The Pretender 2


 本日モ晴天ナリ


 起き抜けの太陽は本当に鬱陶しく、空に向かって手をかざす。ドームの天蓋を抜けて降り注ぐ日光は寝起きの眼にはキツかった。地球よりも太陽に近い所為か、金星から見上げる太陽は大きいような、暑いような、眩しいような。


 ルイーズの事務所までは大分距離があるので徒歩だけでは当然無理だ、遠すぎる。そんなわけでヴィンセントはホームに滑り込んできた電車に乗り込み、冷房のありがたさを確かに感じていた。窓の外、遙か遠くには初期型ドームに見られる特徴、天蓋の支えとなる巨大な柱――セントラルタワーが聳え立っている。雲を突く程の高さがあるこのタワーを中心として、キノコ傘に似た天蓋が金星上の都市全体を覆っているのだ。規模はでかいが、要するに箱庭である。


 金星入植の際、実験的に建てられたこのゼロ・ドームは初の金星都市として有名ではあるが、公的機関など、統制で重要な位置を占める施設は設計を見直された新型ドーム都市にまとめられた今となっては、かつての名声が残っているだけで、価値いう程の物もない。実際、余所に移っていくヒトは増える一方である。一般市民の代わりにやってくるのは犯罪者など後ろ暗い手合ばかりだ。


 ヴィンセント達がここに拠点を構えているのはそれが理由でもある。便利屋の仕事がない時は賞金首を捕まて食い繋いでいた。

 電車から降りれば全く以て嬉しくない太陽との再会。ようやく中心街に出たヴィンセントは咥え煙草で街を行き、人が行き交う雑多な人混みの中で立つ紫煙の細柱は温い風に流され消えていった。


 ドーム都市は大きく分けて三つの区画に分けられる。人間が暮らす人間街、獣人が住む獣人街、二種族が暮らす混成街。……人型の獣と揶揄される獣人達に関していえば住んでいるというより押し込められていると表わした方が適切か。付け足しておくと、どれもこれも正式名称ではない。


 ルイーズの事務所は獣人街の中にあって、かつて賑わっていた大通りの外れ。繁栄から置き去りにされ、すっかり寂れた通りに面した窓からセントラルタワーを望む雑居ビルの一室だ。ドーム全体が物騒なので何とも言えないが、彼女の事務所周辺も中々に危なっかしかったりする。曰く、静かでいい場所らしいが意味が違うだろ。


 確かに静かではあるが、この街のそれは一般的な静寂とは明らかに異なる。特に無頼に足を突っ込んだ人間にはきな臭さが鼻につく。背徳が薄く膜を張ったような、そんな気配。トラブルなんてしょっちゅうだ。その証拠に、駅からルイーズの事務所に向かうだけの筈が、ヴィンセントはトラブルに見舞われていた。まだ人間街から出ていないというのにである。


 路地から聞こえてくる言い争う声。最初はチンピラ同士のいざこざかと思ったがそうではないらしい。届いているのは男の声だが、拾った単語を繋げてみれば、どうも女が絡まれている様子で、ナンパとかそんな緩い雰囲気ではなく異様に殺気立っている。


 用事があるのだから無視して通り過ぎればいい。ヴィンセントはだが、気付いた時には怒声響く路地の中に立っていた。


「あ~、っと失礼」


 刺激しないようにヴィンセントは声を掛ける。殺気立っていた理由はすぐに分かった。ガラの悪い人間三人が長身の獣人女性を囲んでいたのだ。女が獣人である事は遠目からでも獣耳と尻尾で判別出来る。一歩足を出すごとに剣呑な雰囲気が増していき、ヴィンセントは首を突っ込んだことを早くも後悔し始めていた。


 仕事があるのに寄り道だ、本当に何をしているんだ。


 現在確認されている獣人の数は星によってその割合が異なり、火星、金星、地球の順となっていて、割合が少なくなれば当然珍しくなる。外見の違いは大きな差別を生み出し、獣人が現れるようになってから百年以上が経っても未だ差別はなくならない。かなりマシなったといわれている今でさえコレだ。そう簡単になくなるものではないんだろう。


