The Pretender 6
翌朝、目を覚ましたヴィンセントは凝り固まった首を回し、頭を襲った鈍痛に額をさすった。銃の入ったホルスターなんか枕代わりにするもんじゃない。ましてやここはルイーズの家だ。危険極まりない路地ではなく、安心安全なマンションの一室。馬鹿みたいに寝息を立てていても寝首を掻かれることはない――はずなのだが、何故だか彼は上半身半裸で、横たわっていたのはリビングのソファだった。
嫌がる尻をソファから引っぺがしてやる。広々とした3LDKの室内はやけに静かで、ヴィンセントは寝ぼけ眼の焦点を揉みながら合わせると、扉の一つをノックした。この先はルイーズの寝室……のはずだ。
ノックノック、と叩いてみるが返事はなく、開けるかどうか悩みながら部屋を見渡した時それに気付く。綺麗に畳まれた上着一式と、そこに置かれた紙幣を挟んだメモ一枚。道中で朝食を済ませろということか、筆跡にさえ色気漂う書体で『起きたら事務所へ』とだけ書かれていた。
起こさずにルイーズが出かけていったのか、それともヴィンセントが起きなかったのか。
一度起こされたような気もするが記憶がハッキリしなかった。が、雇い主が呼んでいる以上、とにかく事務所まで行かなければ。ダラダラと上着の袖を通して外に出ると勝手に部屋の鍵が掛るし、一階のエントランスにはホテルさながらにコンシェルジュが常駐していた。そうとういい物件なのは分かるのだが、昨日見ているはずなのに憶えがないのは何故だろう。
外に出るなり痛いくらいの日射しに、目を瞑るように顔を顰めながら、ルイーズの事務所に向けてヴィンセントは歩き始める。数度曲がるだけだから、知らない道でも迷いはしない。行き交うヒトの割合は獣人の方が多いが、だけというわけではなく、どちらかと言えば混成街よりである。
ヴィンセントは亀の如き急ぎっぷりで事務所に向かっていたのだが、歩道を右往左往している真っ黒な人影見つけては注意を払わざるおえない。
あっちへウロウロ、こっちへウロウロ。この日射しの中黒一色の服に身を包んだ少女が道行く人に声を掛けようと頑張っている――らしかった。踏ん切りが付かないのか、ヴィンセントとも目が合ったが、最初の一言が喉から出ないまま少女は逃げるように道を空ける。
その横を通り過ぎて数歩。やはり気になりヴィンセントは足を止めていた。無論、彼には仕事があり、おそらく――否、確実にルイーズはお冠だ。間違いなく遅刻なのだから余計なことにかかずらわっている場合ではないのだが、鯉のように口を開閉させながらおろおろしている少女を置いていくのは、なんというか後味が悪い。どうせ遅刻なのだからと振り返れば、少女は自分の足にけっつまずいて転びそうなっていた、危なっかしいことこの上ない。
「あ~あ~あ~……。お嬢ちゃん、お困りかな」
少女は小さく跳ねて驚く。
「えっ⁉ ……あのぉ、それって……わたしですか?」
「用がないなら邪魔したな」
「あ、まってください……えっと、その……」
年の頃は十七、八。褐色の肌と羊毛に似てくるくるとした癖毛。だが、彼女は完全な獣人ではなく、頭に生えた小さな角以外は人間と遜色の少ない姿をしていた。ぱっちりとした大きな目が縋るようにヴィンセントを窺っている。どこか天然というか不思議というか、そういった類いの印象を受ける。
こっちから声を掛けたのに見捨てやしねえよ。そう思ったヴィンセントは、だが少女の鬱陶しい眼差しから目を逸らした。
「そんで? どうしたんだ」
「わ、わたし……そ、その教会に行きたいんです。……けど」
「教会? どこだったかな」
少女が何を着ているかは注視するまでもなかった。そしてその服装が何よりも彼女が教会を探している理由を語っていた。飾り気のない黒の喪服。理由を問うのはアホのすることだ。
教会が近くにあるのは覚えているのだが、場所が思い出せない。調べるべくケータイを取り出したヴィンセントが画面に触れるが、液晶画面はうんともすんとも言わなかった。充電切れである。――そういや充電してなかったな。
「教会ならあっちだ……確か……」
曖昧な記憶頼りにヴィンセントが指す方向を確認すると、少女はぺこり小さく頭を下げて「ノーラ」と名乗り、礼を言った。
