第5話 主人公、テンプレに安堵する
私は生徒なので、授業を受けます。授業は、学年ごとに絶対に受けなくてはいけない授業と、個人の自由選択で複数の学年が入り交じって受ける授業があります。絶対に受けなくてはならない授業は皆同じ学年のため、親しくなる速度が速いです。だんだんと顔見知りが増えます。
こんな風に。
「貴女! 生意気なのよ!」
授業が終わり、次の授業が始まる教室に行こうとした時でした。私が使っていた机の前に少女が立っていました。気の強そうな目をしています。なぜか少女の後ろに二人、別の少女が立っています
前にいる少女の名前は……えーっと……何でしたっけ?
「どうしたの?」
私は訊ねます。同学年のため、敬語はなしにしました。
確か前世の知識で、相手の顔が分かるのに名前が分からない現象をベイカーベイカーパラドクスというそうです。前世の私は博識ですね。プレイした乙女ゲームから得た情報だとしても勉強になります。
ついでと言いますが、そういった時の対処法も知識の中にありました。ありがたいことです。
「平民のくせに、私より成績が良いってなんなの! 生意気にもほどがあるわ!」
随分と理不尽な理由です。成績が良いのは私が天才型で、それに加え、勉強がさほど嫌いではないからでしょう。寝る前に予習復習はしてます。
少女は、どうなのでしょう。
「この前のテスト、クラスで何位だった?」
私は以前実施されたテスト結果の順位表を鞄から取り出しました。順位と名前が書かれたそれから、少女の名前を間接的に教えてもらう作戦です。
「……――」
少女はバツ悪そうに答えました。
私は指で順位を上から辿ります。ああ、少女の名前が分かりました。すっきりしました。
「そんな悪い順位はないと思うけど」
クラスの人数の中の上ですから、良いのではないでしょうか。至って優秀です。
少女が目を釣り上げ、両手を机に叩きつけました。
「私は! 貴女が! 生意気だと! 言っているの!」
べちん、と音が鳴りました。掌が痛そうです。大丈夫でしょうか。
と、心配はしますが、この状況はどうしたものでしょう。
おそらく、この少女は貴族で、平民である私が少女より成績が良いのを僻んでいます。そんな少女の後ろにいるのは、少女の取り巻きなのでしょう。腰巾着なのでしょう。
ああ、なんて、テンプレないじめ風景。
学園モノの乙女ゲームで、主人公をいじめる女子生徒が出ることがあります。大体三人で徒党を組んで、うち一人がリーダーです。すごく理不尽で、すごくどうでもいい理由で、因縁をつけてきます。
テンプレオブテンプレ。清々しいくらいです。
実は、悪役令嬢が世界最高クラスのお姉様になっていた反動が、いつか来るのではと内心慄いていました。小さな頃、幼なじみと家で楽しく走り回っていたら、花瓶を割ってしまい、ママンにむちゃくちゃ怒られたことを思い出させます。楽園から奈落です。
これくらいの奈落なら、むしろ大歓迎です。安心します。まるで実家のようです。
「ちょっと! 聞いているの?!」
考え込んでいた私に、少女が問い詰めます。
さて、少女を宥めましょう。私は乙女ゲームの主人公ですが、普通の主人公と違って、私はいじめに受け身になりません。言いたいことは、面と向かって言います。
だって私は、私なのですから。
「なら、手を抜けばいいの?」
私は少女に訊ねます。まっすぐに見つめて、目を逸らしません。
「そ、そんなこと言ってないわ!」
少女がややたじろぎました。こんなに堂々と迎え撃たれるとは、思っていなかったのでしょう。
「なら、どうすれば?」
「……し、知らないわよ!」
前世の知識で言う、逆ギレをされました。
私は気づかれないように小さくため息をついて、思案しました。少女は少女より成績の良い私が気にくわない。私が手を抜くのもだめ。
そうなると……ああ、打開策が見つかりました。
「これって、苦手?」
私は教科書に記載してある問題を指さしました。テストに出てきた問題と類似したものです。なかなか難しいものでした。
「……」
少女が顔をしかめました。私のやりたいことが分からないためか、この問題が苦手だからか、はたまた両方か。分かりませんが、都合のいい方に解釈しました。
「ここは、――」
私は勝手に少女に説明します。問題は、書かれた呪文がどんな魔法の触媒か、というものでした。
