Killer Likes Candy 3
大きく息を吸い込み「お次はどうする?」と声を張る。狭い廊下で話すには不自然な程に明るく快活で、まったく空気を読んでいない。その言葉に意味はなく、ルイーズはだが、込められた真意を汲上げ微笑を返す。なかったことにしようという、最低で最高の考えを。
「現場を調べましょうか」
陰気な気分を捨てる為にルイーズは髪を掻き上げると艶やかな流し目を見せつけた。ヴィンセントの提案に彼女は応と答えたわけだ。
「ってことはまた移動か、行き先は」
「ここよ」
近くの扉をノックするとルイーズは封筒を開いた。
扉には表札もなく、それどころか部屋番号すら付いていない。おそらく番号プレートが取り付けられていたであろう場所には、ネジ穴だけが残っていた。
「……目の前で受け渡ししてたのか」
「手間が省けたでしょう?」
「でも鍵閉まってんだろ、蹴破るのか」
それとも撃って壊すか。銃把に手を伸ばしたヴィンセントを、静かにルイーズが窘める。
「落ち着きなさいな。壊さなくても平気よ、鍵だってちゃんと預かっているから」
封筒から取り出した鍵をチャラリと鳴らしてルイーズが扉を開ければ、その部屋は建物の外観に相応しい狭くコケた部屋だった。片付いているのに汚く見える。
「ここは禁煙?」
「ふざけないの」
「へいへい」
ルイーズは買い取った資料に目を通しながらキッチンへ、ヴィンセントはなんのけなしに辺りを見回しながらリビングをフラフラと調べる。
壁紙が湿気で剥がれて浮いている箇所がある。だが、目に付く限り気になるのはその程度、既に片付けられた後なのだから、特に何かがあるはずもなく。手がかりの一つでもいいからと探してみるがどうもしっくりこない。――リビングではないのか。目を上げた先に、もう一枚扉があった。
迷わずに開けるとヴィンセントの表情が露骨に曇る。
塵一つない。
床も壁も綺麗なものだが、彼が感じているのはドブ沼に足を突っ込んだ不快感に似た感覚。白々しいフローリングの光沢と篭もった空気に頭を掻く。上辺だけの清潔感では、感覚を知る者は欺けない。
この部屋だけ丸ごと壁紙を貼り替えてあるってことは、つまり相応の汚れ方をした証拠である。一体どんな汚れが、どのように付いていたかは想像が付かないがヴィンセントは思う。この賞金首は予想を超えて危ないと。
「やはり清掃が入った後だと手がかりはなさそうネェ。どうヴィンス、なにかあった?」
いつの間にか戸口にルイーズが立っていて封筒を差し出している。
「……ここで殺されてるな。資料にはなんて書いてある」
ヴィンセントが受け取った封筒にはまだ何か入っていた。
「ええっと、南東の寝室と。――よく分かったわね」
「部屋が綺麗すぎる。拭いたくらいじゃ貸せねえと踏んだろうな。他の部屋がそのままなのは、大家が金渋ったんだろう。ドーム自体、ヒトが出て行く一方だしな」
話しながらヴィンセントは封筒を漁っていた。出てきたのは写真の束――現場写真か。いくら警察内部で情報統制が行われているといっても、そもそも組織の人員からして腐りきっていては完璧な封じ込めなどまず不可能だ。正義感など持ち合わせていない利己主義な連中は容易く靡く。さっきの警官がいい例だ。
一枚目は被害者の顔写真だった、無論まだ生きていた頃の。ネズミの獣人らしいが、それにしても眼付きが悪い。
「えーと、彼は五人目の被害者ねェ。名前はローランド・ブランドナー。年齢、四十三歳。殺されたのは十三日前よ。頸動脈切断による失血が死因みたい、首を深く切られているわ」
「どうかね、それだけとは思えない」
「『腹部の開放は死後に行われたものである』って、どういう意味かしら? あとは――職業ねぇ、気になるのは。害虫駆除会社勤務になっているけれど、これは表向きだわァ」
「裏あり?」ヴィンセントは写真から顔を上げて尋ねる。
「以前、別の依頼で調べたことがあるのよ。彼は麻薬カルテルの構成員、〈キャンディ〉を作っている――ネェ」
「飴玉の事じゃねえよな、ドラッグの方か」
ルイーズは小さく頷く。
「そう。その名の通り飴玉みたいな形をしたドラッグ――カルテルの人気商品だわァ。身近な形だから抵抗感も少なく、気軽に使う若者が増えてどの星でも問題視されているわネェ。媚薬効果から覚醒効果まで種類によって効果も様々。禁止されているからこそ儲けが出て、だからカルテルにとっては重要な資金源で密輸が絶えない」
「依存性が高い上に副作用も強烈だ。嵌まったら最後、抜け出せなくなる。精神をやられてそのまま廃人一直線だ」
「取り締まる立場の警察は見て見ぬフリ。正義の味方は幻想とかしているものネェ」
「全員がとは言わねえけど、ヘビィだな……。なぁルイーズ、賞金首追ってるだけなんだよな? それにしちゃ話がデカくなって行ってる気がするんだが」
「その分黒字になるわネェ。なァに、怖いのかしら?」
「別にビビっちゃいねえけどよ」
「捕まえる必要は無いと言ったでしょう。危険はないわよ」
「どうだか……」