「俺はヴィンセントだ」
「ほ、ほんとうにありがとうございます。ヴィンセントさん」
「ヴィンスでいい、それから呼び捨てで構わねえ」
「はい、ヴィンスさん」
「……ま、いいや。んで? 教会まで行きたいんだっけか? 俺もそっちに用があるし途中まで送ってやるよ」
「そんな、わるいです……」
「その様子じゃ一人で行けるとは思えないな。気にすんなよ、通り道だし」
「……いいんですか? お願いして? ……えっと、あ、ありがとうございます」
言い出したのはヴィンセントだが、こんなに簡単に釣られるなよとも彼は思うのであった。飴玉あげたら付いてきそうな無警戒さだけでも、ノーラを置いていくのは躊躇してしまう。混血なのもあるが、とにかく見ていて危なっかしい。人間と獣人の緊張が高まっている現在、どちらにも属し、どちらにも属さない混血はとても危険な立場にある。
どうも恥ずかしいらしく、ヴィンセントの横を歩く時でもノーラは伏せ目がちだ。
「下ばっか見てると迷子になるぞ」
「…………ごめんなさいです」
ノーラはしゅんとなる。会話が続かず、ヴィンセントもどんな話を振ってやればいいのか分からなかった。
「それにしても、あれだ、いい天気だな」
「そ、そうですね、ぽかぽかです」
やっちまった、とヴィンセントは思う。広げにくい天気の話から入るなんて詰みも同然だ。答えたノーラにも戸惑いが見えるし、彼女の服装云々については出来るだけ触れたくない。が、このまま日射しに炙られ続けているといつか触れてしまいそうだ。冷たいものでも飲んで気を紛らわそう。
「なにがいい?」
自分だけ飲むのも気がひけるので、自動販売機の前で財布を取り出しながらヴィンセントは尋ねたのだが、ノーラは別のものに注意を注いでいた。
「ヴィンスさん、それって……」
警戒したノーラの視線をヴィンセントが辿ってみれば、そこには彼の腰の物、バックホルスターに収まった拳銃がある。善良な市民ならお目に掛りたくないだろうし、ノーラが怖がるのも無理はない。財布を取り出す時に上着がめくれた所為で、うっかり表に出たのだろう。
「ああ、こいつは護身用だ」と、努めて優しく――ヴィンセントは上着を直して銃を隠す。見せびらかす物でもない。心なしかノーラが一歩下がった気がする。
「知ってるか、便利屋って。俺はそこで働いてんだ。あとは賞金稼ぎみてえな真似もしてっけど、こっちはまぁ小遣い稼ぎみてぇなもんかな」
「……知ってます。色んなことするんですよね、便利屋さんって」
「アルバトロス商会っていや評判結構いいんだぜ? こう見えて。出来るだけ物騒は避けるし、銃こいつを使うのはあくまでもヤバい時だけだ」
「えっとぉ…………?」
「例えば殺されそうになった時とかな」
冗談めかしていたが、ヴィンセントは気付く。子供にする話ではないし、何より状況が悪い。言ってはならない単語まで出す始末に、内心でしまったと舌打ちをうった。
「まぁ、それはいいんだ。飲めないものあるか?」
「あ、ありませんけど……お気持ちだけで充分ですよ。道案内までしてもらっているのに」
「こう言う時は黙って奢られるのがいい女になる秘訣だぜ? いいから付き合えよ、ホラ」
放られたオレンジジュースをぎこちなく受け取ったノーラは、呆然としながらヴィンセントを眺めていた。呆気にとられているのか、感激しているのか。どちらにしても缶ジュース一本でここまで感動するとは、どれだけ純なんだ。
「どうしたよ?」
「いえ、なんでもありません……その、こういうのって初めてで……」
「――? いいから飲めよ、じゃねえと俺も飲めん」
缶ジュースを片手に二人は歩き始める。
シトラス風味の微炭酸がヴィンセントの喉を駆け下りた。冷たくて美味い。のだが、会話は微炭酸程も弾まないどころか、寧ろさっきよりも重い。ノーラの服装から察するに葬式に参列する為に教会を探しているのは察しが付く。見知らぬ人間にご愁傷様と言われたところで気まずくなるだけだし、なにより事情も分からないのに気安く口にするべきではないから、ノーラから話すまで話題については黙っている方が吉だろう。どうせ後数分の付き合いなのだから、それまで適当にしていればいい。別に親しいわけでもなし、だんまり決め込んでいてもいいのだから。
