第4話 メインヒーロー、肩書き違わず

「マリーとの婚約を、解消しようと思う」


 なんでしょう、この既視感は。今世よりもずっと前に、見たような、聞いたような。


「その代わりに、彼女と婚約しようと思う」


 あれですね、愛読していた転生もの悪役令嬢小説の冒頭のシーンによく似ています。どきどきわくわくの物語の始まりです。

 私にとっては、最悪の終焉でしかありませんが。

 メインヒーローが、私の肩を抱いています。ここで私は顔を赤らめるべきなのでしょうけど、寒気しかしません。全力で逃げたいのですが、なぜだか体が動きません。


「連れていけ」


 メインヒーローがそう命じると、どこにいたのか、屈強な兵士たちがお姉様を取り囲みました。最後に見えたお姉様の顔は、怒りでも憎しみでもなく、悲しみに満ちていました。

 だめ。こんなのおかしい。私はメインヒーローに興味なんかない。お姉様は悪役令嬢なんかじゃない。

 私はお姉様と、仲良くなりたいだけ。

 だから、だから、お願いだから――


「――お姉様を連れて行かないで!」


 そこで夢が醒めました。

 寄宿舎の部屋の天井がよく見えます。自分の荒い息遣いが聞こえます。試しに腕を天井へ伸ばしてみます。動きました。伸びました。現実でした。

 額の上に腕を置き、夢見の悪さを恨みました。


「……夢で、よかった」


 朝です。おはようございます。窓から差し込む光が、天気は晴れだと教えてくれました。悪夢を見なければ、清々しい気分だったことでしょう。

 もう一度寝る気もしなかったので、私はベットから抜け出しました。洗面所に行き、顔を洗います。必然的に、自分の顔が鏡に映ります。アーモンドの目が少々眠たそうです。癖っ毛の髪に寝癖が付いています。これは梳かすのに時間がかかりそうです。

 

「頑張ろう……」


 悪戦苦闘しながらも、私は髪を梳かしました。ブラシに髪が絡まって少し痛かったです。

 制服に着替え、今日必要の教科書を詰めた鞄を持って、私は食堂へ向かいました。

 魔法大学園高等部は生徒も教師も寄宿舎で生活しています。一人一部屋使えるため、同室の人とトラブルになることはありません。今日ほどそれでよかったと思ったことありません。

 学年ごとに寮が分かれているため、私が朝、お姉様に会うことはありません。むちゃくちゃ残念です。


「……はあ」


 本日の朝食は、ロールパンとスクランブルエッグとベーコンとサラダです。平凡なメニューかもしれませんが、さすがは貴族の子息令嬢が通っている学園です、素材がとてもいいです。美味しい。美味しいのですが、今の私は、それを心の底から楽しむことが出来ませんでした。

 私が見た夢。あまりにも鮮明で、あまりにも現実感がありました。前世の知識と最近の記憶が混じったせいなのでしょうけれど、それにしてはあんまりな内容でした。


「……大丈夫、だよね?」


 私は、メインヒーローことライさんを思い浮かべます。

 無口無表情絵を描いている。

 情報量が少なすぎました。普通の乙女ゲームなら現状況では絶対に攻略できません。

 でも、この世界は現実です。少なくとも私にとっては。いつライさんが心変わりするか分かりません。


「……よし」


 確かめなくては、いけません。


――


 早速放課後、私はお姉様とライさんのお茶会に訪れました。今日が丁度開催されててよかったです。  


「お姉様! ライさん! 遊びに来ました!」


 私が小走りで、お茶会が催されているガゼボ(公園とか庭園とかにある休憩スペースのこと。オシャレです)に近づきました。


「あら、いらっしゃい」


 気づいたお姉様が小さく手を振りました。今日もお美しいです。

 

「……」


 ライさんはほんの一瞬だけ私を見るとすぐに絵に目を戻しました。相変わらずです。

 いつもなら、私はお姉様の隣に座ってお話をするのですが、今日は違います。

 私はライさんの横に立ちました。


「ライさん」


 私が呼びかけると、ライさんがゆっくり私を見上げます。紫の目が鏡のように私の姿を映します。


「その、今日、すごい変な夢見たんですけど。……万が一、本当に万が一、お姉様との婚約を破棄するご予定って、ありますか」


 正直に聞きました。お姉様がピクリと持っていたティーカップを揺らしました。お姉様の気持ち揺さぶってしまって、本当に申し訳ありません。


「……」


 ライさんは私を見上げたままです。目も表情もまったく揺らぎません。無表情です。なにかリアクションください。


「マリー」


 やっと喋ったライさんは、お姉様の名前を呼びました。本当にお姉様の名前出しますよね。気持ちむちゃくちゃ分かります。

 

「来て」


 ライさんが自分の隣をとんとんと叩きました。ライさんがお姉様を見ています。それ以上何もしません。何がしたいのか、よく分かりません。

 お姉様がおずおずとライさんの隣に座りました。顔がとても不安そうです。お姉様、本当に申し訳ありません。

 ライさんがお姉様を見ています。じっと、見ています。


「ラ――」

 

