第2話 悪役令嬢、矯正済み

「君が、マリアンナ嬢?」


 何も知らないふりをして、僕は幼い少女にそう訊ねた。

 面と向かっては初めて会う少女は、その青みがかったつぶらな黒目で僕を訝しげに見上げてた。

 まだ短い髪を高いところで横二つに結い付けて、毛先を細かに揺らしている。ふっくらとした頬は、薄い薔薇色をしていた。

 まだ4歳の少女は、父親に連れられて初めてのやってきた屋敷の、見ず知らずの僕を警戒している。

 見てきた通りだ。


「僕は、君の婚約者の兄だよ」


 僕はにっこり笑うと自己紹介をした。10も年下の少女のため、膝を折って目線を合わせる。

 少女は僕の弟の婚約者で、さっきまで談話室で弟と話していた。話していたといっても、弟は普段から無口でほとんど少女が喋っていた。健気だった。

 婚約者の兄だと知った少女は、途端に慌てた。えっとえっと、と言いながら、覚えたての作法を実践した。


「は、はじめまして、おにいさま。マリアンナともうします」


 想像してほしい。幼女が、舌足らずに、頑張って、自己紹介をしている姿を。おろしたての、シミ一つ、皺一つないドレスの裾を摘んで脚を下げ、頭こうべを下げる姿を。

 ぐっとこない方がおかしい。

 しかもおにいさま。おにいさま。背徳感が凄まじい。弟の兄でよかった。義兄万歳。

 顔には絶対に出さないけれど。


「はじめまして。弟をよろしくね」

「は、はい!」


 少女――マリアンナは元気よく返事をした。

 素直で、とっても良い子だ。とっても。

 それが、どうして。


「実は、君に聞いてほしいのだけれどね」

「なんでしょうか?」


 僕の言葉に、マリアンナが目をぱちくりさせた。

 内緒話をするように、僕はマリアンナの小さな耳に唇を寄せる。


「僕はね、未来が見えるんだ」


 嘘じゃない。僕は真実を言っている。

 予知夢、正夢のように、夢で見るのではなく、起きているときに、未来が僕に教えてくる。最初こそ、父や母に未来を伝えると褒められた。それが10、20と続くと、彼らは僕を忌避し始めた。子供の戯言では片づけられないと感じたのだろう。

 両親の態度を見て、僕は未来を言うのを止めた。止めて、この力はなんなのか調べることにした。

 数ヶ月かけて、僕は魔法と異能の違いを知った。 

 魔法とは、触媒を用いることで成り立つ。触媒とは、時に水や火といった物質だったり、時に唱える呪文だったり、時に綴る古字だったりする。視覚、聴覚、触覚、どれかで触媒を感じ取れれば、魔法は成り立つ。

 異能とは、触媒をもちいらずとも成り立つ。ただ考えただけでテーブルに乗ったグラスが宙を浮く、といった具合だ。

 魔法は儀式や祈り。異能は傍若無人な所業。そう僕は、結論づけた。

 過去、僕のような異能を持った人は、例に漏れず迫害されていた。隠すことで、身を守っていた。

 僕もそれに倣い隠すことにした。幸い、父も母も僕が未来を言っていたことは忘れていた。年近い兄は、どうかは分からない。あまり仲は良くない。生まれていなかった弟は、もちろん知らない。


