Killer Likes Candy 4

 その日の夜。ルイーズ宅、ダイニングルーム。

 自宅に帰ってからというもの溜息ばかりが口をつく。真っ暗な部屋の中で、ルイーズはぐったりと椅子に座っていた。耳も尻尾も、全部がしなびたままで。

「……あんなはずじゃあ、なかったのになぁ」

 明かりをつける気にもなれず、ずっと暗闇の中にいた所為で目もすっかり慣れてしまっている。窓の外に見える、遠くのネオンが眩しいくらいだ。もう長いこと項垂れているが一向に気分は良くならず、恥が、憤りが、嘆きが津波のように寄せては返していた。両手で作った殻の中に小さな顔を押し込めてみても波に掠われ転がるだけ、いつか砕ける今日に怯えて、どうか無事にと祈るだけ。

 闇に溺れて思い出す――どうしてこんなことに、と。

 去り際の警官の言葉が、塞がった筈の傷に染みたからか。


「随分稼いでるらしいじゃねえか、ルイーズさん・・・・・・よ」

「私の景気が貴方になんの関係が? 取引は終わり、帰ってもらって結構よ」

「ちっ……、あんたのイロか、あの男。獣人風情が人間連れ歩いていい気になっているようだがな、哀れな思い違いだ。動物の延長が人間と一緒なワケがねえ。遊ばれてんのさ、飽きられないように雌猫らしくケツ振ってろ。そのうち捨てられるさ、見物だぜ」


 冷静さが消え失せていた。

 その後のヴィンセントとのガタついた会話も、写真を見て動揺した自分、情けなくて本当に嫌になった。何よりも痼りとして残ったのは――……

 爪を立て、ルイーズは髪の毛を毟らんばかりに掴んでいた。自分の本心、真実の姿。知ってほしくて、でも見せたくなかった心。ヴィンセントから同じ匂いを感じていたからかも知れない、いつかは時を重ねる日が来ると信じていた。出来る事なら流されるままの形ではなく、自らの意思で伝えたかった。致命的な綻びは一瞬で、だがそれでも表情は隠せず、言葉は溢れた。伝わってしまったのだ。だからヴィンセントは聞かなかったことにしようと耳を塞いでくれた。そう、まだ話せない。話したくない、きっとお互いに。彼の閃きに応えたのは、彼の気持ちも分かるから。だからルイーズも耳を塞いだ。ホッとしたのは事実――でも、同時に怖かった。これは同時に拒絶なのではないのかと――

 それでも、しかしとたゆたう希望。あのまま話していたらどうなっていたんだろう。彼も話してくれたのだろうか。……或いは、と、先を思うだけで怖くなる。他人の気持ちなど、正確には読み取れなくて不安に押し潰されそうになる。

 小さく嗚咽が漏れた。泣けるなら大きな声で泣いてしまいたい、ドームを割るくらい大きな声で。でも、そんなことをしたらヴィンセントは驚くだろう、またギクシャクするのは避けたい。それにこんな姿を、こんな情けない姿を見せるわけにはいかない。

 苦渋に沈むルイーズを浮かび上がらせたのは玄関の解錠音。小さな電子音が買い物に出ていたヴィンセントの帰宅を知らせた。

 熱を持った目を擦り、ルイーズは浴室に逃げ込んだ。流れ落ちるシャワーが無数の雫で彼女を覆う。鏡に映った泣き腫れた瞳は、晒すわけにはいかないほどに不細工だった。

「ルイーズ~? あれ、風呂か~?」

 扉越しの声は能天気に近づいてくる。ルイーズは答えようとしたが、身体が震えていることに気付いてノックだけで返す。

「なんだまだ潰れてんのか。――鍵、玄関に置いとくぞ」

 ――ノックノック。

 水音の中で耳をそばだてていると、ヴィンセントの気配が遠ざかっていく。

 ルイーズはこつん、と額を壁に預ける。慎ましい胸部の膨らみから滑らかな腰のくびれ、スレンダーな彼女のボディラインを流水が撫でて強調する。濡れた毛皮が張り付くことでそれはより鮮明に。

 陰鬱な気分も流してほしいという願いは叶わず、気持ちを整理しようとすると、一つ考えているとまた一つ増え、糸口が見つかったかと思えばいつの間にか振り出しに戻っている。延々と出口のない迷宮を進んでいるみたいだ。否、初めから出口など無いのかもしれない。怖気が走り、ルイーズは頭かぶりを振って疑問を無理やり思考から追い出す。袋小路から抜け出すにはどうすればいい。

 今はまだ……。いつかきっと……。そう考えて気持ちを落ち着かせた。

「どこで操縦を?」と訊けば「空で」と答える男だった。

 短い濃紺の毛並みに覆われた細枝に似た五指、流水を受ける右手は震えている。彼に触れた感触だけが、流れ落ちていくようだった。

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