が……、その沈黙に耐えられないのがヴィンセントである。ノーラに合わせているから歩く速度も遅く、信号待ちはとても長く感じる。沈黙に暑さも相まって、色々とどうでも良くなりだしていた。
「……ごめんなさい、迷惑でしたよね、やっぱり。先に行ってもらっても――」
「それでまた迷子になると。うじうじしてないでついて来い、さっきから何を気にしてる」
「だって、ヴィンスさんって便利屋さんなんですよね? わたし今、あんまりお金持ってなくって、その……」
「間違ってねえけど、なんか嫌らしいなその言い方。金取って云々はどんな仕事も一緒だろ」
「はい……」
「まさかお前、俺が道案内程度で金せびると思ってるわけじゃないよな」
窺い見ていたノーラは気まずそうに目を逸らした。
心外も心外だ。確かに懐は冷え冷えだが、少女から巻き上げる程落ちぶれちゃいない。
「はぁ……とりゃあしねえよ、どうしてもってんなら受け取るけど」
なんて軽くからかうと、ノーラが財布を取り出そうとした。
「だからマジに取るなって、いらねえよ。ただの気まぐれってやつだ」
胸を撫で下ろしたノーラはくすり、と笑う。少しばかり早足でヴィンセント追い抜くと、彼女はパーマの掛った髪を浮かせてはにかみながら振り向いた。
「おかしな人ですねヴィンスさんって」
「そりゃどういう意味だ」
「優しい人だなって。わたし、誰かとお話しするのってニガテなんですけど、ヴィンスさんとだとあんまり緊張しないっていうか……」
「初対面の男相手によくそんなこと言えるな」
「イヤ……でしたか? それならごめんなさいです。でも、わたしは、ヴィンスさんは優しい人だと思いますよ、なんだかそんな気がします。……もしかして、照れてます?」
優しいなどと――気恥ずかしさにヴィンセントは肩を竦めてみせる。
「自己満足だ、それだけだ。厚かましいってよく言われる」
「そんなことないですよ。どうしたらいいか分からなくって、だってわたし、ほんとうに嬉しかったんですから。……なにかお返しが出来たらいいんですけど」
「別にいらねえよ」
一言あっただけでも充分だったし、これ以上は求めていない。が、それでもノーラは真剣にヴィンセントを見つめていた。何でも言ってください、と。
「そうだな、それなら質問に答えてもらおうか」
「質問、ですか?」
「ちょっとした聞き込みみたいな感じだ、固くなるなって。お前結構通りにいたんだろ? そん時に変な奴を見なかったか?」
「ヘンな人、ですか」
「気になった程度でいい」
ちょっと考えた後、ノーラは知らないと首を振った。
「……ごめんなさい」
「ま、余裕があったら道訊いてるか。いいよ、そんな簡単に見つかるとも思ってねえから」
「ど、どうしてその人を探してるんですか?」
「ちょっとした仕事でね」
「そっか、便利屋さんですもんね。ほんとうに色んなことするんですね」
情報屋に使われるのも便利屋稼業の一つ……か? 情報収集及び身辺警護と考えれば当てはまる気もするが。
「ヴィンスさんは……その人が、探してる人が見つかったらどうするんですか?」
「あ? 情報まとめて雇い主に渡すけど」
「そ、そうじゃなくって、えっと……もしもその人と会ったらです。危ないんじゃ……」
そういう意味か。缶を傾けヴィンセントは考える。
追いかけている賞金首はこのドームだけで獣人九人を殺害した殺人犯、しかもおそらくはその道のプロで、腕前は一流の上に超が付くだろう。今までの被害者が全員獣人であることを考えると、人間であるヴィンセントが狙われる可能性は低いはずだが、もし対峙した場合はどうするか――。
「まぁ、逃げっかな」
ヴィンセントは便利屋であって、賞金稼ぎではない。しかも彼の本職は宇宙戦闘機のパイロットなのだ。いかな凄腕パイロットであろうと飛行機から降りればただの人、殺し屋とのガチンコファイトなんて願い下げだ。
「賞金は魅力的だけど、今は捕まえるのが目的じゃねぇから」
「…………気をつけて、くださいね」
「その点は安心していい、金にならない無茶とか無理はしない主義でね」
