1st Verce The Pretender

The Pretender


 ピリリリ、ピリリリ――


 散らかり放題の輸送船の船室にケータイの着信音が鳴っている。その暑さから逃れる為に、昨晩は確かに冷房が効いていたはずなのに、部屋の空気はすっかり茹だってしまっていた。


 鳴り続ける着信に反応して小汚いベッドの中身がもぞもぞと動く。

 毛布の中から床に転がっているはずのケータイを探すが、届かない。寝る時に適当に放った所為だろう。どこら辺に投げたか、手が届く範囲を掠うがしかし見つからない。僅かに目を開けてみる。


 あった。身体を伸ばしてようやく届くところにあった。


『ヴィンス?』


 着信音は止んでいて、代わりに艶やかな女性の声がケータイのスピーカーから聞こえてくる。耳さわり甘い妖花のような色っぽい声。どうやら留守電に切り替わったらしい。


『もしもしヴィンセント? 私よ、ルイーズ』


 名前を呼ばれて目が覚めたのか、ベッドに転がっている男、ヴィンセント・オドネルは呻き声を漏らした。起きたと言ってもまだ半分寝ているようなものだが、彼はずるずると放してくれない毛布から這い出して甘い声を垂れ流すケータイに手を伸ばす。キチンと起き上がれば良かったのだが、面倒くさがった所為で余計に手間を取る事になってしまう。爪先で拾い上げたケータイが手から零れて部屋の反対側まで跳ね逃げた。いっそベッドから出た方が早いが、どちらにせよ手遅れだ。


『まったく……、ダンも出ないし。大方、まだ寝ているのでしょう? だらしがないんだから。貴方達に物資輸送の仕事依頼が入っているから事務所まで来て頂戴、詳細はこっちで伝えるから。それじゃあ、おやすみなさい』


 やっとの思いでケータイを手にしたのに、皮肉を残して通話は切れてしまう。〈ルイーズ:着信アリ〉と表示された画面に脱力し、ヴィンセントはケータイを床に逃がしてやった。後味悪く毛布に身体を戻して長く息を吐きながら額を拭えば手の甲が湿り、毛布もシーツもじめっとしていて、かなり汗を掻いているのが分かった。


 喉は渇いているし空気は熱を持っているのだが、ヴィンセントの身体は驚く程に冷たい。麗しき美声で起こされたはずなのにどうしてこんな事になっているのか。ベッドに座り直して愛飲の煙草に火をつける。細長く紫煙を吐いて更に空気を澱ませた。寝癖の付いた黒髪を掻きながら、どうしてだ、と自問する。


 ――ああ、自分が死ぬ夢など見た所為か。


「アホくせえ夢だ……朝っぱらから縁起悪ィなぁ、ったくよ」


 なにせ死ぬ夢だ。寝覚めは最悪、心地よい朝とはあまりにほど遠い。ベッタリと張り付いたシャツに風を通して、ヴィンセントは身震いした。まずはシャワーでも浴びよう、今よりマシにならなきゃ飯も喰えない。



『おはようございます、本日のニュースをお伝えいたします』


 感情が希薄なニュースキャスターは機械の取扱説明書でも読むように淡々と原稿を読み上げている。どこかの戦争の話とか、薬物の規制がどうだとか。浴室の外に置いたラジオから垂れ流されるニュースを、ヴィンセントは熱いシャワーの中で聞く。

 黒髪を掻き上げると、まだすこし青ざめている表情が露わにある。鏡に映る気怠い眼に、長く息を吐いて気合いを入れた。


 生きているのは現実、今感じている世界だ。死ねばそれまでの世界にいるのに、頭の中で起きた悪夢の残滓に怯えてどうする。


『――にある研究機関の発表によりますと、獣人種の誕生には、火星で発見された新世代エネルギーが深く関わっている可能性があると――』

「『なんで獣人が生まれたか』なんて知ってどうすんだ……他にあんだろ、先にやる事が」


 ヴィンセントはぼやく。


 獣人――端的に言えば二足歩行している獣というのが一般の認識だ。とはいえ会話も可能だし頭の作りだって人間同じなので、鳥獣の要素が混ざった人間と表した方が適切かもしれない。肌の色の違いみたいなものだ。


 耳に入るのは耳タコな話や、芸能人のくだらない情報ばかり。どうせなら聞くならゴシップよりも、音楽チャンネルでこの鬱屈とした気分を一転させよう。


『最後に金星でのニュースです。昨夜未明、金星のゼロ・ドームで、飲食店経営者のオマール・ガルベス氏が首や胸など数カ所を切られ死亡しているのが発見されました』


 ぴたり、とチャンネルを変えようと伸ばしたヴィンセントの手が止まる。金星のゼロ・ドーム。それはまさに、彼の乗っている宇宙輸送船が停泊しているドーム型都市の名前だった。


『ガルベス氏は獣人であり、警察は近頃ゼロ・ドームで連続して発生している、獣人を狙った殺人事件に巻き込まれたのではないかとして捜査を進めています。これに伴い警察から市民の皆さんに外出を控えるお願いを出すと共に、国際宇宙警察連合(ISPA)から懸賞金の増額の通知があった事が発表されました』

「物騒だなぁ、この街はよ」


 曲を聴く気すら失せてしまったヴィンセントはだらだらと身体を拭き、のろのろと服を着ていく。頭にタオルを乗せると皮肉っぽく歪んだ口元が洗面台の鏡に浮いた。


「ついに賞金増額か。つっても、犯人の姿もわからねえんじゃ賞金稼ぎに頼りたくもなるか」

『金星入植始まりの地であるゼロ・ドームにおいての連続殺人事件によって、同ドームに暮らす種族間の緊張は高まりを見せております』

「ま、賞金上がるならこっちとしても構わねえんだけど――」


 最後にフライトブーツに足を突っ込み、着替えも完了。ぶちっ、とヴィンセントはラジオを切った。



「生憎と俺は忙しい」



 同輸送船の格納庫では、熊のような身体付きの大男が、チェーンに吊られた宇宙戦闘機のエンジンを弄っていた。カチンカチンと、時折響く作業音が心地よく、彼から少し離れたところには左エンジンを引き抜かれた戦闘機が天井の照明を反射して佇んでいた。


