第9話 主人公、悪役令嬢に泣かされる
私は走りました。一秒でも早くお茶会に着くために。一瞬でも早く、お姉様の笑顔をこの目に映すために。
中庭にたどり着き、石畳の道を踏みました。踏んですぐに、芝生を靴裏を合わせました。石畳の道は、服を木の葉に触れさせることなく、私をガゼボまで案内してくれます。ですが、やや大回りなのです。それでは、遅いのです。
私は最短で、最速で、行きたいのです。なりふりなんか構っていられません。
垣根を横切る度に、袖に、髪に、葉が付きました。それでも前へ進みます。進みます。進んで――
視界が、開けました。
五日ぶりの景色です。今日もよく晴れていてよかったです。ガゼボがキラキラ光って、私を歓迎してくれているようです。
「……」
ライさんがこちらを見ています、いつものように無表情です。相変わらずで安心しました。
「……」
お姉様がこちらを見ています。ティーカップを持ったまま、その美しい目を大きく見開かせています。
お姉様がティーカップを置いて立ち上がりました。一歩、また一歩と足を進めました。私に向かって、近づきました。
私も同じように一歩、また一歩と足を進めました。お姉様に、近づきました。
文字通り、夢にまで見たお姉様が、私の近くにいらっしゃいます。
「コ――」
「おねえ――」
お姉様と私は、同時に口を開きました。
感動の、再会でした。
その、はずでした。
「やっと追いついたー!」
「さぎゃあああああああああああ!」
背後から聞こえた大声に、私は驚いて叫びました。ええ叫びました。淑女が出せそうにない叫び声でした。
急いで振り返ると、あの攻略キャラの男子生徒がいました。私と同じように正規の道で来なかったようで、服や髪に葉がくっついていました。
「ごめんなさい殴って本当にごめんなさいお願いですから生徒指導の先生に訴えるのはやめてください」」
誠心誠意謝りました。追いかけてくるほど、男子生徒のプライドを私は傷つけてしまったようです。
「そんなのいいから!」
どうしましょう。謝罪を受け入れてくれませんでした。
ああ、今日でお姉様と会えるのが最後なのかもしれません。これから私はどう生きていけばいいのでしょう。私にとってのバッドエンドはこれです。
「君すごいね! 俺女の子に叩かれたの初めてだよ! もっと君のこと知りたい! だから俺と付き合って!」
マゾでしょうか。なんとかそれだけは、考え付きました。
お姉様とやっと会えた喜びと攻略キャラが追いかけてきた驚きと叩いたことによる退学の恐怖がすでに頭にあったのに。それに加えて、男子生徒に両肩を強く掴まれて、笑顔を向けられています。
本当に、訳が分かりません。頭の処理能力が疲弊しています。
「……えっへん」
わざとらしい咳払いが聞こえ、私はそちらを向きました。いつもなら聞きたくない声堂々の第一位ですが、今回ばかりは別です。天の助けです。
「どういうことか、一から説明してもらえるかな」
お義兄様が、そう言ってきました。なぜか息が上がっているのは、気にしないことにしました。
私と男子生徒は、ガゼボの椅子に座らされ、立ったままのお義兄様から見下ろされています。生徒指導室に呼ばれたような気分です。当たらずとも遠からずでしょうけど。
「つまり、君は校内で暴力行為をしたと」
私が一通り話し終えると、お義兄様がそう結論付けました。
私は慌てました。
「弁明させてください。あれは正当防衛です」
「そうだよ先生! あれは良いビンタだった! 弱かったけど!」
「君はちょっと黙っていなさい」
お義兄様と意見が一致しました。
「とにかく、理由はどうあれ、暴力行為をしたことに変わりはないから」
「……」
「後で僕から学年主任に言っておく」
「……」
「……と思ったけれど、僕は忙しいから、言うなら自己申告したまえ」
「……え?」
お義兄様の思いがけない言葉に、私は目を瞬かせました。だって、お義兄様ですよ。あのお義兄様ですよ。幾度となく仲違いしたお義兄様が私を庇うような台詞を言うなんて、思いもしませんでした。
お兄様が男子生徒を見て言います。
「君、入学してから女子生徒と何回問題になったと思っている?」
「先生は、生まれてからパンを食べた回数っていちいち数えるタイプ?」
「真面目に答えたまえ」
「覚えてるわけないでしょ。だってここ、良い女の子いっぱいいるんだから」
しれっと言います。流石はチャラ男枠です。
「でも、それも今日で終わりかもね」
男子生徒はそう言って、隣に座っていた私の肩を抱きました。
「すっごく面白い子に会えたから」
笑顔を私に向けてきました。女性を誑かすことに慣れていそうな、甘いマスクという言葉に相応しい笑顔です。
ぞわりと鳥肌が立ちました。
「やめてください本当にノーサンキューです」
「ああそれ! そういうのホント新鮮で刺激的!」
確定しました。やっぱりこの人はマゾです。
肩に乗せられた腕をどうにか外そうともがきますが、負傷しているうえに力の差で押し負けそうです。
