11:二つのナノ

「医療用のナノマシンが開発されたのが、二〇四五年頃、今から二十五年ほど前のことです」


 長くなりますよと前置きした後で、柳澤はソファーの上、両膝に両肘を乗せて手を組み、淡々と語り始めた。


「内視鏡やカテーテルでの手術など、患者の腹部を切開せずに手術する方法は以前からありました。しかし、それらは高度な技術を必要とし、時折医療事故などが起きる繊細なものだった。高度な技術を持ち、リスクを一手に引き受ける総合病院の医師数が、総医師数の増加にもかかわらずなかなか増えないというアンバランスも、それが一因だったんです。人の命をギリギリのところで救う救急病院の医師なんか、今でも足りてない。そうでしょ。特に産科医や小児科医なんか、探すのも大変なくらい減ってしまった。少子化だけが原因じゃなく、晩婚化して高齢出産や人工授精が増えたことで、低体重児やリスクを持った子供が生まれる確率がグンと増えたからだ。そういう医療現場に少しでも活路をと考え出された方法の一つが、ナノ治療。こいつは高度な技術なんか殆ど必要としない。きちんとした知識と倫理観さえあれば誰でも簡単に操ることの出来る簡単なモノだ。これで、すこしずつだが医療現場は正常に機能していくはず、だった」


「はず、ですか」と、勇造。

 柳澤は頷き、「そう、はず、だったんですよ」と答える。


「ナノの投与はカプセルか注射か、どちらかと決まってる。極小さな物質なのでね。それしか方法がないといってもいい。――これが簡単に投与できてしまうと言うことで、逆に何件かの医療事故が起きた。誤って別の患者にだとか、量を間違えたとか、どの時代でもある人為的ミスだ。切開術を必要とする大病のみに使用が許可されていたナノが、もう少しで簡単な手術の代行手段として利用できそうだと世の中が動いていた矢先のことですよ。ミスが続き規制がかかり、結局は総合病院や大学病院でしか投与できなくなってしまった。聞いたこと、あるでしょう。そして、このナノマシンという物体は、時が経つにつれ別のリスクを発生させていった。なんだかわかりますか」


「残留、ですか」と、水田。


「まぁ、そのようなものです。体内で分解されればよいのだが、中には性質上分解されないのもあってね。ごく微量なんですが、体内に残ってしまうことで、治療の必要ない正常な細胞まで遺伝子を書き換えてしまう事例が起きた。結果、極端な遺伝子異常を起こし、突然死してしまうこともあったんです。『ナノ』というのは、それくらい恐ろしい物体なのですよ。だから国家試験に合格し、きちんと分量と用法を守って投与しなければならない。ただ、医療用ナノマシンに限っては、そうした例は本当に稀だと言うことが近年わかってきた。いくつかのナノの併用だとか、薬との相性の悪さだとか、そういうのがはっきりしてきたのでね。簡単な手術でなんとかなるのなら、無理にナノを使うこともない。切開手術とナノ治療のバランス、二十五年経って、やっとそれがわかってきたような状態なんです」


「なるほどねぇ」


 金のかかるナノ治療、自分には縁遠いことだと重いながら勇造は聞いていた。だが、この一般論は勇造も水田も既に知っていたことだった。


「――で、その『ナノ』が少年たちに流行してるってのは、どんなカラクリだと」


 思い切って切り出した勇造に、柳澤はフンと鼻を鳴らした。


「あなたたちが、何故ここに来たのか、本当の理由を聞かないことには話せませんよ。経済日報の記者が何故あなたたちを選んだのか。あなたたちは、この研究所がどういう場所か知っているのかどうか。答えようによっては私はこれ以上の発言を慎みたい。色々と絡んでくるのでね」


 柳澤の言葉に、暫し硬直した。数分黙って睨めっこをしたが、そこから先の言葉が浮かばなかった。勇造は困ったように頭を掻き、表情を固めている。その様子を見ていた水田が博打に出た。


「この研究所がなんなのか知っていたら、来なかったと思いますよ。何も情報がないから、藁にもすがる思いでここへ来たんです。知っているのは名前と電話番号、それだけですから」


 嘘を言っても仕方ない。水田は出来る限り簡素に動機を話した。


「実はウチにいる、十六歳の新入社員、そいつに来た血液検査の案内がそもそものきっかけで」


「――いや、違う」


 水田の話を勇造が遮る。


「違うって、何だ」


「本当は、血液検査の案内なんかより先に不自然だと思っていたんだ。沢口さんが『ヤツから目を離すな』と言ったときから、俺は何か危ういモノを感じていた。十六歳のあいつと度重なる凶悪事件、偶然なんかじゃない、どこかで繋がってるんじゃないかと思ってはいたんだ」


 勇造の身体が、ふるふると震えていた。心の中でずっと隠していたものをやっと形にしたような、形にしてはいけないものを形にしてしまったような、そんな震え方。勇造の額に浮かぶ汗がつうと流れるのを見て、水田は表情を曇らせた。


「沢口さんって、元上司の――、そんな話、聞いてないぞ」


「誰にも言ってない。水田さんだけに隠してたわけじゃない。俺の、俺の中だけで解決しようと思っていたことだ」


 何故言ってくれなかったと悔しそうに頭を抱える水田の隣で、勇造はすみませんすみませんと何度も繰り返している。すっかり冷え切ったコーヒーを一気飲みし、頭を冷やそうとした。だが、そんなことでは水田のもやもやは消えなかった。


「その、『沢口』というのはもしかして、警視庁にいる未成年事件担当の沢口さんじゃないですか」


 柳澤は身体をグンと前に寄越して、二人の会話に割って入ってきた。


「そう、ですが」


「……なるほど。やはり警察は、ある程度特定してるのか。だからそんなことを」


 急に頬を緩めた柳澤。

 水田は不思議そうに彼を見つめ、「何か、辻褄が合ったんですね」と探りを入れた。


「私の中では色々と繋がりましたよ」


 意味深な柳澤の、含み笑いし歪めた顔に、勇造と水田の胸は否応なしに高鳴っていく。


「うちにもその刑事さんがいらした。彼はその時、迷うことなく『戦闘用ナノ』について私に訊いてきたんですよ。よくもまあ、この小さな研究所の存在を調べやってきたもんだと感心したのを覚えてます。その後あの新聞記者が訪ねてきたときは、流石にあんな話題、世に出しちゃまずいと思いましてね。口を噤んだんです。そしたら今度は記者の差し金であなたたちがやってきた。もう、政府も隠してはおけなくなるでしょうね。ニュースになるのは時間の問題、なのかも知れない」


「その、何ですか。『戦闘用』ってのは」


 聞き慣れない言葉に、勇造は反応した。物騒だと、水田と顔を見合わせた。


「ナノマシン開発が急速に進んだのは、決して医療のためだけじゃないということですよ。世の中には必ず表裏一体となる事柄がある。突貫工事のために開発されたダイナマイトが戦争の道具になったように、新しい技術が生まれれば必ずそれを悪用しようとする輩が存在する。それらはやがてビジネスとなり、世界中を巻き込んでいく。ナノマシンも決して例外じゃない。――『戦闘用ナノ』というのは、戦争やテロの最前線で兵士たちに使用する、最終兵器のことですよ」

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