Killer Likes Candy 2
薄い車体、派手なテールフィン。目の覚めるくらい真っ赤なキャデラックがルイーズの愛車である。運転席にはヴィンセント、助手席にはルイーズが座っていた。
「いつまで怒ってんだよ、ルイーズ」
「黙りなさい。昨日は早々に酔い潰れたかと思ったら今朝は寝坊までするなんて。待ち合わせがあると昨日話してあったでしょう」
「まったく記憶にないんだが、そんなに飲んだのか」
「本当に何も覚えていないの?」
ヴィンセントには昨夜の記憶が無かった。彼女の家に行った辺りまではぼんやりと覚えているのだが、そこから前後不覚の記憶になっている。傷付いたディスクのように読み込み不能、思い出そうとしても何も出てこなかった。大量に飲んだ記憶も無い、当たり前だ、まとめて落としているのだから。
「ワインを確か、これだけだったかしら」と、ルイーズは指を三本立てる。
「ボトル三本空けたのか」
「三杯よ。あれだけで酔うなんて緊張でもしていたの? いつももっと吞んでいるじゃない。お酒に強くて荒くれ者。パイロットってそういうものでしょう」
「ハリウッド映画じゃあるまいし、どんなイメージ持ってんだよ。酔いどれてちゃ飛べねえから自重してるんだが……ワインはすぐ回るんだよな。待ち合わせがあるなら起こしてくれりゃあ良かったのによ」
「なに言ってるの、何度も起こしたわよ、貴方返事したじゃない。連絡もないからもう一人で行こうかと思ったわよ」
ルイーズが言うには、元栓が閉められている現状ではどんなに蛇口を捻っても水が流れてこない。ならばその先まで遡って、ダムの底を漁るということらしい。
それはいいが、はたしてこんなみすぼらしいアパートに情報があるのだろうか。車を停めて中に入ってみれば、案の定、外観だけじゃなく内装もボロかった。
ぼんやりと照明。所々にある染みのような汚れ。滞留し続けている空気は重くかび臭い。この空気に似合う取引は怪しい気配を伴う類いだ。
「待ち合わせ場所は上の階よ、行きましょうか」
船舶並みに窮屈な階段を上がるルイーズの後ろを、ヴィンセントはついて行く。
目の前で振られるルイーズの尻尾。猫じゃらしみたく揺れ、鼻先を掠める尻尾に目を奪われ、そして視線はその付け根の方へと――。丈の短いスカートからのびる、しなやかでムチッとした太股。透けるストッキングに目を奪われるのは仕方のないことで、ルイーズが一段上がる度に扇情的な内太股が覗き、いくら逸らそうとも秘められた部分がチラつくのだ。
見せそうで見え――――
と、首が勝手に傾いでいることに気付き、ヴィンセントはハッとして足下へと目を逃がすと、誰かに言い訳するように咳払いをした。
「んんっ、――にしてもうさんくせえ所だな。ハッパの取引でもしてそうだぜ」
「そうネェ、そう感じるのは流石だと思うわ」
意味ありげにルイーズが答える。
「けれど撃合いになったりはしないから安心していいわよ」
「撃合いになって一番危ねえのはお前だろ、銃だって持ってねえんだから。巻き込まれても知らねえぞ」
「必要ないわよ、銃なんて」
「今日じゃねえ。こんな稼業だ、いつかは巻き込まれる。前から言ってるだろ、護身用に一挺持っとけって、いざって時には頼りになる。研いでたとしてもその爪だけじゃ身は守れねえぞ。お前に死なれちゃおまんまの食い上げだ」
「持ち慣れないものは持たない方がいいものよ? 怪我の元だもの。それに銃を持たないヒトには持たないなりに安全な行動が取れるのよ」
なるほどとも思うが、同時に自分に不可能だとヴィンセントは感じる。一度でも撃合いに巻き込まれれば丸腰で出歩くことの怖さが身に染みる。事実、彼は銃を手放せない。
「絶対なんてものはない」
「そうね、だからもしもの時は貴方が守ってくれるのでしょう?」
「ボディーガードも込みだっけか。任せろと言いたいトコだけど、お前は俺のことを買いかぶりすぎだ。てめぇの命だけで手一杯だぜ」
「片手はネェ。もう一方で私を救って?」
「……まぁ、雇われているからには一週間はなんとか致しますよ、
「ふふっ、頼もしい」
くすりと、流し目のルイーズ。コツンコツンと上階へ。
色香に捲かれないよう、ヴィンセントは一段一段確かめながら階段を上がっていく。彼には気になることがあった。酒は吞んでも吞まれるな、そして色香に捲かれるな。昨夜の自分はどうだったのか? 知っているのはルイーズだけである。
「…………俺は、あ~……ルイーズ昨日の夜って……」
踊り場に上がったルイーズは肩越しにヴィンセントを見下ろした。細い指先でその淫靡なお尻を撫で下ろしながら、妖しく金色の瞳を細め、微笑。流し目で誘う魅惑のレディがそこにいる。
どうやら〈した〉らしい。ヴィンセントは頭を抱えた。
ルイーズとはあくまでもビジネス上の関係であり、そんなつもりはサラサラなかったからだ。確かに彼女は魅力的で、そこに疑問を挟む余地はない。男なら誰だって彼女と一夜を共にしたいが、それはまた別の話だ。問題なのは自らで決めたルールである。
ヴィンセントから漏れる後悔の念にルイーズがくすぐるように鼻を鳴らす。
「失礼しちゃうわァ、二人で、あんなに、燃えたのに覚えていないなんて。私じゃ物足りなかったとでも?」
「そういうワケじゃねぇよ。ただ――」
「人間の男は人間の女の方が好み? ひどいヒト」
