03:便利屋へ

 郊外に構えた、小さなプレハブを継ぎ足したような事務所。駐車場には一ノ瀬のロゴのついた白い軽ワゴン。最近発売になった最新式の人型ユンボも置いてある。

 夏の日差しが強まる前にと、湊斗ミナトは母親を連れて一ノ瀬の社屋を訪れていた。電車とバスを乗り継いでやっと着いたそこは、現実味のない風変わりなものに見えた。会社といっても大きく看板を掲げるでもない、貧乏くさいチンケな建物の割に装備だけ充実している。社長と名乗るあの男、確かに金持ちそうじゃなかった。稼ぎながら少しずついろんなものを買いそろえようとしているのが傍目にもわかる。便利屋はいい仕事じゃないが金になると、あの時男が言った台詞の真偽が問われる。

 事務所の建て付けの悪いアルミ製のドアを力一杯左にスライドさせ、そこに掛けられたのれんから室内を覗いた。


「あ、あの」


 恐る恐る声をかけると、湊斗の声に反応して元気な女性の声がした。この間とは違う女の声だ。

 事務机から人影が動いて入り口へとやってくる。事務服の人の良さそうな小柄な女性がそこに立っていた。


「いらっしゃいませ。便利屋一ノ瀬に何かご用でしょうか。――あら、もしかしたら、勇造が言ってた少年って、君のこと?」


 ずいぶん雰囲気のいい人だ。自分の母よりずっと若いし、かわいい。


「狭いけど、上がってよ。おねえさんも一緒にどうぞ」


 ペコリと二人で頭を下げた。のれんを潜ると、室内は思っていたより少しだけ広かった。扇風機が何台か回っている、エアコンはない。涼しさを演出しようとしているのか、あちこちに観葉植物が飾ってあり、そのツタが地面まで落ちているのもある。洋風のインテリアは、この女性の趣味なのだろうか。事務室の壁にくくりつけたテレビが、人気もないのにずっと音と光を出している。


「散らかっててゴメンね。あ、ここ座って。どうぞどうぞ」


 手前の安い応接セットに案内され、二人で揃って座る。こうして母と横に掛けたのは何年ぶりだろうかと湊斗は考えていた。

 普段は気にも止めない母が、今日は何となく気になる。それは久しぶりの外出のせいなのか。それともいつもと違って清楚なワンピースを着ているからか。こんな服、いつの間に買ったんだろう。化粧もいつもより薄い。彼女なりに場所をわきまえている。何となく湊斗にも感じ取れた。


「若くて体力のありそうな少年が便利屋に興味を持っている、だなんて、言う方も言う方だなと思ったけど。本当に来てくれてありがとう。暑かったでしょう。朝からむしむしするもんね」


 そう言って女が差し出したグラスの中で、麦茶と氷が気持ちよさそうに音を立てて踊っている。喉が渇いていた。丁度いいタイミングだった。湊斗は一度深く頭を下げると、目の前のグラスに飛びついた。


「いい飲みっぷりね。来るのがわかってたら、アイスぐらい用意してたんだけど。今日はこれでゴメンして。普段は大人ばっかりだから、甘いものはあんまり置いてないのよね、ウチの冷蔵庫」


 アイス、の言葉に反応してグラスが一瞬方向きを止めたが、勢い止まることなく一気に飲み干した。トンとグラスをテーブルに置くと、すぐにおかわりが注がれる。


「弟さん、スゴイ喉渇いてたのね。何で来たの、電車? バス?」


「弟じゃなく」


 湊斗の母がそこまで言ったところで、


「母です。姉じゃなくて、母です」


 湊斗が遮る。

 途端に女は口を大きく開けて固まり、慌てて少し麦茶をこぼした。


「わわ、ごめんなさい。若くて綺麗だから、私てっきりお姉さんかと思ったわ。肌つやもいいし、カッコも若いじゃない。いいなぁ」


 そんなことはない、お前のリアクションがでかすぎるのだと湊斗は心の中で思った。女という生き物は、こと年齢に関しては敏感だ。自分の年より上か下か、そんなことで一喜一憂するのか。

