第18話 主人公、叫ぶ

 時間は、ほんの少し遡ります。具体的に言えば、私が、お姉様に帰郷する旨を伝える数時間前のことです。


「ココちゃーん! ご機嫌いかがかな?」

「んー、そうですねえ。フウロさんが現れなければ、そこそこによかったでした」

「うーん! 今日も切れ味抜群の冷たさ!」

「アハハハハ」


 気持ちの方向性は違いますが、私たちは笑い合いました。

 いい加減、チャラ男マゾさんこと、フウロさんのあしらい方にも板に付いてきました。精神的体力の減少は、多少なりありますが。


「ところでさあ、ココちゃん。長期休暇中、暇な日ってある? 一緒に、どこか出かけない? 美味しくて、ちょっと高めのケーキとか、ご馳走するよ」


 そんなことを、フウロさんがニコニコとした顔で言ってきました。

 フウロさんは、私が平民なことと、自身が(端くれとは言っていましたが)貴族であることをよく分かっています。


「……」


 口の中で唾液が分泌され、慌てて飲み込みました。

 お菓子は、好きです。とても、好きです。ママンのホワイトシチューの次くらいに。

 ですが、お誘い相手がフウロさんです。ちょっとの後ろ髪を引かれつつも、私は言います。


「故郷に帰るので、無理です」

「えー、でも、ずっとそっちにいるわけじゃないでしょ? 1日くらい、暇な日ない?」


 フウロさんはめげません。

 仕方なく、私は事情を話して、フウロさんに諦めてもらいました、……思った以上に時間がかかりました。


「……そっかぁ。それじゃあ、しょうがないね」


 フウロさんが残念そうに笑いました。ああ、そういう顔もするんですね。



 ところ変わって、故郷に帰って三日が経ちました。


 私は幼馴染みのアークと、近所の牧場で、足りない人員の代行をしています。

 

 牧場の売りは『無魔法育成』です。魔法を一切使わず、人の手と動物の力だけで畜産をしています。時間はかかりますが、その分熟成された肉類や生乳、生乳を用いた加工品を生成する事ができます。

 国内でそこそこ人気のブランドです。収入をそこから得ている畜産家も多いです。

 だから、滞らせる訳にはいきません。 


「コーコー! 子豚一匹そっち行ったぞー!」


 ジョセフに跨がったアークが私に向かって叫びます。ジョセフの周りにはピンク色の子豚の群がいて、群の散歩を誘導しています。はぐれたたった一匹の為には動けません。

 そのために、私とミシェラがいます。


「大丈夫ー! 見えてるー!」


 私はアークに返事をして、足下のミシェラに指示を出します。


「行ってきてミシェラ!」

「アン!」


 ミシェラが走り、私はその後を追います。人の足より犬の足の方が早いのは、この世界でも常識です。

 ミシェラが子豚の前に立ちはだかります。子豚は驚いて、一瞬足を止めましたが、ミシェラの横をすり抜けようとしました。


「アンアン!」


 ミシェラの防壁は崩れませんでした。子豚が進もうとした進路にステップを決め、子豚に吠えます。

 そんな攻防を3、4、回繰り返した時、私はミシェラたちのところに辿り着きました。


「はーい。捕まえた」


 私は子豚を抱き上げ、ほっと息を吐きます。子豚から干し草と埃の臭いがしました。ぴぎーぴぎーと子豚が足をバタつかせますが、そこまでの衝撃はありません。


「はいはい。みんなのところに戻ろうねー」


 私は子豚の足を抱え直すと、アークたちのところへ歩き出します。

 その時でした。


「ココー!」


 私の耳が、声を拾いました。鈴を転がしたような声が、大きく聞こえました。

 私は、私は――


「――!」


 急いで声のした方へ体ごと顔を向けました。

 舎屋のある丘に、その人はいらっしゃいました。


「……ま」


 その髪は結い上げられていました。

 その体は灰色のツナギを纏っていました。


「……ま」


 その顔はとても笑顔でした。

 相変わらず、その姿でさえも、めちゃくちゃ、可愛い。


「まー!!!」


 私は叫びました。心の限り、叫びました。文字通りに言葉を、失いました。

 ママンのことでもなく、前世の知識で私ぐらいの年代の女性が使う「それって本当?」の「マ?」でもなく。

 マリアンナお姉様を。


――


 ピンクの腕から、ピンクが逃げた。これは比喩だ。あいつの腕から、子豚が逃げた。


「ばっ?! ココーなにしてんだー!」


 遠くから、あいつの幼馴染みが叫んでいた。小さなピンク色が、僕たちのところに向かって、走ってきている。


「わりぃあんたらー! そっちに行ってる子豚捕まえてくれ!」


 あいつの幼馴染みがそう叫んだ。

 ここで魔法を使ってはいけないことは、事前に知っていた。まったく、面倒だ。

 子豚が、僕たちに走ってきた。走ってきて、走ってきて――


「――ぐっ」


 なぜか僕の腹部に飛びかかってきた。いわば、頭突きだった。

 僕は尻餅をつきつつも、腹部にいる子豚を捕まえた。


「お義兄様! 大丈夫ですか?!」

「……この通り、大丈夫だよ」


 腹部が鈍く痛むけれど。


「ナイスキャッチ、センセ!」

「……ああ、そうだね」


 腹部が鈍く痛むけれど。


「……」

「……」


 無言でメモ帳を取り出すんじゃない、ライ。


「ぴぎー! ぴぎー!」


 子豚が鳴く。鳴きながら、僕の頬に鼻先を擦り寄せた。……犬の臭いとは違った、嗅ぎなれない臭いがする。


「……」


 僕は、動物が好きではない。それは今でも変わらない。

 特に、牧場の生き物ならなおさら。結末は、未来を見なくても知っているから。

 

「懐かれましたね、お義兄様」

「・・・・・そうだね」


 結末を、未来を、知らないふりをして、僕は子豚の鼻先を撫でた。


「ぴぎー」


 子豚が鳴く。僕はわずかに目を伏せた。


――


 ライはメモ帳にペン先を乗せた。

 

「ぴぎーぴぎー」


 実物を初めて見る子豚を描く。簡単に。いつかは細部まで描きたいと思いながら。


「あ……」


 兄の表情の緩みに、ライはほんの少し口端をあげた。

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