08:隠さなければならない

 テレビや新聞、ネットで様々な憶測が流れる中、全国一斉血液検査は粛々と行われていた。拒否例もあり、必ずしも全ての高校生から採取することは出来なかったようだが、それでも大多数は何の疑いもなく感染症対策の血液検査に同意した。湊斗ミナトのように学校に通っていない少年らの元には直接検査依頼が来て、個別に検査を行うことになっていたが、彼ら全てを検査するというのは往々にして難しく、実際検査を受けたのは彼らの三割にも満たなかったのである。

 大学病院の一斉血液検査専用受付所では、様々な風体の未成年らがその順番をざわめきながら待っていた。両親や上司らしい付き添いの大人たちが、何人かいる。勇造も湊斗の付き添いとして、病院に来ていた。

 普段病院に用事のないような、あまり清潔感のない連中もチラホラ。静かにするような素振りも見せず、ガヤガヤと不快な話し声を響かせ、用意されたパイプ椅子に大人しく座るでも無し、纏まりよく待つでも無し、好き勝手にうろつき回る様は、とても病院の中とは思えぬ散々な状態だった。

 病院の正面玄関からホールを抜けて、一般の待合室とは別に設けられた受付所。パテーションで区切られた中に、会議室用のパイプ椅子が整然と置かれていたはずだが、モラルの低さからか、元の状態がわからぬほど散乱している。検査専属の職員たちはそんな中、人垣をかき分けながら問診票を渡して回っていた。


「余計な仕事だよな。何が一斉検査。くだらねぇな」


 その場にいる皆の気持ちを代弁するつもりで呟くと、


「湊斗、少し黙れ」


 勇造が一喝する。

 実際、新聞やニュースを見ていても、血液検査について納得できるような説明を政府はしておらず、その緊急性、重要性は殆ど伝わってこない。勇造らが憶測するように、『とんでもない情報』が奥底に隠れていると、どこかで思わざるを得ない状況だ。果たして、この場にいる何割が自分たちと同じ考えでいるのか。検査しろと言われたからする、それで本当にいいのだろうかと、勇造はため息をつく。

 受付所の隅、壁により掛かって、吸いたい煙草を我慢しながら行き来する人の顔や仕草に目配りする勇造を見て、湊斗は暇つぶしの質問を投げかけた。


「なんで、刑事辞めたの」


 勇造は寄りかかった壁から少し身体を離した。生あくびをしながら隣でうずくまる湊斗に、そんなことを聞かれるとは思ってもみなかったのだろう、酷く驚いていた。


「なんでってか……」


 言いながら湊斗にすり寄って、ドシンと床に座り込んだ。そして、待ちくたびれたのか、吐き捨てるように答えた。


「俺は、誰かを助けたかっただけなんだよな」


「何それ、くだらねぇ」


 湊斗が鼻で笑う。


「うん、そうだな。くだらねぇ」


 唇の端を上げて、勇造は静かに息を吐いた。


「でも、そういうくだらねぇことが、案外大事だったりするもんさ」


 病院に入ってから、三十分以上待たされていた。次第に飽き、プラプラするのも飲み物を飲むのにも疲れてしまった。たまに交わす会話も長くはもたない。呼ばれるのはいつなんだろうか。しわくちゃになった番号札を広げて、湊斗はぼうっと病院の出入り口を見ていた。

 様々な人間が出入りする。

 病気の人、けが人。付き添い、看護師、医者、そして、警察――。


「沢口さん」


 湊斗が言うより先に、勇造が反応してシャキッと立ち上がった。

 沢口は勇造の声に気づき、一瞬顔を顰めた。

 病院奥から入り口方向に歩いてきた刑事らに、勇造は勇み足で近寄り、なにやら話し出している。湊斗も慌てて後を追い、通路を塞いで会話する勇造と沢口の元へ駆け寄った。


「事件でもないのに、こんな所に警察が来るのは不自然ですよ」


 背の低い勇造は上目遣いに言う。足止めされた沢口ら刑事は、困ったように勇造を見下ろしていた。


「そんなこと、お前に言われる筋合いはねぇよ。――と、何だ。お前も血液検査の付き添いか」


 湊斗に気づいて丁度いいと話をそらす沢口に、勇造はますます食ってかかった。


「やっぱり、血液検査と事件、何か関係があるんですね」


「いい加減にしろ、一ノ瀬」


 沢口の分厚い手のひらが、勇造の頬を引っぱたいた。大きく弾けるような音に、周囲は一瞬シンとして注目を集めた。

 いきり立つ勇造のつなぎ服を、沢口はむんずと捕まえて、近くにあったトイレの中へと引きずり込んでいく。

 待ってと手を伸ばす湊斗を、沢口の部下らが静かに止めた。


「血気盛んなのはいいが、見境ないのは困るなぁ、一ノ瀬よぅ」


 ドスのきいた、まるで犯人を追い詰めるような沢口の低い声が、トイレの中で響いた。胸元を鷲づかみにされ、ぐいと眼前に迫られた勇造の背中に、ビリと電気が走る。


「そう言うけど、沢口さん。新聞、ニュースでは大騒ぎですよ。何でわざわざ十代の少年たちに血液検査させるのかって。俺も色々考えてみたけど、おかしすぎる。第一、沢口さんたちがここにいるのだって不自然だ。血液検査してる医療機関にその検査が順調に行われているか視察に来るのは普通、厚労省の職員でしょ。なんで警察が出入りしてるんです。明らかに、何らかの事件性が疑われてるってことじゃないんですか」


 勇造の言葉のどれかに、沢口は酷く動揺していた。険しい顔でしばらく勇造を睨んだ後で、沢口はつなぎ服の襟から手をそっと離した。


「誰が聞き耳たててるかわからん中で、これ以上話は出来ねぇな」


「どういうことです」


「お前も刑事何年かやったんだ、ある程度察しが付くだろう。世の中には、それが真実だとわかってても、言えねぇことがあるんだよ。連日のマスコミの騒ぎは俺も知ってる。日を追うごとに報道合戦が激しくなってることも、もちろんわかってる。だからってもし、ここでお前がその憶測とやらを喋ってみて、大混乱になったらどうする。責任はとれるのか。真実を知ることだけが正義だなんて、甘い考えは捨てろ。何より警察が、そういう方向に動かなきゃならんような事態が、実際起こってるんだ」


 沢口の言葉は、重かった。今まで見たこともないくらい、何かに焦りを感じていることも、勇造には見て取れた。それが何か、明確な答えを今出せないことに対する憤りもまた然り。


「一ノ瀬、悪いことは言わん。今のうち、何も起きないうちにあの十六歳と縁を切れ。――忠告したぞ。いいな」


 いつになく真剣な表情で、沢口は言った。思いがけない言葉で呆気にとられた勇造を尻目に、彼はいつもの沢口に戻ってトイレから出て行った。

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