「なんだテメェ、見せモンじゃねェぞ」


 ヴィンセントが獣人女性に目を向けていると、チンピラのリーダーらしい男が言った。ついとそっちに注視すればヴィンセントの気分は下降軌道で下がりっぱなし、正真正銘のチンピラではないか。最近噂の殺人鬼ではないかと淡い期待をしていたのが馬鹿らしい。こんな雑魚では捕まえたところで二束三文、労力に見合うかといえば微妙なとこだ。


 ――が、見て見ぬフリも後味が悪い。引いてくれれば見逃してやってもいいんだが。


「邪魔するつもりじゃねーけどよ、とりあえずその辺でやめといた方がいいと思うぜ? 三人じゃ流石に分がわりぃって」

「何カッコつけてやがる。ケガしたくなけりゃ消えろ、これから俺たちは掃除すンだからよ」

「掃除だ?」

「獣人なんざいねえ方が世の中の為だ。こんな気色悪ィ化物が堂々と俺たちの街をうろついてるんだぜ」


 取り巻き二人が「そうだそうだ」と相槌を打つ。

 阿呆くさすぎて頭が痛くなりそうだ、いっそ放っておけば良かった。ヴィンセントは呆れた笑いを含みながら返答をくれてやる。


「どうでもいい、俺ァ金星生まれじゃないんでね」

「どの星でも獣人は目障りだろ。獣臭くて堪ったもんじゃねえ、豚小屋みてえになっちまう。動物共は全部まとめて檻に入れちまえばいい。街が悪臭塗れになる前に数減らさなねえとな」


 食傷しているヴィンセントに気付きもせず、チンピラ達は頷き合っている。


「鼻につくのはお宅等のアホさ加減だっつの」

「なんだとテメェ、人間の癖に獣人の肩持つ気か。テメェから殺してやってもいいんだぜ」


 男の手でバタフライナイフがきらり、と煌めく。凶器を握っている自信が男に余裕を持たせているのかニタ付いた笑みが鼻につく。ヴィンセントの懐には銃が収まっているとも知らずよく笑えるものだ。


「おいおい……刃物はなしだろ」

「野郎スカしやがって、ぶっ殺してやる……!」


 抜けば楽だが、ヴィンセントは銃把に触れる気すらない。便利屋の仕事がない時は賞金稼ぎの真似事もする。懸賞金を受け取る最低条件は賞金首が生きていることだ。こんなチンピラ程度素手でたためなければ勤まらない。


 女の方をチラと見てから、にじり寄ってくる男を注視する。


「手ぇ出すなよ」

「ザケンなァ! くたばりやがれ!」


 ナイフを突き出し気勢を上げ、男が突っ込んでくる。せめて穏便にと考えていたヴィンセントでも我慢の限界、最早反撃に躊躇はなく――。

 突き出されたナイフを受け流し様に掌底を顎に返し、そのまま腕を絡め取って背中まで捻り上げると、顔面から壁に叩きつけた。


 男が呻き、ナイフを取り落とす。


「暴れんなっつの」


 男を押さえ込んでいるヴィンセントだったが、取り巻き二人に動きを感じて素早いワンアクション。先に動いたのは取り巻きでも、終わりはヴィンセントの方が早い。彼の右手は腰のバックホルスターから完全に銃を抜き、取り巻き二人にその銃口を向けていた。


「手を上げるんだ、ゆっくりな。それとも、こっから早撃ち勝負するかい?」


 懐に手を突っ込んだまま固まっていた取り巻きが、互いに顔を見合わせる。勝ち目がないと悟ったのか彼等は慎重に両手を挙げた。


「お利口さん。ほら、連れてけ」


 リーダーの男を無理やり立たせ取り巻き達へと押しやる。よろめきながら離れていく男は、取り巻きに支えられながら、ふらふらと通りへ逃げていく。その後ろ姿の情けない事、足は怪我してないのだから自分で立てるだろうに。


「ツ、ツラぁ覚えたからな! 覚えてやがれ!」


 去り際のひと言までも清々しく、見事に小物である。飛んできた捨て台詞にお捻りをあげたくなったヴィンセントは、目に付いたバタフライナイフを拾い上げると、器用に回して刃をしまい、「忘れ物だ」と投げてやった。

