第13話 主人公、入浴する

 その日のお茶会で、私はお姉様から包みを貰いました。綺麗に包装紙でラッピングされていて、中身は見えませんでした。


「これは?」


 私が聞くと、お姉様が答えます。

 

「この前のクッキーのお礼よ。すっごく美味しかったから」


 ありがとうここにいないフウロさんお姉様からお礼いただきました。


 私の頭の中でフウロさんが得意げに笑いました。

 ちなみに、フウロさんは自らお茶会に参加するのを辞退しました。


「嫉妬深い少年君にたじたじする黒髪美人ちゃん見たいけど、ずっとだと可哀想でしょ」


 お姉様とライさんのの気を使ってくれました。


「いいよ。俺の本命はココちゃんだから。また休み時間に会おうね」


 なぜ私の気は使ってもらえないのでしょうか。


「湯上りに髪につける香油なのだけど、使ったことはあるかしら?」


 ここで、この世界の入浴事情を説明しようと思います。

 この世界には、前世の知識のような湯船にお湯を張るという、文字通り湯水のようにお湯を使う文化はありません。基本的にシャワーです。シャワーには水を引き上げたり、水をお湯にしたりという魔法が複雑に絡んだ古語がかかれており、購入しないと使用できません。

 基本的に、といったのはここではない遠い街には『温泉』という自然現象で生まれたお湯を使って、入浴を楽しむものがあると聞いたことがあります。

 前世では日常的に使っていた、電気、水道、ガスは全て魔法に置換されています。それが今まで当たり前でしたから、思い出した時のカルチャーショックは凄まじかったです。


「使ったことはありませんが、聞いたことはあります」

「そう。掌に数滴落として、髪に馴染ませるように塗るの」


 こんな風に、とお姉様がその黒くて綺麗な髪に手を入れて、流れに沿うように指を滑らせました。あ、すごいです。ふわっといい匂いがしました。花の匂いに似た、すごくいい匂いでした。


「私が気に入っているお店のモノなのだけど、ココがどんな匂いが好きか分からなかったから、私がいいと思った匂いで選んでしまったのだけど」


 お姉様が申し訳なさそうに眉を下げました。

 私は全力で首を振りました。


「嬉しいです! 私、大事に使います!」 


 お姉様が選んでくれた。私のために選んでくれた。こんな嬉しいことがありましょうか。早速今晩使いましょう。

 私の勢いに、お姉様がキョトンとした顔をしてから、ゆっくり微笑みました。


「そう言ってもらえて嬉しいわ。本当は、私もお菓子を作ってこられたら良かったのだけど、作り方が、分からなくて」


 お姉様の手作り。それは是非、食べたいものです。


「あの人からお菓子作りを教わろうかしら」 


 ですがその手段は、いただけません。


「ダメです」

「駄目」

「駄目だよ」

 

 私とライさん、ついでに先生の否決で、全票一致しました。


「それなら私が、お姉様にお教えします」

「だっ……」


 先生の声が聞こえた気がしましたが、無視します。


「なら、お願いね、ココ」

「はい!」


 そうして、その日のお茶会は終了しました。

 私は自室に戻ると、頂いた包みの中身を取り出しました。中身は液体の入った、丁度私の髪の色と同じ色の小瓶でした。可愛らしいです。

 試しに、蓋を開け、匂いを嗅いでみました。


「……これは」


 私の好きな匂いでした。花と石鹸が混じったような良い匂い。お姉様の髪の匂いとはまた違った、良い匂い。


「……くぅわぁあ」


 私は声を出しました。感極まりました。

 匂いや味と言ったものは、個人差がありますので、お姉様が良い感じた匂いが、私にとって良いとは限りません。ですが、そんなことは杞憂でした。味覚も嗅覚も、私とお姉様は似ていました。

