は糞真面目にそんな恐ろしいことを研究するような男だった。彼は、医療だけではなく、様々なことにナノマシンが使われることを望んでいた。もし、あの男の在籍していた病院でナノの散布が行われていたとしたら、理解できないこともない。あの刑事が何度もやってきたのは、私から田村のことを聞き出すためです。彼は何者なのか、今彼はどこにいるのかを」


「――所長は、その田村という男が今どこにいるか、知ってるんですか」


 興味深げに尋ねてくる勇造に、柳澤は一言、あっけなく答える。


「いや、知らないですよ。知っていたら、駆除ナノを作るのに必要なプログラムを奪いたいくらいだ」


「なんですか、その、駆除……」


「戦闘用ナノの駆除用ナノマシンですよ」


 にやりと、柳澤は笑ってみせた。

 勇造と川嶋は呆けたように口を半分開けて、お互いの顔を見合った。

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