「ダン、調子どうよ」


 男に対しての挨拶か、それとも彼が見ているエンジンの調子を訊いているのか、どちらとも取れる言葉。格納庫に入りながらヴィンセントは作業中の男に声を掛けた。


「……悪くはない」


 白髪交じりのモヒカンと蓄えられた口髭、眉毛のない面の厳めしいこと。サングラスで表情を覆い隠した男――ダンがエンジンの影から出てきて答えた。彼が着ている作業着は、長く着込まれている所為でオイル汚れが染みついている。この容貌を見て、彼が便利屋・アルバトロス商会のボスであると言い当てるのは難度が高い。彼の役割はもっぱら機体の整備と情報支援であり、ダン自身が出張る事は少ないのである。


 サングラスの裏にある目を厳めしく細め、彼は「しかし」と続けていた。

「よくもない。まったく、無茶苦茶な飛ばし方しおってからに」


 ダンが機体整備をしているのは他でもない、ヴィンセントの無茶の所為なのだが、彼は悪びれた素振りもない。


「いいじゃねえか無事だったんだし。労ってやるのはダンの仕事だろ? 大事に飛んで墜とされたら意味ないぜ、機体の為に死ぬなんて冗談じゃない」

「彼女ももう年だ。ハードな機動は控えろと言っている。そのうちに戦う前にバラバラになっちまうぞ」

「昨日の護衛依頼か? あれはしょうがねえだろ、依頼主がケチったお陰で集まったのは二流どこばっか。しかも全員墜とされやがって、単機で守り切ったんだから表彰モンだぜ。……船の名前なんだっけ」

「ロングジャムだ。――それでもあんな飛び方をする必要があるとは思えんかったが――相手は誰だったか」

「フーチ一家」

「ああ、連中か。懲りない奴らだ」

「だから宇宙海賊なんてやってるんだろ、学習する頭があるならとっくに足洗ってるさ」

「……ならばなおさら、無茶をする必要は無かったろう」


 命を預ける機体なのだから、ヴィンセントとて雑に扱っているわけではないのだが、レンチを工具箱に戻すダンの眉間には深い皺が刻まれていて、ヴィンセントは居心地悪く肩を竦める。


「……悪かった、以後気をつける」

「そうしてくれぃ、間違いなく腕があるのはわかっとる」

「そいつはどーも」


 窘めた後に褒める、なんか上手いことコントロールされている気もするが認められているのは光栄だ。またも居心地悪そうにヴィンセントは戦闘機を見上げる。


「ところでダン、修理どれくらいかかりそうだ?」

「むぅ、諸々見るつもりでいるから早くても明日だな、万全にするには。何かあったか?」


 休憩ついでにダンは葉巻を取り出した。彼の葉巻に火をつけてから、ヴィンセントも自分の煙草に火をつける。


「仕事の依頼が来てる。ルイーズが事務所まで来いって行ってんだけど時間掛りすぎるな。そういやあんたにも連絡入れたつってたけどケータイどうしたんだよ」

「む? ……そこいらにないか?」

「携帯しとけよ」

「勿体ない事をしたな、猫ちゃんからの電話とは。久々に声を聞きたかったが」


 もうと、ダンの鼻腔から紫煙が吐き出される。老いて尚衰えない雇い主を、ヴィンセントはからかい笑うのだった。


「鼻の下伸ばしやがってスケベ爺ィ、年考えろ」

「なに言ってる、まだまだ現役だぞ。お前さんに話したか? 火星のバーで会ったお姉ちゃんの話。これがまたエレぇべっぴんで――」

「何回も聞いたよ、聞きたくねえ」


 それより今は足がいる、ヴィンセントがそう言えば今度はダンが笑い飛ばした。


「莫迦者が、バーナーで炙れば直るわけじゃないんだぞ。大体、戦闘機で事務所まで飛んでいくつもりか。確かに早いがどこに降ろす? どうせなら車で――」


 と、ダンは車の鍵を探そうとして手を止めた。


「いかん。あっちもエンジンの調子が悪いのだったな。とはいえ街には出られる」

 イヤな予感を持ちながら「どうやって」と問うと、ダンが足を叩く。歩けってか。

「たまにはいいものだぞ」


 ダンにはヴィンセントがごねる理由が分かっていた。輸送船アルバトロス号が停泊しているのはドーム都市の端にある港、ルイーズの事務所があるのは街の向こう側だ。徒歩では何時間かかるのでごねるのも無理はないが――


 ――観念するしかない。私が悪うございましたとヴィンセントは諸手を挙げた。


「話をまとめてこい、出航の準備は進めておく。猫ちゃんによろしく言っといてくれ」

「アイアイ、ボス」


 ダンが葉巻を空き缶に押し込みエンジンに向きなおる。その丸まった大きな背に働けと言われている気がして、怒られる前にヴィンセントも仕事に取りかかる。とりあえずは商談だ。


「ほんじゃ、行ってくるわ」


 出かける前にヴィンセントは一度自室に戻る。外は何かと物騒で、出歩くにはそれ相応の支度がいる。右脇に一挺、同じ方の腰の後ろにもう一挺。薄手のミリタリージャケットを羽織って二挺揃いの隠し、彼は街へと繰り出した。



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