09:手がかり

 様子のおかしい沢口、警察の動き、血液検査の本当の意味。勇造は黙っていられなかった。

 血液検査があったその日の夜から、勇造は本格的に連続凶悪事件と血液検査との因果関係を探り始めた。切り抜きためていた新聞記事、インターネットでの検索結果を打ち出したもの、地図帳。これらを狭い事務室いっぱいに広げ、湊斗ミナトが仕事でいない日中帯や夜間、その目に触れぬよう気を配りながら、ひとり、分析を続ける。

 未成年者による事件が頻発するようになったのは、今年、二〇七〇年の春先頃から。都内の高校生が起こした通り魔事件がその始まりだった。家庭環境に問題があり、キレやすい性格だったという少年は、後に『衝動的だった』と証言する。続いて、隣県のフリーターの少年がやはり通り魔事件を起こす。ラッシュ時の駅を狙い、三十人以上を斬り付け、大惨事となる。その後、関東中心に事件は増え続け、通り魔事件だけでも十三件、その他強盗、殺人、強姦、恐喝など、凶悪事件が続く。

 それらの犯人の殆どが十五歳から十八歳の少年で、中には事件とは縁遠いと思われていた有名進学校生の姿もあった。関東地域での発生が、事件全体の半分を占める。

 二〇六八年に制定された未成年保護法により、少年事件に関する警察の介入がどんどん難しくなる中、捜査は混迷を極めていく。『未成年者を保護し健全な人口増加を目的とする法律』俗に言う『未成年保護法』は、『二〇歳未満の未成年者に対する性犯罪、虐待、傷害、殺人を行ったものは死刑、または終身刑に処する』と条文にあるとおり、少年たちの人権保護を目的としていたが、その少年らが犯罪を起こした場合には巨大な壁となって警察を阻んだ。逮捕の際、興奮した未成年らを傷付けぬよう、十分配慮しなければならないのは当然のことながら、本当に彼らが未成年なのか、未成年だったとしても犯罪の中でどのくらいの責任を負う立場だったのか的確に見極めることも必要になる。その時々の状況で犯人を傷付けることは、警察自体が罪に問われる危険性を含んでいたし、誤認逮捕で人権が損なわれたとなれば簡単に担当刑事の首が飛んでしまうという重大問題に発展してしまう。

 結果として、現行犯逮捕しなければなかなか真犯人を特定できない異常事態が続いていた。河原で発見したあの惨殺死体遺棄事件の犯人も、未だ特定されていないのか逮捕の報道はない。

 凶悪事件を引き起こした犯人の共通点は、男女問わず年齢が似通っていることのみ。

 そして、政府が緊急実施した血液検査の対象者も同じく、十代後半の少年らであること。

 これらがどうにかして結びつくとしたら、湊斗が友人から耳にしたという『ナノ』という言葉だけではないかと勇造は確信していた。医療用ナノの暴走か、あるいは全く別の要因なのか。ナノが原因だとしたら、一体どうやって少年たちに広まっていくのか。――結局はその点で、考えは行き詰まってしまう。

 沙絵子も香澄かすみも水田も、勇造がしていることを歯がゆく見ていた。警察への未練なんだと彼らはどこかで決めつけ、日々の業務を淡々とこなすことでしか彼に貢献できない自分たちの無力さを悔やむ。三人とも彼が何故事件にこだわるのかよく知っている。知っているからこそ、それ以上何もしてやることが出来なかったのだ。



 *



 近頃、勇造は喫煙量が増えた。調べ物と同時に増えていく煙草の量を沙絵子に叱られたが、コレばっかりは自分ではどうにも出来なかった。一般人が探るには難しい事件だというのはわかっている。それでも途中で投げ出すのが嫌で、一人ああでもないこうでもない考えるには煙草は必要不可欠だった。

 コンビニまで歩いて五分、千円札をポケットにツッこんで、勇造はいつもの作業着でプラプラ歩いた。秋が近づき、少し肌寒くなった夕暮れ、中にTシャツでも仕込んでくればよかったと肩を震わせた。

 郊外にある一ノ瀬の事務所の裏には小さいながらも自宅があって、そこから毎朝七時に出社する。経済新聞に地方新聞、スポーツ新聞、併せて五紙、毎朝読むのを欠かさない。新聞を読むにも煙草が必要で、よく沙絵子に怒られる。だけど、止めようと思っても止められないのが煙草だ。依存性が高い、身体に毒だ、わかっててもつい手を伸ばしてしまう。ポケットの千円だって、煙草二箱買えばすぐになくなる。汗水垂らして稼いだ金を煙草に使うのはやめてと、沙絵子の声が耳元で聞こえてくる気がする。

 顔見知りの店主と日常会話を交わし、手に入れた煙草を大事そうに胸ポケットに入れてまた道を引き返す。

 家に帰ったらまた資料を漁るつもりで、薄く色あせた晴天を眺めながらぶつぶつ独りごちながら家路を急ぐ勇造に、見知らぬ人影が近づいていた。殺気を感じ敏捷に振り返るが、誰もいない。おかしいなと前を向き直したとき、眼前に影の薄いスーツ姿の男が肩をすくめて立っていた。


「煙草、買えるなんて。景気いい証拠ですね」


 煙草はいつしか、高価な買い物になっていた。稀に言われるが、この男にだけは言われたくないと思ってしまうほど、そいつは勇造と相性が悪そうだった。


「依存症。ただの依存症だよ」


 素っ気なく返事してかわそうとするのを、男は許さない。通せんぼして、無理矢理勇造の足を止めた。ひょろ長い黒スーツはにやりと笑い、


「探してたんですよ。一ノ瀬さん」


 懐から名刺を突き出し、勇造に受け取らせた。

 名刺に『株式会社経済日報』の文字。勇造の目は急に険しくなった。


「マスコミには用事ねぇよ。第一、経済新聞が弱小会社の社長に何の取材だ。冷やかしはゴメンだな」


「まあまあ、そう言わずに」


 勇造が名刺を投げ捨てようとするのを、新聞社の男は両手でそっと抑えた。


「『ナノ』と少年事件の関係を調べていると耳にしましてね。よい情報があるのですが」


 身体が反応して無意識に新聞屋の目の動きを見ていた。ズレない焦点、乱れぬ呼吸。場慣れしている。

 同時に、沢口の『誰が聞き耳たててるか』という台詞を思い出して身震いした。


「どんな」


 駆け引きに負けた勇造が放った一言に、男は満足してにやりと不敵に笑う。


「名刺の裏、見てください」


「何」


「用事はそれだけです。それではいい返事、待ってますよ」


 深々とわざとらしく一礼し、男はさっと身を引いた。そして何もなかったかのように、コンビニの方向へと歩いていく。

 不審な新聞屋の名刺裏、住所のような文字の羅列に、勇造は一抹の不安を覚えた。

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