 私が美味しいと感じたものをお姉様が美味しいと感じてくれる。私がいい匂いと感じたものをお姉様が良い匂いと感じてくれる。

 共感。共有できる感覚。素敵です。好きな人とならことさらに。


「よし」


 私は浴室に向かいました。鼻歌混じりに、服のボタンに手をかけました。

 私のための贈り物の、効果を際限なく発揮するために。


――


 シャワーから出た湯が僕の頭を容赦なく叩く。前髪が重く垂れさがり、視界をやや暗くさせた。


「……」


 今日のお茶会を思い出す。マリアンナが笑顔だった。ライはいつも通り絵を描いていた。

 ピンクのあいつが、マリアンナから贈り物を貰っていた。

 僕もマリアンナから贈り物を貰ったことがある。誕生日に、日頃の感謝に、よく見てきた光景だ。

 よく見てきた光景に、あいつが入り込んできた。

 僕はあいつが嫌いだ。あいつのせいで、僕はマリアンナやライの未来が見えない。今日も見えなかった。


「……」


 見えなくなってから数ヶ月。あいつがマリアンナの日常に入りこんでから、良くないことが起こってない。マリアンナは笑顔で過ごしているし、それどころかあいつがいないと落ち込むようになった。

 ライがマリアンナにアプローチすることが増えた。あいつや、あいつが連れてきた彼の存在があってのことだろう。自分の弟の新たな一面を僕は知った。良い方面で。

 楽観視、してしまいそうになる。

 あいつは、無害なのではないか。マリアンナに害を及ぼさないのではないか。


「……悪い、考えだ」


 僕は呟く。

 良いことばかりが起こるわけがない。いつかきっと、そう遠くない日に、良くないことが起こる。

 今までなら、悪いことが起こる未来を意図的に避けられていた。でも今は、自分が、マリアンナやライが、どこの葉脈にいるのか分からない。

 明日なのか、数か月後なのか、数年後なのか、それさえも分からない。

 それが僕には怖い。


「……」


 僕はシャワーのコックをひねった。降りかかっていた湯が途絶えた。

 こんなふうに、止められることが出来たらいいのに。

 あいつがマリアンナにお菓子の作り方を教えると言った時だって、駄目だって言えたらよかったのに、マリアンナの嬉しそうな笑顔で言えなくなってしまった。僕が教えられたのだけれど、僕もマリアンナ同様、作り方を知らない。

 知らない。


「……そうか、その手があった」


 僕は思わず声を上げた。

 大変不本意だが、僕もあいつからマリアンナと一緒にお菓子作りを教わればいいんだ。あいつがマリアンナに害を為さないかどうか監視すればいんだ。

 あいつは不審がるだろうけど、マリアンナは喜んでくれる。


「お義兄様と一緒にお菓子作りできるなんて、嬉しい!」


 そう言ってくれる。愛らしい。

 ああ、そう考えたら余裕が出てきた。安心するには早いけれど、僕は出来るんだって自信になった。


「……ふぅ」


 僕は前髪を掻きあげて、余分な水滴を振り落とす。パラパラと散った水滴がまるで僕に喝采をしてくれるように聞こえたくらい、僕は上機嫌だった。

 さあ、マリアンナから貰った香油を付けよう。僕のために選んでくれた、落ち着いた匂いの香油だ。とても気に入っている。

 あいつよりも、僕の方が先に貰っている。僕の方がマリアンナとよく関わっているんだ。

 絶対、あいつには負けないぞ。


――


 ライはベッドのサイドチェストの引き出しを開けた。入っていた、自分の目と同じ色の小瓶を手に取る。湯上りの今、ひんやりとした小瓶が心地良い。


「……」


 蓋を開け、数滴を掌に落とす。

 指を立て、髪に馴染ませる。何度かそれを繰り返し、髪全体に施した。

 自分にとって良い匂いがした。マリアンナが選んでくれた、良い匂いだ。


「ありがとう、マリー……」


 今日のお茶会で描いた、髪を指で梳かす仕草をしたマリアンナへ、ライは呟いた。

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