第7話 主人公、負傷する

 学園内において、授業以外で魔法を使うことは禁止されています。放課後に自主練習をしたい場合は、先生に許可を取れば先生の監督の元で使うことは可能ですが、無許可で使った瞬間、生徒指導の先生が使った生徒をとっちめにやってきます。ですが、例外として治癒魔法のみ使っていいことになっています。人命救助は立派な行いだからだそうです。

 そのおかげで、私はお姉様と運命的な出会いをすることができました。ありがとう校則。ありがとう校則決めてくれた会ったことのない学園長。

 治癒魔法は、便利ですが万能ではありません。私のような専門知識のない一般人では切り傷や打撲を治すのがせいぜいで、専門知識を持っている医者でも完治させることはほとんどできません。それに加え、治癒魔法は自分の生命力を他者に与える原理なので、自分自身が弱っている場合は使えません。そのため、自分の怪我を治すことはできません。悪化するおそれがあります。薬や医療道具でそのあたりはカバーできますので、風邪を引いたら医者に薬をもらいにいくのが通説です。

 ですから、初対面な私に治癒魔法を使ってくれたお姉様は本当に慈悲深いです。素敵です。たまりません――。


「――いっつ……!」

「あー、これは派手にやったわねぇ」


 手首に感じた痛みによって、考え込んでいた意識が浮上しました。

 私が今いるのは医務室です。手当てをしてもらっています。

 理由は、悪役令嬢が本性を顕わにして私の手首をナイフで切り付けた、というものでは一切ありません。お姉様は無関係です。昨日も変わらずお姉様でした。美しかったです。

 単なる私の不注意です。教室の移動のため、廊下を歩いていたら、曲がり角で他の生徒とぶつかりました。尻餅をついたとき、着いた手に鈍い痛みを感じました。思わず顔を顰めましたが、ぶつかった女子生徒(ぶつかった拍子に落とした私の教科書を集めてくれました。ありがとうございます)に心配をかけないよう、誤魔化しました。大したことはないと、高を括っていましたが、次の授業、また次の授業でも痛みは引かず、医務室に赴いた次第です。


「ちょっと重い捻挫ね。利き手かしら?」

「……違います」


 やや涙声で私は言います。これは、結構痛いです。


「なら、不幸中の幸いね。五日くらいは激しい運動をしちゃダメよ。実技の授業も見学。治癒はかけるけれど、それからは薬と、貴女の自己回復力よ」

 

 触診を終えた医務員が、私の掌に指を滑らせます。お姉様にしてもらった時とは違った文字を書いて、違った言葉を紡ぎました。

 私の手首に薬草を仕込んだ布を置き、その上から包帯を巻きつけました。丁寧なのですが、解けないようにするためか少し強めに巻かれました。


「はい。おしまいよ。明日の朝、またいらっしゃい。巻いてあげるから」

「ありがとうございます」


 私はお礼を言い、医務室から出ました。丁度、次の授業までの隙間時間だったため、廊下は静かです。私の靴音がよく聞こえます。閉じられた教室の扉から、先生の声がくぐもって聞こえます。


「……」


 私は手首を微かに動かし、調子に乗って大きく動かしてみました。呻きました。


「参ったなー……」


 私は負傷した手首を眺めながら呟きました。次は好きな魔法実技の授業でした。残念ながら見学です。

 でも、それ以上に残念なのが――


「お姉様、これ見たら心配するだろうな……」


 初めて会った時、貧血気味(理由はお姉様を悪役令嬢と思い込んでいたため)だった私を心配して治癒魔法をかけてくれたお姉様。きっと、私の怪我を見たら心配してくれます。心を砕いてくれます。綺麗で美しいその顔を歪ませてくれます。

 私は、そんなことは望んでいません。お姉様には、笑っていてほしいです。


「……五日。たった五日。……大丈夫」


 幸い、あのお義兄様が受け持つ授業を私は取っていません。他の先生から聞かされるかもしれませんが、たった五日です。聞く前に私が完治しているでしょう。廊下で偶然出くわしても、制服の袖で包帯は隠せます。それに、お義兄様が私のことを気にかけるとは思えません。普段の言動から察しています。

 大丈夫。大丈夫。


「……」



 でもお姉様の笑顔五日も見れないとか私大丈夫かな禁断症状でないかな夢遊病でお姉様の寄宿舎に忍び込んだりしないかなそれで私退学になったりしないかな嫌だなにそれ辛すぎる



 私はすぐ近くの柱に頭を押し付けました。これから来る五日間。私の忍耐力が試されます。正直不安です。


「……頑張ろう」


 私はなんとか結論づけて、次の授業が始まる教室に向かいました。


「……」


 そんな私を見ていた人影には、気づきませんでした。


――


 ここ数日、良い日が続いている。忌々しいピンクがお茶会に来ないおかげだ。


「ココは、今日も来ないのかしら……」


 マリアンナがティーカップを持ったまま呟いた。悲しそうに目を伏せて、長い睫毛が目元に影を作る。


「きっと、彼女も忙しいのだよ。うちの学園の授業は難しいから、図書室に行って勉強しているんじゃないかな」

 

 僕はそう言ったが、マリアンナの表情は晴れなかった。


「私……、ココに何か気に障るようなことしてしまったかしら……」

「それはない」


 僕は即答した。マリアンナが誰かに気に障るようなことをしたって。そんなこと、あるわけがないじゃないか。マリアンナが僕が未来で見た性格ブスになっていたのならともかく、今のマリアンナは素敵なレディだ。あり得ない。


「……」


 マリアンナは黙ってしまった。せっかくピンクがいないのに空気が悪い。


「……兄貴」


 ずっと絵を描いていたライが僕に声をかけた。


「他の先生たちから、彼女の様子って聞けないのか?」

「それは出来るけれど」


 表情は変えなかったが、僕は乗り気ではなかった。あまり、ピンクに関わりたくなかった。僕にとって、ピンクは異端で、いない方が正常だ。僕自身が関わりを持つのは避けたかった。

 ピンクが来なくなった日に、僕はマリアンナとライの未来が久しぶりに見えた。霞がかっているものの、僕はまた見えたことに安堵していた。凄惨な未来は、訪れようとはしていなかった。

 ピンクがここに来れば、また見えなくなるのだろう。それは、僕にとって、よろしくない。


「わ、私からもお願いします!」


 マリアンナが身を乗り出すように言ってきた。お淑やかなマリアンナにしては、すごく珍しい。

 それだけ、あいつを気にかけているのだろうか。そうなのだろうか。

 ああ、本当に、気に喰わない。あいつのことが。守ろうとしているのに守れない僕自身が。

 

「分かったよ」


 大事な弟と未来の妹のためだ。少し、堪えよう。

 大丈夫。大丈夫だ。絶対守る。絶対守れる。

 そう自分で自分を勇気づけた。


――


「……」


 ライは今日も絵を描いていた。

 進みが悪いことは、ライ自身がよく分かっていた。賑やかだったお茶会が、思った以上に馴染んでいたようだ。


「マリーが……寂しがってる……」


 マリアンナの寂しそうな横顔が、スケッチブックに描かれていた。 


「俺も……」


 ひとりごちた声は、誰にも掬われなかった。  

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