 さて、話が長くなってしまった。分かっていてほしいのは、僕には未来が見えるということ。それを今まで隠していたということ。

 それを今日、誰かに話したということ。


「そうなのですか!」


 マリアンナが声を上げた。目を大きくさせて、きらきらと僕を見つめる。かと思えば、両手で口を塞いで、恥ずかしそうに顔をきゅっとさせた。


「……」


 僕は思った。

 がわ゛い゛い゛。

 僕は感情の高ぶりを腹の中に押し止めて、表情を変えずに続ける。ポーカーフェイスは得意中の得意だ。


「そうだよ。君の大きくなった姿も見えるよ」

「わ、わたしは、すてきなれでーになっていますか?」

「……あ、ごめんね。もう一回言ってもらえるかな?」


 僕はポケットに入れていたペンとメモ帳を取り出して、マリアンナにそう頼んだ。表情を変えずに、急いでペンを動かした。


「え? は、はい。わたしは、すてきなれでーになっていますか?」


 よし、音を保存できる魔法はしっかり仕事してくれた。むちゃくちゃ録音した。

 メモ帳を閉まって、僕はマリアンナの大きな目を見つめる。こんなことをしなくても、僕はマリアンナの未来を見ることは出来る。こうした方が、それっぽいと思っただけ。


「んー、そうだなあ。今のままでは、ちょっとなあ」


 僕は正直に言った。

 そう、今のままでは、マリアンナは性格ブスな令嬢になってしまう。

 やれ、朝食がまずい。やれ、部屋の掃除が雑。やれ、飾ってある花が気にくわない。えとせとらえとせとら。

 性格ブスのまま、大きくなってしまえば、最悪、惨たらしい最後を迎えてしまう。そう未来は、教えてくれた。惨たらしい最後の姿も一緒に。


「え……」


 マリアンナがぴしりと体を固くした。

 ショックだったのだろう。未来の自分が素敵なレディになっていないことが。小さな夜の湖が、揺らいでいる

 どうでも良くはないけれど、泣きだしそうな顔も可愛い。


「大丈夫だよ」


 僕はマリアンナの頬を両手で挟んだ。パンケーキよりもふわっとしていた。口の中で舌を軽く噛んだ。耐えた。


「いいかい。未来は、何通りもあるんだよ。例えば、君が今日これからクッキーを食べる未来もあれば、食べない未来もある。全ては、君次第さ」


 そう、未来は何通りもある。葉脈のように分かれしている。

 僕は、今のマリアンナがたどり着く一番可能性が大きい未来を言った。一番があれば、二番がある。二番があれば、三番がある。

 未来は、確実にやってくるけれど、不明瞭で不確かだ。だからまだ、変えられる。

 最悪を、最高にだってできる。


「??」


 マリアンナがきょとんとした顔で僕を見ている。4歳の女の子が理解するには難しすぎただろう。


「頑張れば、世界で一番素敵なレディになれるよ」

「ほんとうですか?!」

「もちろん」

「わたし、がんばります!」


 マリアンナが満面の笑みで言った。

 抱きしめてしまおうかと本気で思った。


――


 僕がマリアンナの未来が見えたのは、マリアンナが弟の婚約者になって初めて、僕とマリアンナに縁が出来たから。僕が見える未来は、僕と関係のある人たちに限られる。その辺を歩いている見ず知らずの人の未来まで見え始めたら、さすがの僕は部屋に引きこもる。

 弟に婚約者が出来て、今度屋敷に来ると父から聞かされた瞬間、僕はマリアンナの未来が見えた。その未来が、あんまりにも哀れで愚かで可哀想だったから、僕はマリアンナに教えたんだ。僕は兄だ。弟には幸せになってほしいし、未来の妹には素敵なレディになってほしい。

 僕は別に、マリアンナと結婚したいだなんて思っていない。弟の婚約者を奪うような節操の無さは持ち合わせていない。

 それに――。


「おにいさま」


 義兄万歳。



 あれから10数年。

 僕は魔法大学園の教師になった。実家は兄が継いだ。弟はマリアンナと共に魔法大学園高等部二年になった。

 マリアンナは宣言通り、頑張った。作法はもちろん、勉学、教養、慈悲深さ。どれを取っても、非の打ち所がない。


 最悪の未来は、避けられた。あとはこのまま、何事もなく弟とマリアンナが結婚して、幸せな家庭を築いてくれたら、最高の未来だ。ハッピーエンドのめでたしめでたし。良かった良かった。

 そうなってくれれば、良かったのに。


「お姉様!」


 こいつだ。今年入学してきた特待生の平民。

 数週間前に、放課後の、学園内にある庭園で、僕と弟とマリアンナがお茶を楽しんでいた時に、がさりと現れてきた。ひょっこりなんて、かわいいものじゃない。文字通り、垣根をくぐり抜けてきた。 

 マリアンナが言うには、入学式の日に貧血気味だったこいつの手当を、マリアンナがしたんだそうだ。

 うん、女神かなマリアンナ。


「あら! 今日の授業は終わったの?」

「はい! 聞いてください、私魔法実技でクラス一番でした!」

「まあ、そうなの! すごいわね」

「えへへ。いやあそれほどでも」


 近い。いちいち近い。あとあざとい。マリアンナに抱きつくな。お姉様ってなんだ……そこだけは、許してやってもいい。

 どうやって不定期開催のお茶会に毎回顔が出せるのかさっぱり分からない。授業中以外は魔法の使用は校則で禁止されているから、魔法じゃないのだろうけれど……あれなのか、時折耳にするストーカーなのか?

