第23話 主人公、心配される
昔、屋敷で犬を飼っていた。ライが生まれる前のことだ。
年の近い兄よりも、僕は犬と仲が良かった。
一緒に遊んだ。食事を与えた。いつも、いつも一緒だった。
犬を通して見える未来を否定しながら、ずっと、ずっと可愛がって、世話をした。
だけど、犬は死んだ。
寿命だった。どんなに頑張っても、守ろうとしても、逃れられなかった。見えた未来通りの死に、僕は犬の墓の前で泣いた。犬や動物が嫌いになったのは、そこからだ。彼らの寿命は短い。
僕の手の届くところで死んでしまう命が、悲しくて、やるせなくて、たまらなかった。できることなら、救いたいとさえ、考えた。
だから、マリアンナの未来を変えたんだ。
マリアンナの最期は、凄惨で、残酷だった。その最期を初めて見たとき、僕は人知れず嘔吐した。
そんな最期は見たくない。利己的な理由で、変えた。
僕がマリアンナと関わってから、見えたマリアンナの未来は変わっていった。最後に見えたときには、たくさんの子供たちに囲まれて、眠るように息を引き取っていた。
そんな最期が、僕にとっては望ましい、なってほしい最期だった。
守れたんだ。救えたんだ。そう安心した。
あのピンクの髪の彼女が、マリアンナの前に現れてくるまで。
彼女が現れた途端、僕は未来が見えなくなった。不安だった。見えない間に、救えたマリアンナが救えなくなってしまうのを。
だからこそ、彼女を邪険にした。
でも、彼女はめげなかった。マリアンナのそばにいた。マリアンナに気を使って離れたりもした。人に気を使えた。可愛らしい悪戯もした。
どこにでもいるような、学生の行動をした。危険視するような行動はしていなかった。
僕が、見えすぎてしまっただけだった。
いなくなってほしかった。ただ、マリアンナや僕の前からいなくなって、どこかで生きててほしかった。
だから、だからだからーー
「死んでほしい、訳じゃないんだ……」
彼女が木材の下敷きになってから二日がたった。まだ彼女の目は開かない。ピンクの髪に白い包帯が混じる。
「お医者からは、じきに目を覚ますって言ってるんだから、センセは休んだ方がいいよ。顔色、悪いよ」
緑髪の彼からそう諭されても、僕は彼女のそばを離れる気にはなれなかった。
彼女が死んだら、僕の未来が見える異能は完全に戻るのだろうか。
彼女の命を代償にして、僕は取り戻すのだろうか。
そんなのは、そんなのはーー
「……」
僕は救うことのできない無力な手を、握りしめることしか、できなかった。
ーー
ココが眠る部屋の前で、少年少女は、案じていた。
「ココ、目を覚ますわよね?」
「大丈夫だ、姉ちゃん。ここのジイさんの腕はいいから」
「俺は、センセの方が心配。ココちゃんの心配しすぎで倒れるんじゃないかって思う」
「あんなに動揺してるお義兄様、初めて見たわ」
「気にしてるんだろ。ココにかばわれて」
「魔法使わないで、体一つで助けるなんて、ココちゃんらしいね」
会話は明るい雰囲気なれど、空気はやや重い。
そんな空気に、身を案じている兄に、ライは小さく吐露した。
「早く、覚めて」
ーー
これは、恐らく夢なのでしょう。前世の、夢なのでしょう。
子犬が道路に飛び出しました。車の出入りが多い道路にです。
前世の私は、道路に走り込んで、子犬を突き飛ばしました。目の前にトラックが迫ってきました。
はねられてた私は地面に叩きつけられました。
夢だからでしょうか、痛みはありません。夢だからでしょうか、だんだん『目』が自分自身から離れ、世界を俯瞰するように見ていきます。夢だからでしょうか、続きが見られました。
前世の私の体は動きません。ピクリとも、動きません。
子犬は、無事でした。とことこと歩き、飼い主らしい人に抱き締められています。
よかったと思いました。
前世の私も、今の私も、犬の安否が心配でした。
よかった。無事で。本当に。
もしかしたら前世の私は、それが気がかりで死んでも死にきれなかったのかもしれません。
でも、もう安心しました。子犬は、無事でした。
後悔はーー
「あなたは、違うよ」
後ろから声がして、私は振り返ります。
私がいました。前世の私がいました。
「これは、私の記憶。私のもの。あなたのじゃないよ。あなたのじゃない」
そう言って、笑いました。
「あなたは、まだ自分の世界で確かめられてないじゃない」
ああ、そうですね。そうです。
先程までの私は、前世の私になりかけていました。満足、していました。
でもこれは、私の前の私の記憶であって、私自身のものではありません。
私はまだ、死にきれない。
確かめられていないから。
「違う人間だけど、根本はそっくりね、私たち。ね、ココ」
「そうですね。体が勝手に動いちゃったところとか。ね、ーー」
名前を呼びあって、笑いあって、やがて世界が真っ白に染まっていきました。
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