第6話 主人公、幼馴染みと再会する
『ココへ
元気にしているかしら。パパンとママンは元気です。
ココが魔法大学園に行ってしまって一ヶ月が経とうとしています。不思議と家の中が広く感じるわ。
ココなら大丈夫だと思いますが、風邪を引いていないか、クラスの人たちと仲良くなれているか心配してます。気をつけて。
帰るときは、一報ちょうだいね。ココの好きな、ホワイトシチューを作って待っています。
追伸――』
休日です。学校はお休みです。けれど私は、校門の前に立っています。学園指定の制服ではなく、私服を着ています。スカートですが、機能性は高いです。動きやすいです。お気に入りです。
カコンカコン。石畳に固い何かが弾む音がします。聞き覚えのある音です。
「コーコー!」
近づくその音と共に、私を呼ぶ声がしました。そちらの方を向けば、見知った姿を視界に捕らえることができました。
私は手を振りました。
「ジョセフー!」
私は馬の名前を呼びました。学園に入学する前までよく呼んでいた名前です。だんだんと大きくなり、その輪郭をはっきりとさせていきました。しなやかな黒い体躯が特徴です。
「ジョセフかよー!」
その背に乗った騎手が叫びました。よくしていたやり取りに、私は笑いました。
嘶きと共に、黒い馬――ジョセフが私の近くまでやってきて止まりました。
「よーし、どうどう。お疲れジョセフ」
騎手がジョセフを宥め、手綱を持ったまま、その背から降りました。
私は必然的に騎手の彼を見上げて、にっこり笑います。
「久しぶりだね、アーク」
彼はアーク・ゼルイ。私の幼馴染みです。橙色が混じった夕日のような赤い髪をしています。
『――追伸、次の休日にアークがそっちに行くそうだから、よろしくね』
ママンからの手紙を受けて、私はアークを待っていました。
ところで、この世界の長距離の移動手段は大きく分けて二つあります。
一つは、アークのように馬を使って移動する手段。馬車やそのまま馬に乗ることです。
もう一つは、魔法を使って移動する手段。現在地と行きたい場所に魔法陣を書いて、呪文を唱える手段。時間の短縮には魔法の方が圧倒的なのですが、これには欠点があります。まず生き物を移動させることができません。無機物のみです。また、魔法陣の大きさ、文字の大きさ、陣を書いた触媒が全て一致しないと発動できません。ですので、専門知識を持った魔法使いが書かなければ、成り立ちません。その魔法使いを雇うのに、多大な費用がかかります。
このため、現時世では、馬による移動手段が必要です。
ですが、いつか魔法による移動手段が主流になる日が来るでしょう。魔法は研究され、日々変化しています。前世で学んだ歴史に起こった技術革新と同じように。
話が逸れました。幼馴染みの話をしましょう。
幼馴染みとは、一ヶ月ほど会っていませんでした。こんなにも彼と会っていなかったことは今までなかったです。けれど、アークはあまり変わっていませんでした。私よりも背が高くて、乗馬が上手いです。腰に差した愛用の剣も健在です。
大きく変わったのは私でしょう。前世の記憶を思い出し、アークが攻略キャラのポジションだということを教えられました。
そのことを踏まえても、そうですね、正直に言って、ないです。アークとはただの幼馴染みです。白馬に乗った王子様はいません。黒馬に乗った幼馴染みです。そうとしか思えません。これは、記憶が戻る前も戻った後も変わりませんでした。よかったです。
「相変わらず、ちーせーな」
「アークが大きいの」
ぐしゃぐしゃとアークが私の髪を乱雑に撫でます。その茶色い目を細めながら、私の体の一点を見てきました。
「胸だってなー」
お分かりいただけたでしょうか。私の幼馴染みは、こういう人です。
本当に、ないです。
「ジョセフ、アークに噛みついて」
ジョセフは利口な馬です。私のお願いをよく聞いてくれます。
アークの頭に噛みついてくれました。
「いっ……!」
カポンとジョセフの整った歯が、アークの頭に当たる音がしました。アークが呻きました。ちょっとすっきりしました。
「ありがとうジョセフ。久しぶりー」
私はジョセフの面長な顔を撫でました。ジョセフが気持ちよさそうに目を細め、もっともっとと顔を私の方へ近づけます。鼻息が頬にかかってくすぐったいです。
「よーしよーし。ジョセフはいい子だねー」
「……ってぇ。ああ、あと、ほら」
アークはそう言うと、肩に掛けていた斜めがけの鞄の蓋を開けました。
そこに入っていたのは――
「ミシェラ!」
私は声を上げました。ミシェラです。我が家の愛犬がお行儀よく鞄の中に入っていました。白くてふわふわしていて、犬種で言うならチワワでしょうか。
「俺がジョセフに乗ったのを見て、ついて行きたいって鳴いてきた」
鞄にスペース作るの大変だったんだぞ、とアークが愚痴っていましたが、私は受け流しました。
「ひっさしぶりー! 元気にしてた?」
「アンアン!」
感動の再会です。私はミシェラをぎゅうっと抱きしめました。ああ、この感触、久しぶりです。温かいです。毛並みもふわふわでたまりません。
「……フン」
私の気がミシェラに逸れたからでしょうか。ジョセフが顔を私の服にこすりつけてきました。
「ジョセフー、くすぐったいよー」
こそばゆい感覚に頬が緩みました。
そんな時でした。
「やっぱり、ココだったの」
よく知った、鈴を転がしたような声に、私ははっとして、振り返りました。
「お姉様!」
お姉様がいました。相変わらずお美しい。お美しいのですが。
制服ではありません。私服です。ええ、私服ですとも。エレガントとも清楚とも思える服を着ています。髪の色とよく合う、淡い色の服です。
私は思いました。
うわああああああああああああああああああああ! 私服だああああああああああああああああああ! 初めて見たあああああああああああああああああああああ! 可愛いいいいいいいいいいいいいいいいいいい!