呪文の古語は似た文字が多いので、最初に一つしか意味を持たない古語を探します。そこから、この古語はこの魔法に使われることが多いからと見極めをつけ、ゆっくりパズルのように組み立てます。
「だから、ここは、火の魔法に多く使われる古語だから――」
「……」
私の説明を少女は黙って聞いています。真剣な眼差しです。後ろの取り巻き二人も聞いてくれています。
三人とも、根っこは真面目なようです。
「わ、分かったわ!」
少女が声を上げました。嬉しそうな声でした。ついで達成感に満ちた笑顔をしています。
「それはよかった」
私が少女に微笑んだのと同時に、次の授業が始まる予鈴が鳴りました。急いで移動しなくてはいけません。
「ああ、私、次の授業があるから」
「ま、待ちなさい!」
席から立ち上がると、少女が私を止めました。
言外に、貴女はできる人と教えたつもりなのですが。やはり、少女風に言うのなら、平民風情に教えてもらうのはしゃくだったのでしょうか。
私が、内心どうしようかと困っていると、少女は私を睨みました。話しかけてきた時よりも敵意が少ない睨みでした。
「そ、その、今回は負けてしまいましたが、次は負けないんですからね!」
ああ、よかった。全部が全部いい子じゃないににしても、負けん気の強いごくごく普通の女の子でした。
乙女ゲームで見かけた、腐った卵や虫の死骸を主人公に投げてくるようなクレイジーガールではないようです。二代目悪役令嬢ではないようです。
「臨むところ」
その睨みに対し、私は不敵に微笑みました。
――
「――こんなことがありました」
「そうだったの」
「……」
放課後、私はお茶会にてそのことを話しました。お姉様は相づちを打ってくださいました。ライさんは、聞いているのかいないのかよく分かりません。最初に目を合わせたっきり、絵に向かっています。
「その子とは、仲良くなれそうかしら?」
「なれるといいんですけど」
私は苦笑しました。私と競って一喜一憂する少女が目に浮かびます。負けん気の強い目で、私に何度も宣戦布告する姿も。
「……」
私は苦笑を止め、目尻を下げながらお姉様に訊ねました。
「その子と話して思ったんですけど、お姉様たちから見て、その、私って生意気ですか?」
今更ですが、お姉様とライさんは貴族で、私は平民です。少女が思うことを、二人が思っても不思議ではありません。
面と向かって『ええ、貴女って生意気だわ』とお姉様に言われたら私は泣きます。絶対泣きます。本当の奈落はこちらです。
なら聞かなければ、と思うでしょうけれど、私はお姉様に不必要な遠慮や気遣いをしたくありません。
だって私は、お姉様と仲良くなりたいんですから。
「そんなことないわ」
お姉様が首を振って、ベンチに乗せていた私の手に触れてきました。優しく、そっと。白魚のような手が私の手に。
生唾を飲みかけました。
「貴族でも、平民でも、ここの生徒であることに変わりないわ。それに、私、貴女とお話しするの、好きよ」
生唾を飲みました。
お姉様ああああああああああああああああ! 私も好きですううううううううううう! 大好きですうううううううううううううううう!
頭の中が大パニックで、心臓がバクバク言っています。歪みそうになる口元を意地で止まらせ、私はしおらしく頷きました。
「ライさんは?」
出した声は、若干震えていました。お姉様から頂いた、愛の衝撃故です。
「……」
ライさんは、ちらりと私を見ました。相変わらず、無表情です。笑いも怒りも困りもしていません。
「……マリーが良いんなら、いい」
そしてこちらも相変わらず、それだけ言うとまた絵を描き始めました。
「……私、嫌われてませんか?」
「そんなことないわ。ライ様も、貴女が好きって」
やや、納得できませんが、お姉様がそう言うのなら、良しとしましょう。
――
やっと憩いの場にたどり着いたというのに、ピンクのあいつは今日もいた。
「やあ、楽しそうだね」
僕がそう声をかければ、マリアンナが顔を輝かせた。可愛い。
「お義兄様! 今日はなんだか遅かったですね」
「ああ、生徒の質問に答えていてね」
「まあ、ココと同じね!」
マリアンナの発した言葉に、表情が歪みかけたのは初めてだった。決して、本当に決して、マリアンナが悪いわけではない。僕とこいつが、同じ?