 ※乙女ゲーマーの勘です。


「やあ、君」

「あ、先生。いたんですか」


 こいつは、僕の顔を見る度に、僕の神経を逆なでする。いたよずっと。お前が来る前からずっとマリアンナとお茶飲んでたよ。

 僕はにっこり笑う。


「実技でクラス一番なんてすごいじゃないか。でも、油断してはだめだぞ。ここは優秀な生徒ばかりだからね。うかうかしてると抜かされてしまうよ。頑張りたまえ」


 意訳:さっさと帰れ。


 僕の言葉を聞いたこいつが笑う。黙っていれば、そこそこに可愛らしい顔をしている。そこそこだ。マリアンナには全くと言っていいほど敵わない。

 本当に、黙っていれば。


「はぁーい。気をつけまーす。でもでもぉー、学園の先生の教え方より、お姉様の教え方の方が、私にはあっててぇー。

 先生は、あ先生たちはもっと生徒一人一人にあった教え方を模索した方が良いと思いまーす。未来有望な若者を育てる教職者の義務だと思いまーす」


 意訳:お前が帰れ。


 僕のポーカーフェイスにわずかに崩れる。


「そうだね。君の言うことは、もっともだ。けれどね、残念ながら、教師は万能ではないんだ。人間だからね。教師は生徒に、解決の糸口を与えることしかできない。だから僕は生徒に、いろいろなものを見て、考えて考えて、素敵な未来を作ってほしいと思っているよ」


 意訳:ここにいないで図書室にでも籠もってろ。


「私ー、素敵な未来だったらー、ここでー、お姉様たちとー楽しくお茶を飲む未来が素敵だなー。さんに……私を入れない三人で」


 意訳:お前はノーサンキューな。


 思わず、歯を食いしばってしまった。そうでもしなければ、ポーカーフェイスが剥がれそうだった。

 僕は、あまり誰かを嫌いだと言うことはないけれど、思うこともあまりないけれど。

 本当に、心の底から、こいつが、大嫌いだ。


 こんなにも話しているのに、未来がさっぱり見えないこいつが大嫌いだ。


 マリアンナの未来に、こんな異端分子がいるのは良くない。きっと災いを呼ぶ。避けられた最悪の未来が、またやってくる。

 そんなのはだめだ。だめだ。

 絶対に、マリアンナには近づけさせないぞ。




 メインヒーローに兄がいたという情報は、私は持っていません。しかも教師です。彼も隠しキャラなのでしょうか。

 仮に、隠しキャラだったとしても、私は彼を攻略したくありません。向こうから来ても御免被ります。来たらハウスと叫びます。

 ……といっても、私はこの世界を乙女ゲームだということを、考えるのは止めました。私は主人公ではありません。ただの私です。

 そう考えたら、楽になりました。私はこの世界の住人です。まごうことなき、私なのです。自由に生きて、悩んで、選択します。


 だから、私は、ただの私として、悪役令嬢ではない、ただのマリアンナお姉様と仲良くなりたいのです。


 なので、お義兄様はさっさと帰ってください。




 趣味の絵画が、もうすぐ描きあがりそうだった。


「マリー」


 愛称で呼べば、マリアンナが隣に座った。


「なにかしら?」

「力作」


 見せれば、マリアンナが目を輝かせた。


「まあ、素敵!」

「出来たらやるよ」

「嬉しい!」


 マリアンナはよく笑う。些細なことでも笑う。

 今は、特に。


「マリーはあの二人を見てるとき、いつも楽しそうだ」

「だって、お義兄様があんなに誰かと喋ってるの見ることないんですもの」

「そうか?」

「お義兄様って、いつも一歩引いて私たちを見てくれているじゃない? 見守ってくれているのは分かるのだけれど、なんだか雲の上の人みたいで」

「ふーん」

「初めてお義兄様と会った時、お義兄様ったら、自分は未来が見えるんだって言ったの」

「それっていつ?」

「私が4歳の時よ」

「そうなると兄貴が……ああ、なるほど」

「? 続けても?」


 黙って頷いた。


「私ね、将来素敵なレディになれないって言われたの。すっごく悲しかったけど、そのあとお義兄様が頑張ればなれるよって励ましてくださったの。私、頑張ったわ。今日まで頑張ったの。お義兄様は、素敵だよって笑ってくださるわ。でもやっぱり、雲の上の人みたいなの。あの子と喋っている時は、すごく人らしい顔しているから、とっても嬉しい」

「……じゃあ、俺は?」

「あなたは、分かりやすいわ。すっごく」

「……」

「今どうしてって思ってる。当たりかしら?」

「……マリーがそう言うんなら、きっとそうだ」

「だって、私は」


 素敵な、レ――。

 誤って舌を噛んでしまい、涙目になってしまったマリアンナを全力で二人が慰めた。


 その姿を眺めながら、弟は絵を描き続ける。

 あげると約束したから。マリアンナに喜んでほしいから。

 マリアンナが素敵だと言った、口論するどうにも憎めない二人の姿を描き続けた。

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