「教師の前で不純異性交遊は止めなさい」
お義兄様は笑顔を絶やしていませんが、今にもため息を吐きそうな空気を醸し出しています。
「だってさ、俺あえて、怪我してない方の手掴んでたのに、この子怪我してる方で、俺のこと叩いたんだよ。普通の女の子じゃ無理だって」
「……」
私は思いました。
なぜ今それ言うのろくでなしチャラ男野郎
せっかく隠し通してきたのに、この五日間が無駄になりました。
「ココ」
見守っていてくださっていたお姉様が、私を呼びます。五日ぶりに、お姉様に呼ばれました。
嬉しいです。とてつもなく嬉しいのですが、隠していた罪悪感で素直に喜べません。
ゆっくり、お姉様を見れば、私を見ています。笑顔ではありません。少し厳しい顔をしています。
こんな顔が、見たいわけではなかったのに。
「どちらの手で、その……殴ったの?」
ごめんなさい本当にごめんなさいお姉様の口から殴るなんて物騒な言葉出させて本当にごめんなさい。
心の中で全力で謝罪しました。
「……こっちです」
私は素直に、叩いた方の手をお姉様に差し出しました。
お姉様が、私の制服の袖をめくります。完全に、気づかれてしまいました。
「この怪我は?」
「五日前に、廊下で人にぶつかった時、捻挫して。もう殆ど治ってるんで、大丈夫です」
叩いて再発しそうですが。とは言いませんでした。
「そう」
お姉様はそう呟くと、私の手に指を滑らせました。唇を細かに動かし、呪文を唱えていました。
治癒魔法、でした。
「お、お姉様。私は、大丈夫ですから……」
「私が、心配なの」
出会ったあの日と同じように、お姉様は治癒魔法を施し、そしておまじないをかけました。
「ココ」
唇を私の手から外したお姉様が、やっと私に微笑んでくださいました。
「この五日間、私、ここが来なくなって、とても不安だったの。私が何か貴女に嫌なことをしてしまったのかしらって」
「ないです! 絶対にないです!」
私は首を振って、主張しました。悪役令嬢のままのお姉様だったら、考えられなくはないですが、今のお姉様が私に何かするようなことは決してありません。
「私が、来なかったのは、心配かけたくなくて……」
今更、それが誤りだったことに気づきました。お姉様を、不安にさせてしまった。悲しませてしまった。
大好きだと豪語していたのに、私は。
「ごめんなさい……」
私はうなだれました。謝る以外の方法を、私は知りません。お姉様がどうやったら笑顔になれるのか、分かりません。
「顔を上げて」
頭上から、お姉様の声がしました。私は素直に従って、顔を上げます。
もう嫌いと言われたらどうしようとか思っていました。
「貴女がいないと、寂しいわ」
そんなことを言われて、私は抱きしめられました。
誰に言われた? お姉様に。
誰に抱きしめられた? お姉様に。
元悪役令嬢が、主人公を抱きしめています。
「ありがとう、また会いに来てくれて」
温かくて、柔らかくて。
長いと感じていた五日間が、埋め尽くされるくらい、私は満たされていました。
いろいろ言いたいこと、思ったことがありますが、今それらは無力です。
「……はい」
それだけを言うのが、精一杯でした。
泣きそうなくらい、幸せでした。
――
不純異性交遊はよく聞くが、不純同性交遊はあまり聞かない。
校則に、載せた方がいい。
「あ、俺、もしかして良いことした?」
「君はもっと自分の行いを顧みなさい」
ため息が尽きそうになるのを押しとどめながら、僕は抱き合っている二人を見る。
マリアンナが笑顔だ。ようやく見れた笑顔が、あのピンクがここに来たことが要因になっていることが納得いかない。いかないけれど、事実がそうであることには変わりない。
それにしても、五日ぶりのマリアンナの笑顔、むちゃくちゃ可愛い。
「いいなー。俺も手当てしてほしいー」
彼がそう呟いた瞬間、僕たちの心は一つになった。
「……」
「……」
「……」
僕とライ、それからついでにあのピンクが、彼を見つめた。無表情で、見つめた。
それ以上言ってみろ、その喉仏引きずり出すぞ。
言外に、訴えた。
「……なんでもないやー」
彼は、そう言い、それ以上は何も言わなかった。……なぜか期待に満ちた目でピンクを見ていたが。
「あ、お姉様。服に葉っぱついてます」
「あら、ココから着いたのね」
「え? 私そんなに葉っぱついてますか?」
「そうね。取ってあげるわ。動かないで」
マリアンナとピンクがさらに仲良くなってしまった。
面白くない。本当に、面白くない。
でも今日だけ、本当に今日だけは。
「ふふ」
「えへへ」
マリアンナを笑顔にさせた、あのピンクに感謝しなくもない。
――
「……」
今日はよく絵が進む。さらさら描けた。
自然と口元が緩んだ気がした。
「……よかった」
笑い合うココとマリアンナの絵を見ながら、ライはそう呟いた。
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