抱っこしているミシェラを勢い余って潰さないように悶えました。口がもごもご痙攣します。
「きょ、今日は、個展に行くんじゃなかったでしたっけ?」
そうなのです。お姉様は今日、絵の個展を見に行くと言っていました。私も一緒にどうかと誘われました。
むちゃくちゃ行きたかったのですが、時間をかけてやってきてくれた幼馴染みを迎えなくてはならないため、泣く泣く辞退しました。
それに、お姉様とライさんの休日デートを邪魔する気はなりませんでした。そんなことをしたら、馬に蹴られて死んでしまいます。
「その帰りよ。寄宿舎に戻ろうとしたら、馬の鳴き声が聞こえて、気になって来てみたら、貴女の髪の色が見えたの」
ありがとう私の髪。一時期パリピとか思って本当にごめん。
「……」
お姉さまがじっと、私を見つめてきました。透き通るような黒目にドキリとします。
「私服、初めて見たけど、よく似合っているわ」
お姉様が微笑みました。
「素敵よ」
普段と同様、いえ私服ですから2割増しでしょうか。微笑みに打ち抜かれました。ぎゃん、と言いそうでした。ミシェラごめん。ちょっと潰しそう。
とても幸せでした。このままでいたかったです。本当に。
幼馴染みが、水を差してくる前まで。
「ココ、誰だこの、む――」
いち早く察した私はアークの足を思いっきり踏みました。
呻くアークの服を引っ張って、耳打ちします。
「アーク、お願いだからこの人に恥ずかしいこと言うのやめて」
こういうときに限ってですが、相手の考えが分かるっていいですね。以心伝心、素晴らしいです。
「いっ! ……良いだろ少しくらいなら」
「だめだから!」
「……分かったよ」
アークが分かってくれました。流石は私の幼馴染みです。
お姉様が膝を曲げ、軽く頭を下げました。貴族特有の挨拶です。ちなみに女性用です。
「初めまして。マリアンナ・ヒューデオットと申します」
「え、あ、アーク・ゼルイと申します」
焦ったアークは、お姉様の真似をして、膝を曲げ、頭を軽く下げました。ちなみに、男性用の挨拶は、右手を胸に当てるようにし、気をつけの姿勢から腰を折るそうです。
「まあ、では、貴方がココの幼馴染みなのね。お噂は聞いているわ。素敵な幼馴染みって」
お姉様は、アークの間違った挨拶に何も言わず、アークに微笑みました。嘲りも怒りもしません。お姉様は今日も最高です。当たり前ですが。
「そ、そりゃあどうも。……貴族、すか?」
「ええ、そうよ。でも遠慮しないで。あなたの好きなようにお話ししてくれていいわ」
「はあ……」
アークはおそらく貴族の方を初めて見ました。無理もありません。私の暮らしていた町はとても小さくて、貴族の方はいませんでしたから。
でも、よかった。その初めての貴族がお姉様で。理不尽な理由で怒られることはないでしょう。粗相をしたら私がむちゃくちゃ怒るくらいでしょう。
「……マリー」
「ライさん!」
お姉様の後ろから、ライさんが歩いてきました。
いつものように、無表情です。お姉様と同じように私服です。以上です。
「……馬と、犬」
かと思えば、ジョセフとミシェラを見て、おもむろに鞄の中からスケッチブックを取り出しました。描き始めました。
「ココ、こっちも貴族か?」
「……ライ・ジルドー」
アークの呟きに、ライさん本人が答えてくれました。スケッチブックに目を向けたまま、時折ジョセフとミシェラに視線を向けています。一切会話する気がないようです。私は慣れましたが、アークは困惑しています。
「名前は、なんていうのかしら?」
お姉様がジョセフとミシェラを見ながら私に聞いてきます。
黒い目がきらきらと瞬いていました。
「馬はアークの家の愛馬ジョセフで、犬は我が家の愛犬ミシェラです」
「可愛いわ」
いえお姉様の方が一億万倍可愛いです素敵です本当にありがとうございます。
そう言えたら、どんなによかったことでしょう。
代わりに、私は提案しました。
「ミシェラ、抱っこしてみますか?」
「よろしいの?」
「もちろん!」
私はミシェラをお姉様に差し出しました。ミシェラは大人しくしてくれています。お利口です。
お姉様が壊れ物を扱うかの如く、私からミシェラをそっと抱っこしました。わずかに強ばっていた表情が、だんだんと、和らいでいきます。
ミシェラがお姉様の頬を舐めました。
お姉様はほんの一瞬だけ驚いた顔をしましたが、すぐに微笑みました。
「ふふ」
あああああああああああああああああああ!