ヴィンセントは不服そうに写真をめくっていく。そして突き付けられた現実は笑い飛ばすには少しばかり重かった。
「……あぁヘビィだ」
直視に堪えないその一枚は、死体を写した写真だった。
丸裸の状態でベッドに横たわっているローランドの死体は、みすぼらしい灰色の身体を解体されていた。いや、正確には解体されている途中だったようだ。あんぐりと開いた口からは血を吐いた後が伸び黒ずんでいて、その上には濁った瞳。仰向けに四肢を広げ転がっている死体は喉を深く切られ、胸から下腹部までをかぎ裂きにされている。酷い有り様だ。惨殺されただけでなく、その傷口からは無理やりに引き釣り出された内臓が、ベッドの上に散らかされているのである。どうも犯人は解体途中で飽きたようで、半端に飛び出た腸は無残にでろりと垂れ下がり、カーペットにまで染みを作っていた。スプラッタ映画のワンシーンを見ているようだが、静止画の写真でもこのリアルさは中々堪える。
壁紙が剥がれ落ち、そこら中から死臭がにおい立ってくる。噎せ返るような血の臭いが充満するような錯覚、堅気の人間ならトイレに駆け込んでも不思議はない。そんな強烈な一枚。
「ヴィンス、どうかしたの?」
「あ、おい、見ねえ方が――」
止めるより早く、ルイーズは写真を摘まんでいった。
隠そうと努力はしたようだが、毛皮に覆われていても、彼女の表情から血の気が引いていくのが見て取れた。ルイーズは情報屋だ、どちらかと言えば裏方にあたり、表舞台に立つことは滅多にない。荒事に身を置くヴィンセントでさえここまで無残な死体はそう見ないのだから、彼女の反応こそ正常なのだ。
ルイーズは写真を押しつけるようにしてヴィンセントに返すと、暫く目頭を押さえていた。
「だから言ったろ、待てって」
「それなら、もっとしっかり止めなさいよ……」
気の毒とは思うが睨まないでくれ。恨めしい眼差しにヴィンセント口をひん曲げていた、一応止めはしたのだから。
参りかけているルイーズは置いておいて、ヴィンセントは黙々と部屋の中を歩き回る。一枚一枚写真のアングルに合わせて、空っぽの室内を巡っていた。様々な角度から撮られた死体、血だらけの壁それに天井。脱ぎ散らかされた衣類、床に落ちた紙くず、二つのグラス――これはリビングで撮った写真か。どれも取立てて役にたちそうにない。
「貴方は、平気なのネェ……」
か細い声でルイーズが訊いた。
「相当参ってるな。ま、仕事が仕事だし死体なんか見慣れたモンだ。ここまで酷いのはさすがにアレだけど――。頼りない騎士ナイトも少しは見直したか? 何事も慣れだよ、慣~れ」
「厭なものじゃない? 見慣れるなんて……」
写真をめくる手を止め、少し考えてからヴィンセントは鼻で笑った。
「初めて見るわけじゃねえだろ、お前だって。慣れなきゃやっていけないぜ、死体の――、一つ二つで狼狽えてちゃあよ」
ふと目を向ければルイーズは神妙な面持ちで押し黙っていた。言い過ぎただろうか。
「――――ところでルイーズ、気になることが一個あんだけどさ」
「……なにかしら」
「裸って事は、こいつ犯人とベッドインしてたんだよな? 他殺でも腹上死って言うのかね」
「知らないわよ」
ぴしゃり、とルイーズが睨むも、ヴィンセントはだが反省に色なくにやりと笑った。
「とりあえず、だ。これでほんッッッとに少しだけだが賞金首について分かったわけだ。被害者がゲイじゃないなら、犯人は女だな」
「名前をはじめ、獣人か人間かも依然不明なままだけど」
「あんまり進んでねえな」
写真をまとめてルイーズに返すと、彼女は裏返しのままで封筒にしまう。賢明な判断だ。
「売れるのか? この情報」
「冗談。とてもじゃないけど売り物にならないわ」
得られているのは得物と性別に関する情報、手持ちの商品はこれだけだ。しかも全ては可能性であり、商品価値はゼロに近い。
「けれどとっかかりは出来た。これからネェ、面白くなるのは」
金色の瞳を貪欲に光らせ嘯くルイーズ。しかし本調子にはまだ遠く、あくどい顔つきになりきれていない。見慣れていない奴が死体を見るのは精神的に堪える。普通の死体ならいざ知らず、狂気の人体解体ショーの一コマを目の当たりにすれば、胃袋の中身が踊り狂うような吐き気に襲われても仕方がない。気力で耐えているだけでも大したものだ。
「めぼしいものはなさそうだな、ここには」
「そうね、行きましょうか」
部屋を出る二人。帰りはヴィンセントが先に降り、部屋の鍵を管理人室の郵便受けに放り込む。外では赤いキャデラックが日光をギラギラと反射しながら、二人の帰りを待っていた。
「腹減ったな……」
運転席に乗り込みながら呟くヴィンセントに、ルイーズは怪訝な顔だ。
「貴方、正気?」
「腹が減ってはって言うだろ、喰える時に喰っとかねえと」
いくら冗談めかしてみてもルイーズは笑わず目頭を押さえる。そんな彼女の横では煙草のジョークも言えないヴィンセントであった。
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