「そんなこと言ってねえだろ。俺はその……。わるい、なんでもねえ」
「…………もう、そんなに暗い顔されたら私、本当に自信なくしちゃうわ。心配しなくても綺麗になにも起こらなかったわよ」
からかいがいのないヒトね、とルイーズは微笑む。
「貴方があんまりにも反省していないようだからイジワルしただけ。一緒にいたのにお酒飲むなり寝てしまうんだもの。ふふふ、いつか悔やむ日が来るわよ」
「ん、…………んん」
「――あら、さっそく?」
と、ヴィンセントは自分の頬を張り、気合いを入れ直す。仕事は仕事だ。雇い主に気遣われるわけにはいかない。
「あーッ、わりぃ、何でもねえ。仕事しようぜ、仕事」
「ええ、そうしましょう。でも貴方の出番はまだ先だから、ちょっとここで待っててもらえるかしら」
目的の階まで上がるとヴィンセントは階段の近くで待たされることになった。見える範囲、廊下の突き当たりには人間の男が一人立っているが、どうも住人ではなさそうだ。封筒を手にこちらを気にしている。ガンつけやがって――。
ルイーズから声を掛けているので、あいつが待ち合わせの相手で間違いないだろう。一応はボディーガードなので、腕組みしながら手すりに寄り掛かり、二人の様子を気に掛ける。取引の瞬間にこそいざこざは起きるものだ。巧みに隠した左手は銃把、即応出来るようにホルスターの留め金は外してあった。二人が声を潜めているため会話は聞こえないが、その分は視力でカバーする。
ルイーズが何かを渡し、代わりに封筒を受け取っていた。穏便に取引は済みそうだ、撃合いにならないのならばそれにこしたことはない。しかし緊張を解かずに二人を眺める。
問題なく取引は終わったらしいが去り際に男の口元が動き、その嘲りに満ちた歪み方に、ヴィンセントは眉間に皺を寄せていた。なにしろ離れていく男の背にルイーズが
相当に屈辱的だったのか、ルイーズは二の腕を握りしめていたが、ヴィンセントのに見られていることに気付いて顔を背けた。
取引を終えれば帰るのは当たり前。下に降りるには階段を使うしかないので、ヴィンセントの前を男が通り抜けていったのだが、まるで小馬鹿にするような笑みを浮かべていた。
会話も無しにここまでむかっ腹が立つことがあるとは――。ルイーズの取引相手でなければ殴りかかっているところだ。いや、いっそ殴っちまった方が良かったか? しかし助手の立場であるのに雇い主の情報源を潰すわけにもいかないか。
「なんだあの野郎、一目で分かる屑野郎だな」
二人分の不満を吐き出すように毒づくヴィンセント。割合は半々ではなかったが、ムカついたのは確かだった。
「欲深き人間の一人よ、強欲は私にとって上客だわ」
強張ったままの表情でルイーズは言う。階段を見つめる彼女の言葉には棘があり、あの男を心底嫌っているのが伝わってくる。
どんな星でも職でもそうだが、未だに獣人嫌いは多い。特に多いのが警察関係者や政治家だ。声高に獣人排斥を叫ぶ奴は流石に少数だが、氷山と一緒で見えない部分の方が大きい。さっきの男が何者であれ、獣人嫌いなのははっきりと分かった。
「これで少しは進展があるかも知れないわよ」
ぎこちなく微笑んでみせるルイーズに――ヴィンセントは出かけた言葉を咄嗟に飲み込んで、「そうか」とだけ呟いた。言おうとした言葉に代わり、空虚な言葉だけが吐息に混ざって吐き出される。それだけなら誤魔化せたかもしれない。だが、ルイーズと目を合わせられなかった一瞬が、この隙間が、言いかけた言葉を悟らせてしまう。
「……獣人の私がどうやって、と訊きたいのかしら?」
「あ、…………まぁ、それだ。警官だろ、いまの奴」
下手を踏んだものだ。
ルイーズの横顔は寂しく哀しく、ようやく目を合わせられたと思ったら、今度はルイーズが顔を背けたのだった。
「至極単純な話、お金よ。これさえあれば大抵のことはまかり通るわ、獣人の言葉は届かなくても、お金が喋れば誰もが耳を傾けるの。そう、獣人嫌いの警官でも誰でも、同じようにねェ。足下を見られたけれど、暴力を抜きにして人間と対等に立ち回るにはこれしかないのよ。貴方の銃と形は違えど役割は一緒、分かるでしょう?」
影の落ちるルイーズの金色の瞳に、ヴィンセントには返す言葉がなかった。言葉は渇いた喉で詰り、溜息に似た吐息を漏らすことしか出来ない。
「所詮、人間は……。いえ、ゴメンなさい。変なこと言ってしまって、気にしないで頂戴」
「構いやしねえよ、お前の言う通りだし」
「…………ありがとう、ヴィンス」
礼を言われることじゃない、ヴィンセントは肩を竦める。
ルイーズがみせた妖艶とは異なる影。おそらく〈なにか〉があったのだろう。小さな筺に鍵を掛け、頭の隅っこに追いやった〈なにか〉が。捨てられるものならそうしたいが意図的に出来る事でも無い。まるで彫り込まれた傷跡で、いくら擦っても消えはしない。いっそ撃ち壊そうとしたこともあったろう。そっとしておいてほしい生んだ傷口は誰にも見られたくない。誰だって言いたくないこと、知られたくないことの一つや二つあるのだから、わざわざ詮索する程野暮ではない。
だからヴィンセントは後悔していた。哀しい表情のままで、ルイーズはなにも言わない。そんな時ヴィンセントが閃いたのは、最低で最高なものだった。
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