 女はこぼれた麦茶をさっとクロスで拭き取ると、向かいの席に座ってそっと名刺を差し出した。


「自己紹介、まだだったわね。私は一ノ瀬沙絵子。ここで夫の勇造と一緒に便利屋をしています。電話やインターネットで依頼された仕事を勇造と私を含めた四人の社員で行っています。仕事は様々で、簡単なところだと買い出しのお手伝い、お部屋のお掃除や飼い犬の散歩。違法廃棄物の撤去や空き家の解体作業をお願いされることもあるし、遺品整理や不要品の処分をお願いされることもあるわね。資格が必要な仕事もいくつかあるけど、最初は簡単なところからお願いするつもりよ。なんてったってこの業界、人手不足でしょう。まぁ、やりたい人もいない嫌な仕事ばかりだから仕方ないけど。仕事を通じて色々な人と触れ合うことはきっと将来的にも自分のためになるし、やり遂げたときの達成感はやった人にしかわからないでしょ。どう? 長く、とは無理に言わないけど、働いてみるということでいいかしら」


 はいと湊斗は素直に頷き、母も隣で頭を下げた。


「難しいこと、ないですか」


 母親の声に、沙絵子は優しく首を横に振り、


「難しくないから、大丈夫。手足の数が揃っていれば出来る仕事から始めるからね」


 ありがとうございますと、湊斗の母はまた深々と頭を下げる。

 じゃあ契約書をと沙絵子が差し出した紙とペン。たくさんの字が並んでいるのに面食らい、ペンを持つのを躊躇する湊斗を見て、


「書くところは少ないから。住所と名前は書ける? お母さんは、名前だけ。漢字じゃなくても大丈夫よ」


 何も言う前から、沙絵子は湊斗と母のことを全て知っているような、そんな声のかけ方をした。

 勤務は朝八時から、休憩を挟んで午後五時まで。昼飯は各自持参だが、頼めば沙絵子に作ってもらえるらしい。制服のサイズ合わせや事務所内の案内をするので、初日は七時半まで来るようにと彼女は言った。

 始終にこやかな女だ。湊斗のミミズの這ったような汚い字に顔色一つ変えなかった。大丈夫大丈夫と微笑んで見せた沙絵子の本心はどうだったのだろう。

 ミミズ字を一文字一文字指でなぞっていた沙絵子の指の動きがふと、生年月日の付近で止まった。


「えっと、二〇五四年生まれってことは、今年……十六になったばかりか。引き算、合ってるよね」


「合ってます」


「よかった。十五歳以下だったらどうしようかと思った。一応、義務教育は終わってる年齢なわけだ。なら安心ね。――あ、これはね、労働基準法っていう法律で定められていることで。その他にも話題の未成年保護法の規定で、特に十五歳以下の雇用については罰則があったりするわけよ。あくまでも未成年者の過酷な労働を避けましょうってことなんだけど。世の中にはあくどい人間がたくさんいてね。法律云々関係無しに若い子をこき使って、結果その子の人生をめちゃくちゃにしてる悪徳業者もあるのよ」


 そうなんですかと、とりあえず相づちを打つ。空になったグラスを触っていると、また沙絵子がおかわりを注いだ。


「ホントはね、ウチも小さな依頼だけじゃなくて、いずれは金属資源再生制度を使ってどんどん稼ぎたいの。そのために高価な人型ユンボまで買ったんだけど、何せ人が足りなくて。だから若い人材が必要だったのよ。これから伸びそうな、体力にも知力にも余力がありそうな君は、ウチの求人にぴったり当てはまるのよね、湊斗君」


 沙絵子は笑った。その笑顔にどう反応したらいいのかわからず、湊斗は下を向く。

 さっきまで気にも止めていなかったテレビ音声が、急に耳に入った。都合よく湊斗の思考を遮るように。


『通り魔事件多発の原因は何でしょう。特に、犯人の年齢が十五歳から十八歳に集中していますよね。少年たちの生まれた二〇五〇年代、日本は急激な医療の発達による超高齢化に直面し、海外から移民を多く受け容れ始めました。また、株価下落、離婚率の上昇などにより、子育て環境も二十一世紀初頭と比べ確実に悪化した時期でもありました。こういったものの中に事件解明のヒントが……』


 今や未成年、丁度湊斗を含む高校生世代の子供は世間の注目の的だ。それだのに便利屋という種類の人間は、世の中で何が起きようとも気にしないほど神経が図太いのだろうか。猫の手も借りたいくらい忙しいとはいえ、得体の知れない子供を雇うとは。

 ぐるぐる思考を巡らせた。早く時間が過ぎればいい。途中から湊斗は上の空で、沙絵子の話の半分も耳に入らなかった。

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