 我ながらナイスコントロールで飛んでいったナイフを後頭部に受け、チンピラ三人は絡まりながら転がった。まさにズッコケだ、喧嘩相手を見極められないのも無理ないことか。


 さて、残る問題は――


 結わかれた腰まで伸びた茶色の髪と、黒の縞模様が入った橙色の毛皮に覆われた逞しい身体。背の丈は二メートルを超える彼女は、片手でギターケースを持ち上げてこの場から去ろうとしていた。


「おまっ、ちょっと待てよ」


 うっかりだった。行かせてしまえば良かったのに、あまりにあっさりとした彼女の行動に思わずヴィンセントは呼び止めてしまっていた。

 立ち止まった獣人女性の後ろ姿の堂々たるもの。


「………………なに?」


 鋭い目付きは怒っているように見える。というか完全に怒っている。彼女の眼光はまさに肉食獣のそれで、虎の外見がその威力を助長していた。

 詰め寄る彼女は二つの意味でデカく、その巨躯から発せられる威圧感はヴィンセントに緊張を強いた。彼とて決して小柄ではないのだが、見上げる形になってしまったので数歩下がって距離を取り、揺れるポニーテールに惹かれて目線が落ちれば、ヴィンセントは顔を逸らした。飛び込んできたのは彼女の胸だったからだ。今にもはち切れそうなブラウスに包まれた豊満では足りない大きな胸が、その深く深い谷間がこれ見よがしにそこにあるのだ。


 ――ごくり、生唾ものである。


「なにさ」


 言葉に詰まるヴィンセントに彼女が訊いた。苛ついた、キツい口調で。


「あッ……いや、一言くらいあっても良かねーか」

「ハァ? なんでアタシが。テメェが勝手にやったことだろうが、恩着せがましいんだよ。この人間野郎」

「みんな、そう言うよなぁ」


 小さく笑いヴィンセントは呟く。人間が獣人を嫌うように、獣人だって人間を嫌っている。とはいえ人間野郎と呼ばれるのは中々ない。


「それでも一言くらいあってもいいだろ、人間とか関係なく……常識としてよ」

「『助けてくれてありがとう』とでも? あんな連中、アタシ一人でどうにでもなったさ」

「余計な部分がついてるな、『助けてくれて』はいらねえよ」


 女の眉間に皺が寄る。


「――そいつを言うべき連中は団子になって転がっていっちまったからな。――まぁそれはそれとして、問題はあんただ。あいつ等どうするつもりだった?」

「…………」

「まぁ、流石に殺りはしなかったろうが、半殺しぐらいにはするつもりだったろ? 腕っ節強そうだもんな、お前」

「アタシが獣人だからか人間野郎」

「はっ、そうじゃなくても強そうだ」


 腕力を褒められて喜ぶ女性は少ないだろう、彼女が顰めっ面になるのも当然で、だがヴィンセントは構わずに続ける。


「この辺で人間相手に手なんか出してみろ、そりゃあお前、私刑にされちまうぜ。男なら殺されるだけだからまだいいが、女のあんたが捕まればどうなるかは言わなくても分かンだろ」

「人間が……心配でもしてるつもり?」

「人間だ獣人だってのは関係ねえ、無駄な人死には無い方がいいってだけだ。まぁ、人死になんてよくある話だけどな、この街じゃ――ところで、これからどうするんだ」

「はぁ?」

「よそ者だろ、あんた。宿決まってねえなら紹介するぜ」


 人間からの親切に警戒を強め女は目を細めた。下心があると思われたのだろうか、誤解だとヴィンセントは両手を挙げると、運悪く女の胸を掠めそうになる。慌てて引っ込めるが、冷たい視線は既に向けられていた。


「待て待て、今のはナシだ。ここに来たばっかで土地勘なんかねぇんじゃねえか」

「何言ってやがる、アタシは――」

「見りゃ分かるぜ、とぼけたってダメだ。街のこっち側は人間至上主義の連中が多くて獣人は滅多に入ってこない。ここまで来る獣人は顔が利く奴か、自殺志願者にどっちかってこった。ドームで起きてる殺しは知ってるだろ? あれの所為でピリピリしててさ」