ヴィンセントは剽げてみせる。ようやく話が繋がりだしたのに残念なことだ。ルイーズの事務所はすぐそこまで近づいてきている。
「何か困ったことがあったら依頼受けるぜ。アルバトロスって船で働いてるから探してみてくれ」もし面倒だったら、と彼は立ち止まり雑居ビルを指さした。「ここで俺の名前を出せば通じっからよ」
「お、覚えておきます。お返しにジュース持っていきますね」
「そこまで安くはないぜ? ウチは」
「そそそ、そうですよね……」
冗談を真に受け、ノーラはどもりながら顔を伏せた。ここは笑うところなのだとヴィンセントは頭を掻く。彼女を待たせてビルに入ろうとしたところで、空から降ってきた女性の声がヴィンセントの足を止める。そこには不機嫌なルイーズが窓から顔を出していた。
「よぉルイーズ」
「お早いご出勤・・・・・・ネェ。しかも随分余裕があるようで……。上がってきてもらえる?」
一発目のごますりは失敗で、叱責の眼差しを向けるルイーズに、ヴィンセントは両手を合わせて詫びた。
「その前に、ルイーズ。ここら辺に教会あったろ、どこだっけ?」
「教会? 祈ったところで許さないわよ、そもそも貴方、神様を信じていないでしょうに」
詰問口調のルイーズだが、棒立ちのノーラを一瞥すると呆れたように溜息をついた。ヴィンセントが余計な世話を焼いているのだ、また。それならと彼女は続ける。
「このまままっすぐ行ってルーベン通りに出れば案内の看板があるわよ、そこからは文字さえ読めれば辿り着けるはず」
「――だそうだ」ヴィンセントは仰いでいた首を戻してノーラに行く先を示してやり、そこからは声を潜めて話した。
「わりィけど俺はここまでだ、見ての通り女王様がカンカンでよ、機嫌損ねっと首切りなんだ」
「ヴィンス、聞こえているわよ」
冷徹に一言降らせたルイーズが部屋の中に引っ込むと、ヴィンセントはわざとらしく背筋を震わせた。
「まぁ、そんな訳だ。あとは一人で行けるよな」
名残惜しいがノーラとはここでお別れである。
「……ハイ、ほんとうに、ありがとうございました。……ヴィンスさん」
「どこも物騒だからな、気をつけて行けよ」
小さく「ハイ」と答えたノーラは地面に目を落としている。
「あの、ヴィンスさん……。お、お願い、聞いてもらえますか?」
「教会までは送ってやれないぜ。それとも別の話か」
「あの…………」
ノーラは一度ヴィンセントを見て、そして再び顔を伏せた。
「なんでもありません、大丈夫です。ヘンなこと言ってすいません」
どうみても大丈夫ではなさそうだし、途中で話を止められたら気にもなる。だのにノーラを呼び止めても、一礼した彼女はさっさと行ってしまうのだった。
「ヴィーンス! 早くしなさいッ」
痺れを切らしたルイーズが声を張り上げていた。いい加減にしないと今夜の寝床を取り上げられてしまいそうだ。
「いま行く、分かってるって!」
窓に向かってヴィンセントは答え、ノーラをもう一度呼び止めようと視線を戻すが、既に彼女の姿は通りから消えていて、通りにはヴィンセントが馬鹿みたいに一人でぽつんと立っていた。ノーラの消えっぷりはまるで存在が消えたかのように突然で、風で煙が霧散したようだった。綺麗さっぱり、跡形もない。途端に現実感がなくなり幻覚でも見ていたんじゃないかとヴィンセントは不安になる。
どこに行った? 言い難い不安に苛まれるヴィンセントを現実へと引き戻したのは、コツコツ固いヒールの音。階段を下りてきたルイーズの機嫌は火を見るより明らかだ。
「いつまで待たせるつもりなの? 出かけるわよ。ほら、車回してきて頂戴」
今日は運転手らしい。皮肉の一つもあったのだが黙っているのが吉と判断でして車の鍵を受け取ったヴィンセントは、駐車場まで行こうとした足をふと止める。
「なあルイーズ、さっきまでここに女の子がいたよな?」
「教会へ行ったのでしょう? それよりも車持ってきて頂戴、まさかまだお酒が残っているなんて言わないわよネェ」
ルイーズは微笑んでいたが、その瞳はものすごく冷たかった。
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