沸き上がってきた衝動を抑えるため、私はジョセフの顔を抱きしめました。ついでに額をぐりぐりと押し当てました。干し草の乾いた匂いがしました。
「……フン」
さすがに嫌がられました。私の拘束をすり抜けて、顎を私の頭頂部に置いてきました。
「ジョセフー。ごめんー。重いよー」
「こら、校門の前で何を――」
またしても、聞き慣れた声がしました。
あまり聞きたくない声でした。
――
「先生こんにちはー。休日に一人でお出かけですかー?」
意訳:このさびしぼっち
なぜ、休日でもこいつと遭遇しなくてはいけないのだろう。
「こんにちは。僕はマリアンナとライと絵の個展に行った帰りだよ。いい個展だった」
意訳:お前の分まで楽しんできたぞ
「そう言えば先生も行くって行ってましたねー。二人に混じって行くってー」
意訳:二人のデート邪魔するなよ馬に蹴られろ
「そうなんだよ。マリアンナが三人で行きたいって言っくれてね」
意訳:お前は言われてないけどな
「そうだったんですねー。私も今日用事がなければご一緒したかったですー。でも、こうして会えてよかったですー。お姉様とライさん……と先生に」
意訳:てめぇは余計
ああ、せっかくのいい気分が台無しだ。
全部こいつのせいだ。こいつの。
それよりも――
「マリアンナ、その犬は?」
僕がそう訊ねれば、マリアンナはきらきらとした笑顔を向けてきた。
「お義兄様、ココの愛犬ミシェラです」
僕は思った。
犬を抱いたマリアンナ、すごく可愛い。
「アン!」
マリアンナに抱えられた白い犬が鳴いた。
そうか。ミシェラと言うのか。最初の方の名前は無視した。この犬はミシェラ。ただのミシェラだ。
「お義兄様も抱いてみませんか?」
「え?」
マリアンナの提案に、僕は思わず声を上げてしまった。急いで普段の表情に戻す。
「ココ、いいかしら?」
「……いいですよー。抱っこしても」
意訳:お姉様のお願いだから仕方なく、仕方なくだからな
「……」
マリアンナからミシェラを譲られた。
正直に言って、犬に良い思い出がない。詳細は省くけれど、あまり得意ではない。
「アン!」
ミシェラがまた鳴いた。こんなに小さな体で、鼓膜に響く鳴き声を発した。
温かくて、小さくて、軽くて、か弱い。
「……」
試しに、ミシェラの未来を見ようとした。ピンクと縁が強いからきっと見えないと分かっていながら。
案の定、僕には見えなかった。葉脈も、羽の残滓も。
ただ目の前に、ミシェラが舌を出して僕を見ていた。間の抜けた顔だった。この世の全てが幸せだという顔だった。
そのことに僕は――
「フン」
大きな鼻息が聞こえたかと思えば、頭部に衝撃が走った。
「いっ!」
「お義兄様?!」
マリアンナの驚嘆の声が聞こえた。ああ、そんな声は出さないでおくれ。僕は大丈夫だから。痛いけれど。
よく見れば、馬が、僕の頭に顎を乗せていた。ついでに擦り付けている。
「ジョセフが構えって」
今日初めて目にした少年が言った。そうか、この馬はジョセフというのか。
僕はミシェラを片手で抱え直すと、ジョセフの顔に触れた。平べったい皮膚に短い毛が生えていた。温かかった。
「……」
ジョセフの未来も見えなかった。ただ目の前に、ジョセフの顔があるだけだった。
頬が、動きかけた。
「い゛っ!」
痛みで顔がひきつった。
「ジョセフ! 髪はやめろ!」
「お義兄様!」
「……」
「……ジョセフありがとう」
忌々しいピンクの小声が聞こえた。やっぱり嫌いだ。
――
夕方になりました。空が橙色と薄紫色です。あっという間でした
「じゃあ、俺、そろそろ帰る」
アークはそういうと、颯爽とジョゼフの背に乗ろうとしました、
「宿に泊まっていけばいいのに。ここからジョセフでも半日かかるでしょ?」
