第28話 お姫様
「今回のことは、お疲れ様です。僕を助けていただいて、ありがとうございました」
振り返ったベアーの隣に、エバンズは立つ。
「いえ。彼女たちとエルザが助かってよかった」
「……ハーディー神父は、あなたにエルザを見つけてもらいたかったんでしょうね」
「ええ」
ベアーは頷いた。
「彼は迷っていたんでしょう。愛する妻を裏切ることもできなかった。……私を教会裏に呼び入れたのは、エルザに気付いてほしかったからだと思います」
ハーディー神父の良心の呵責を想像し、エバンズはため息をついた。
彼ら夫妻はいい人たちだった。
ただ、本当に……彼らは子供が欲しかったのだ。
ゆくゆくは、闇マーケットから子供たちを手に入れていたのかもしれない。
「女性たちを監禁していたグループは、『ガラナン』でしょう。やはり、シャチのグループではなかった……これで、|あなたの仕事(・・・・・・)|は果たしたことに(・・・・・・・・)|なりますでしょう(・・・・・・・・)|か(・)?」
エバンズは背の高い北の国出身の男を見上げた。
「どうですか、ベアーさん」
ベアーがエバンズを見下ろした。
エバンズはその彼の顔を真っ直ぐに見つめる。
「あの国の人はみんな優秀だと聞いています。特に、西オルガン市警の質の高さは国境をこえて轟いていますよ。あなたは……特別捜査官か何か?」
ベアーは時が止まったような表情で何も言わずにエバンズを見ていたが、やがて口を開いた。
「……これから後、私はすぐに去ります」
「ええ、承知してます。あなたの仕事は終わったのでしょう。私はあなたを見送るだけです。こんな優秀で無害な人を」
エバンズは右手を差し出した。
「あなたのような優秀な人に会えたことを私は誇りに思います。普通なら一生あなたと会うことはなかったでしょう。この幸運に神に感謝します」
疑う点はいくつもあった。彼の立ち振る舞い、肌の白さ、手術、彼の泣き顔……。
でも決めてとなったのは、つい先ほどのサラの証言だと彼(ベアー)に言ったら、彼は怒るだろうか。
『ゼルダ人ができないのは繁殖だけ』
過去にTVのトークショーで司会者が言った言葉を思い出した。
その言葉を聞いたとき笑った過去の自分を、エバンズは恥じた。
子孫を残せない業病を抱え、クローンを繰り返す、悲劇の隣国、北の大国ゼルダ。
「私こそ」
ベアーはエバンズの手をとり、握りしめた。
「あなたのような人物になろうとしていた時期がありました。それは、間違いではなかった。これからもあなたのような方になろうと思います」
「わたし?」
エバンズはあっけにとられる。
「ええ。私の理想です」
手を離し、ベアーは微笑む。
「そ、そうですか」
照れて、エバンズは頭をかいた。彼のように優秀な男からそんなことをいわれるとは。なんとも面はゆい。
そのとき、彼の背後からシルバーグレーの車が走ってくるのがみえた。
「おーい!」
助手席から手を振っていた人物が、身を車内に引っ込ませ、次には開けたサンルーフから身体を出した。
「キース! 迎えに来てやったぜ!」
スーツを着ているその人物の声は高く、女性のようだった。
車が近づくにつれ、エバンズは目を見開いた。
え。
――夜目に白く浮かび上がる、雪のような肌の持ち主は、まぎれもなく。
黒髪を撫でつけ、あらわにした形のよい輪郭の中の美しい顔立ちは。
かわいくてたまらないと日々写真を見つめ、キスした彼女(・・)に間違いなかった。――
「終わったか? お疲れさん!」
少し離れたところに車は止まり、その上からとびっきりの笑顔を向けて彼女、シアン=メイが言った。
「エバンズさん」
ベアーが、驚いて口をパクパクさせているエバンズに微笑む。
「シェリルシティーのあの写真を撮ったのは、私です」
「な、な、なんで」
ベアーは答えず、そのまま彼女が待つ車に向かった。
運転席に座っていた男が、窓に腕をのせて顔を出した。
褐色の肌、サングラス。見覚えがあった。
シェリルシティーでシアンに近づいた男を脅していた背の高いキエスタ人マフィアの彼に、違いなかった。
車の側に立ったベアーは、シアンに何か言った。
シアンはこちらを見た後、身体を車内に戻し、そしてドアを開けて外に出た。
――それからはまるで映画のワンシーンのようだった。
車から降りたった彼女は自分の方へと歩いて近づき。
少女のような天使のような神がかった笑みをたたえながら、自分の前に立ち。
『Hi』
と、惚けた様に立ちつくしている自分に低めの声で呼びかけて。
『オ……私のファンでいてくれてありがとう。ヴィンセント』
そう言って彼女は、もう二歩自分に近づき。
そして。
ハグした――
彼女の頬がやわらかく自分の両頬を滑り、唇に軽く彼女の唇が押し当てられて離れるのを、エバンズは夢の中にいるような心地で感じていた。
『*@=¥5$#!!』
車の中にいる褐色の彼が何か叫んでいるが、エバンズには聞こえない。
彼女は顔を離してエバンズの表情を確認し微笑むと、ふわり、と身を離して翻した。
『じゃあね、エバンズさん』
車に戻った彼女は自分を振り返り、手を上げると助手席に乗り込んだ。
運転席の彼は、まだなにやらわめいて車から身を乗り出し、そばに立つベアーへとつかみかかっている。
助手席に座った彼女が、運転席の彼の肩をつかんで中へと引き戻した。
褐色の彼から解放されたベアーは彼に乱された服を整えた。
そして、彼は自分を見た。
「さようなら、エバンズ巡査」
微笑んだ彼は、あの国の人間が行う美しい姿勢の礼を自分に行った。
流れるようなその動作が終わると彼は、引き続き車のドアを開け、後部座席に乗り込む。
ドアが閉まると同時に車は急発進して走り去った。
エバンズは走り去る車の後姿を、ぼんやりと眺めた。
――何が起こったのか分からない。あまりにもいろいろなことが同時に起こりすぎて。
でも。
エバンズは自らの頬に手をやった。
彼女の、感触は本物だった。
この夜のことは一生忘れない、とエバンズは感動に包まれたまま、ふいに訪れた幸運に幸せをかみしめていた――。
End
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