何も言わない僕に、マリアンナが慌てて説明しだした。慌てふためくマリアンナ。一生懸命なマリアンナ。素敵だ。
「へえ、そんなことが」
マリアンナからの説明を聞き、僕は理解した。確かに、このピンクのしたことは間違っていない。教え方も良いと思う。そこだけは、見直してやっても良い。
そこだけ、は。
「君、放課後は有志で勉強会を開けばいいんじゃないか。優秀な君の主催なら、他の生徒も喜ぶだろう」
意訳:ここに来るな
「えー、私なんてまだまだですよー。先生に、先生たちにしっかり教えてもらわないと生徒は知識を学べませんよー」
意訳:もっといい教え方学べ。
「そんなことないさ。生徒同士、切磋琢磨して学び合えば、いい刺激になるだろう」
意訳:子供同士で仲良くしろ
「でもー、やっぱりー、分からないところってあるんでー、知識経験豊富な先生にー教わりたいなー」
意訳:サボるな年寄り
生意気じゃないって? こいつは十分に、十二分に生意気だ。
マリアンナ、君はとても優しいから、こいつに騙されているんだ。
と、それは今は置いておこう。大丈夫だ、僕はマリアンナを守れるんだから。
僕は表情を変えずに、職務を全うした。
「その女子生徒の名前は?」
僕はピンクに訊ねた。どんなにピンクが気にくわなくても、貴族も平民も平等だと謳う学園の風紀を乱す発言をした女子生徒には、僕たち教師が注意しなくてはいけない。どんなにピンクが気にくわなくても。
それなのに。
「言いませんよ」
ピンクははっきりと言った。
「言ったら、その子のこと気にしますよね?」
「もちろんだとも」
何を分かり切ったことを言うんだ。
「そんな些細なことで名前覚えられるより、良い成績取って覚えられた方が、その子も嬉しいでしょう。今回だけ、大目に見てください」
次に言われたら言いますから、とピンクは言った。
庇っている。悪口を言われた本人が悪口を言ってきた女子生徒を庇っている。
言うだろう、普通なら。なのにどうして。
「悪い子じゃ、ないと思うんで」
僕の疑問に答えるように、ピンクがそう呟いた。
そんな理由で、庇うのか。理解ができない。やっぱりこいつは異端だ。
そう思うのに、どうして、こいつを一瞬でも良い感情を抱いた?
「ココ」
マリアンナがこいつの名前を呼んだ。
「やっぱり、私、貴女が好きよ」
そんなことを言って、こいつに微笑んだ。優しい笑みだった。綺麗だった。
「お姉様!」
こいつは叫ぶと、あろうことかマリアンナの胸に飛び込んだ、抱きついたのだ。マリアンナが何も言わないことをいいことに、甘えるように自分の頭をマリアンナの胸に擦り付けている。マリアンナが困ったような顔をしながら、こいつの頭を撫でている。ああ、なんて健気なんだ、マリアンナ。
「……」
前言撤回。こいつは、とんでもない奴だ。
心の底から、気にくわない。
さっきのは、錯覚だ錯覚。生徒の質問に答えていたから、頭が疲れていたのだろう。お茶を飲もう。
「僕もお茶を飲むから、席を空けてもらえるかい?」
「ライさんの隣が空いてるじゃないですかー。もう視力の低下が始まったんですかー?」
本当に、生意気だし、気にくわない。
――
「……」
ライは今日も木炭を滑らせる。
淡々と、黙々と。
静かな方が、集中ができる。けれど、今描いている絵は、静かでは表せられない。
「……楽しそうだ」
わいわいしている三人をモデルにしながら、そう一人ごちた。
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