私は提案しました。今から帰ると途中で夜になってしまいます。この世界には街の外に灯りが付く建造物はなく、夜になったら火か、星や月の光が頼りです。ですが、周囲を一望できない弱い光では夜道は危険です。
「明日、隣の家の屋根の修理の依頼が入ってんだよ。大丈夫だ、野宿するし。剣も持ってきてる」
「今日無理して来なくても良かったのに」
アークが野宿に慣れていることは知っています。ですが、やっぱり心配してしまいます。
アークが私の頭を撫でてきました。再会したときと同じようにぐしゃぐしゃと。
「俺が、ココに会いたかった」
そしてにかっと笑いました。
私は少々照れました。攻略キャラの話は置いておくとしても、幼馴染みからそう言ってもらえて悪い気はしません。
「アークさん。今日は楽しかったわ」
「そ、そりゃあ、よかった」
アークがお姉様に微笑まれてドギマギしました。気持ちはむちゃくちゃ分かります。
「ジョセフ、楽しかったわ」
「……フン」
ジョセフが鼻息をならして、その長い顔をお姉様に近づけました。
「ふふ、くすぐったいわ」
まるで甘えるように、ジョセフはお姉様の頬に自分の顔を擦り付けました。戯れていました。
「……」
私は思いました。
なぜこの世界にはカメラという便利な道具がないのでしょう。
描くよりもすぐ光景を残せることができるあの道具は、前世の記憶の中で一番欲しい道具です。今世でも技術革新によって実現しないでしょうか。
「ミシェラ、来い」
アークがミシェラに呼びかけると、ミシェラは先生の腕から飛び出し、鞄の中に入りました。自分が落ち着ける位置を、前足でふぎふぎさせて探し、やがて丸くなりました。
「可愛い」
お姉様が呟きました。ミシェラ、今日何回お姉様に可愛いって言われたんでしょう。羨ましいです。
「ああ、そういえば、あんた誰だ? ココは先生って呼んでたけど」
アークが今更のように先生に聞きました。そういえば、この二人はまだ自己紹介していませんでしたね。
「僕はグエン・ジルドー。魔法大学園高等部の教師だよ」
「俺はアーク・ゼルイ。ココの幼馴染み。……下の名前が同じってことは、そこのずっと絵ぇ描いてるのと親戚なのか?」
「兄弟だよ」
「ああ、なるほど。あー、ココがいつもオセワニナッテイマス」
アークはいつから私の保護者になったのでしょう。慣れないことをしているから、むちゃくちゃ片言です。
「いえいえ。彼女はとても優秀でね。僕が勉強を教わりたいくらいだよ」
褒められているのか、嫌味を言われているのか分かりません。おそらく後者でしょうけれど。
「ココ! お前すげぇな! 先生に褒められてるぞ!」
アーク、君はずっとそのままでいて。私はそう思いました。
「よし。じゃあな、ココ」
ジョセフに跨り、ミシェラが入った鞄を閉じたアークが私を見下ろします。夕日と同じ色の髪が輝いています。
「うん。近々帰るってパパンとママンに手紙書くよ」
「おう!」
アークが合図をした途端、ジョセフが嘶き、走り始めました。
「アンアン!」
鞄の隙間からミシェラが頭を出しました。カコンカコン、蹄の蹴る音がだんだん遠くなります。
私は思いっきり手を振ります。
「気をつけてねー!」
夕暮れに混じる幼馴染みを、私は見えなくなるまで見送りました。
――
「マリー」
「なにかしら? ライ様」
「力作」
「あら!」
「確かに、人間臭い」
「本当に。良い表情をしているわ」
二人は、ライの描いた絵を見ながら口々に言った。
ミシェラを抱えながら、ジョゼフにたじろいでいるグエンが描かれた絵を。
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