第27話 王子様
「来た」
バス停で通りの向こうからやってくるバスを見たダニーが声を上げた。
「落ち着いたら手紙ちょうだい、エルザ。身体を冷やさないでね。……これ、あげる」
エルザと腕を組んでいたサラが白い息を吐きながら、自らに巻いていたマフラーをエルザの首に巻いた。
「ありがとう、サラ」
ニット帽をすっぽりかぶったエルザは、カールした髪に覆われた顔をほころばせた。
監禁中、彼女はかすかに痩せたようだった。
「また、会えたら……赤ちゃん、見せて」
サラはエルザをハグしたあと、エルザのふくらみかけたおなかを優しく撫でた。
「ありがとうございます、巡査。ベアーさん」
大きいスポーツバッグを肩にかけたダニエルは、そばに立つエバンズとベアーに礼を言った。
「……約束だよ。必ず、ご両親に連絡するんだよ。無事なことは」
エバンズの言葉にダニエルははい、と頷き、目の前に止まったバスに乗り込もうとエルザの手を握った。
「では」
「みなさん、ありがとう」
ダニエルとエルザはもう一度、まわりの皆に頭を下げた。
ダニエルがエルザに微笑みかけて促し、二人は首都キッド行きの夜行バスの階段を上る。
「……カール修道士と仲良く。ダニエル」
ベアーがかけた言葉に、ダニエルが階段を上る足を止め、振り返った。
「はい。……カールおじさんは軍医だから。殴られることは覚悟してます。……歯の一本ぐらいは折れるのを覚悟しとかなきゃ」
あはは、とダニエルは明るく笑い、隣のサラと顔を見合わせた。
ダニエルが今からお世話になる親戚のおじさんの名前なんて、前にダニエルは僕たちに話したろうか。
かすかに、エバンズは首を捻った。
バスに乗り込んだ二人は一番前の席に座ると、窓を開けた。
「さようなら、サラ」
「元気でねエルザ」
バスが発車する。
身を乗り出して手を振るエルザに、サラも手を振りかえす。
「さようなら……」
サラはバスに向かって手を振り続けた。バスが次第に遠くなり、エルザが車内に身体を戻した。
「……エルザ、うしろめたいところが彼にあったんだと思うよ」
去りゆく夜行バスを見送りながらサラが上げていた手をおろし、ぽつりと言った。
「わたしたち、まだこの街にきて日が浅くて、初めて会った頃、よく夢みたいな話してたんだよね。……この街には王子様がわんさかいる。一人ぐらい、ゲットしてお姫様になってやろうよ、って。冗談でだけど。ううん、少し期待してた……だって、ここ、東オルガンだよ。少しくらい夢みたっていいじゃない。いつか王子様が、私をむかえに来てくれるかも、なんて」
サラは傍らに立つエバンズを見て恥ずかしそうに笑った。
「エルザは少しくらいそんな気持ちがあって、彼に近づいたのかも。だから、うしろめたくて悩んでいたのかもね。私に相談してくれたらよかったのに。一緒に暮らしてたのに水臭いよね……それとも、あれかな。あたしが、妬むと思って相談できなかったのかな。……うん、確かにそれを聞いたらあたし、妬んでエルザのこと嫌いになっちゃってたかも」
サラは声と同様に曇った目で、視線を少し落としたままつぶやく。
「あたしは……いつまでこの街にいるのかな……。……あの子のことがうらやましいよ。王子様見つけたんだもん」
「……王子様じゃないかもしれませんが、あなたも素敵な彼がいるではありませんか」
サラを慰めるつもりで、エバンズは少し離れたところにいるベアーを見ながら小声でささやいた。
あ、でも、彼(ベアー)がサラのことをどこまで思っているかは疑問だな。
「……あっはは! ベアー!?」
サラがエバンズの言葉に目を見開いて笑い出した。
「あはは! 確かに、ベアーは髭をそったら王子様みたくなるかもしれないけどね。話し方も姿勢もなんだかキレイだし、頭よさそうだしね。……でも、彼さあ……いまいち、なんだよね」
サラがエバンズに近づき、声をひそめた。
「アレ、まったくだよ。ド素人もいいとこ」
エバンズは驚愕する。
「ほんと、ほんと。演技すんの苦労したあ。残念な男、だよね。まあ、育てがいがあるって考えればいいかもしれないけど。……まあ、それにしても私の好みじゃないや、ベアーは。……どっちかといえば、巡査の方がかわいくてあたしは好き」
最後に自分の耳元でささやいたサラの言葉に、エバンズは赤くなった。
「からかわないでください」
「ほんと、ほんと。最初から、エバンズ巡査のこといいな、て思ってたんだよね。ほんとだよ」
サラは微笑んで、身を離した。
「今度、エルザを助けてくれたお礼をさせて」
一瞬、真っ白になって言葉を失ったエバンズを見てくすり、とサラが笑った。
「そういうお礼じゃないよ……いっしょに公園でピクニックでもどう? ベアーから教わったレシピのサンドイッチつくるよ」
「あ、ああ……」
エバンズは我に返って頷いた。
「ありがとう。……それは嬉しいな。彼のレシピのサンドイッチなら」
「うん。すっごく美味しかった。味は保証するよ。非番の日、教えて」
ぽん、とサラはエバンズの肩を叩く。
「決まりだね……制服は着てこないでよ」
含み笑いをするサラにエバンズは頷いて笑った。
「じゃあね」
サラは顔を傾けてかわいく挨拶すると、身を翻して去って行った。
――サラは今回のことがあって、今までの仕事はやめると決めたらしい。
給料は少ないが、工場とダイナーで働くという。
そのほうがいい、とエバンズが言うと、うん、とサラは頷き、じゃあダイナーに毎日来てね、巡査、と笑った。――
「……ベアーさん」
エバンズはバスを見送ったまま立ちつくしているベアーの後姿に呼びかけた。
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