 お姉様が不安げにライさんの名前を呼ぼうとしました。ええ、呼ぼうとしてました。

 それは、流れるような動きでした。ライさんの両手がお姉様の顔に伸びて、頬を捉えました。ライさんの体勢がお姉様側に動きました。

 微かな水音と共に、金の髪が、黒の髪に混じりました。


「……」

「……」

「……」


 静寂が辺りを支配しました。状況を理解するのに、時間を有しました。

 メインヒーローが、口付けています。私ではなく、お姉様に。主人公ではなく、元悪役令嬢に。

 ライさんが両手をそのままに、視線と顔を私に向けてきました。無表情ながらに、その紫の目にはっきりとした意思を感じました。


「……あげない」


 呟かれた言葉を、私は数秒をかけて理解しました。

 ライさんがお姉様と婚約破棄したことによって、お姉様がフリーになる。そのお姉様を私が貰う。そういう考えに至ったのだと思います。

 だからこそ、分かり易いように、私に釘を刺したのでしょう。

 私は思いました。

 

 うわだああああああああああああああああああ! すげええええええええええええメインヒーローすげええええええええええええええええ! 独占欲すげええええええええええええええええええ! 顔真っ赤にしてるお姉様可愛いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!


 叫びたがる口を全力で塞ぎました。にやけそうになる顔を全力で押し殺しました。若干にやけました。

 

「……あ、安心しました」


 それだけを言うのが、精一杯でした。


「……」


 ライさんは満足したのか、木炭を手に取ってスケッチブックに向かいました。顔も耳も全く赤くなっていません。なんですか鋼メンタルなんですか。メインヒーロー補正なんですか。

 

「……ふぅん」


 お姉様がため息を漏らしました。火照っている顔を冷ます為なのか、両手で頬を挟んでいます。軽くうつむいています。ほんのり涙目です。

 ……ええ、そうですとも。

 むちゃくちゃ可愛いです。

 その姿をよおく見てから、私は全力でお姉様を介抱するのでした。



――


 

 持っていた荷物を落としかけた。

 なにがどうしてああなったのかは、僕にはさっぱりわからない。でも、言えることはある。

 よくやったライ。マリアンナがむちゃくちゃ可愛い。

 不純異性交遊はいけないだとか、教師としては注意しなくてはいけないのだろうけど、マリアンナとライの婚約が確固なるものとなっているのなら、それは喜ばしいことだ。注意する必要はない。

 うん。とてもいい。

 ピンク色がなければもっとよかった。あいつが本当に邪魔でしょうがない。

 なんでいるんだ。マリアンナとライの逢瀬を邪魔するんじゃない。


 ※仕向けたのは、そのピンクです。


「やあ、もう始まってしまったかな?」

 

 僕はまるで今やってきたかのように振る舞いながら、お茶会に近づいた。

 マリアンナは恥ずかしそうに俯いている。可愛い。

 ライは我関せずというように絵を描いている。まったく照れていない。どういうことだ。


「……」

「……」


 さて、このピンクだ。マリアンナの隣に陣取り、マリアンナを介抱している。さっきまで珍妙な行動をしていたというのに、なんという立ち直りの早さだろう。油断ならない。

 僕は微かに顔の赤いピンクを気遣うふりをした。


「君、もしかして体調が悪いんじゃないのかい? 顔が赤いぞ。すぐに帰った方がいい」


 意訳:帰れ


 ピンクが笑った。またしても、笑った。にっこり。それはもう、にっこり。 


「ご心配なくー。元気が取り柄なのでー。先生こそー、自分の体、気にした方がいいと思いますー」


 意訳:お前が帰れこの年寄り


 笑顔にこんなに腹が立ったのは、初めてだ。


「そうだね、気を付けないと。君は僕よりも風邪を引かなさそうだけど、気を付けたまえ」


 意訳:馬鹿は何とかって言うからな


「はーい。気を付けまーす。先生もー、ちゃぁーんと栄養摂って風邪引かないようにしてくださいねー」


 意訳:うるせぇこのひょろひょろ青二才


 この……。

 僕の表情が引き攣りかけた。耐えた。

 全然言うことを聞かないこいつに、僕は辛抱強く諭した。大人だからね。

 こいつは一向に、折れなかったけれど。……心の中で毒づいておいた。


――


「マリー」


 ライは口論している二人を眺めているマリアンナに声をかける。マリアンナは声に振り返るも、先ほどのことを思い出して、俯いてしまった。

 

「……いや、だった?」


 ライが訊ねれば、マリアンナが小刻みに首を振った。長い黒髪が細やかな音を立てた。


「よかった」


 ライは手を伸ばし、膝の上に乗っているマリアンナの手を掴んだ。軽く、けれど逃げられないような力加減で。


「俺の気持ちは、変わらないから」


 ライの表情に変化はない。

 けれど、マリアンナは表情の下にある真意を読み取った。赤らめた表情のまま、はにかみながら答えた。


「はい……」


 その笑顔を口論している二人は気付いていない。

 ライだけが、独り占めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る