 普段から目の敵にされているのに、この事件からこっち獣人への風当たりは更に強くなっていた。ほとんどの獣人は、獣人街に引きこもり他の区画へ出かけようとしない。「ふざけやがって」と女が唸り、ヴィンセントは身の毛がよだつのを感じた。


「人間様ってのはそこまで偉ぇモンなんか? 殺されてンのは獣人だってのに、なのにまだアタシ等に当たるってか。復讐されンはテメェ等だろうが」


 熱くなる女と対照的に、ヴィンセントは冷静だ。


「そ、復讐さ。正にそいつを怖れてんのさ、ここの奴らは。小競り合いは何度もあったらしいし、人間側もいつ刺されるか分かったもんじゃねえ。それで勝手に怯えてんのさ、まだ誰が殺ったかもハッキリしてねえのにだ。その結果、さっきのチンピラみたいな手合が増えてるんだ、タチが悪い」

「まるで自分は違うとでも言いたそうだな、テメェ」

「あン?」

「二挺も銃ぶら下げて堅気だなんてほざかねえよな人間野郎。その眼付き、獣人殺してきてンだろうが、テメェも。あたしゃ鼻が利くんだ、染みた鉄錆の臭いは落ちないよ」

「否定はしない」

「ハッ、偽善者が。いつだってそうだ、獣人を殺すのはアンタ等人間だ」


 ヴィンセントには返す言葉もない。彼は人間で彼女は獣人、そして彼女が言っていることは全て事実だ。たとえ獣人が被害に遭った事件があったとしてもニュースでの報道は稀だ。何故か? 簡単な話だ、人間にとって都合が悪いから、それだけ。見えている物は氷山の一角にも過ぎない。


「とにかく用事がないなら人間街から出るんだな。ろくな目に遭わないぜ、案内しようか?」

「冗談こくな、どこに連れて行かれるか分かったもんじゃない」


 そこまで言うならだ。何も断る相手に世話を焼く必要はない――が、このドームについて無知に近い彼女を放っておいては、余計ないざこざを起こしかねない。ヴィンセントは唇を鳴らす、心配なのは彼女ではない。


「左に曲がって暫く歩けば獣人街に出る、そっからヤード通りを北に行けば宿が見つかるはずだ。ライブハウスはそれから探すんだな」

「人間の施しは受けない」

「独り言だ、気にすんな」

「クソが……。なんでライブハウスなんか」


 訝る女が持つギターケースをヴィンセントが顎でしゃくると、外れかけた金具の一つがカチャリと揺れる。


「路上ライブはお勧めしない、こんな場所だしな。どんな曲演るのか今度聞かせてくれよ。――? どうした、もしかしてエル・マリアッチだったりするのか?」

「エル……なんだって?」

「あー、知らないならいい。忘れてくれ」


 空気は冷えていくのにヴィンセントの身体は熱を持つ。伝わらないジョークは哀しく恥ずかしい。女は今までで一番深く首を傾げ、「何を言ってるんだコイツは」と彼女の目で語っていた。


「ほら、さっさと行けよ。また絡まれるぞ」


 誤魔化すヴィンセントを不思議なものでも見るように一瞥すると、ようやく女は歩き出した。みるからに重そうなギターケースを軽々と扱いながら。


 こんな相手に、よくもあの三人は喧嘩をふっかけたものだ。赤信号皆で渡れば――な気分だったのかも知れないが、突っ込んでくるのがダンプカーだと考えはしなかったのか。なんてヴィンセントが三人組の浅はかさを嘆いていると、女が路地の出口から彼を呼ぶ。


「そういやさ人間野郎、アンタなんての?」

「名前か? ヴィンセントだ。ヴィンセント・オドネル」


 ところが丁寧に答えてやったというのに、女は「ふーん」と鼻を鳴らして去ろうとするのである。もちろんヴィンセントは呼び止めた。


「ちょっ待てよ。お前のは⁉ 互いに名乗るモンだろ、こういう場合ッ!」

「人間に教える名前はない、馬鹿な奴だ。ああ、そうだ。一応礼は言っといてやるよ」


 からかうように長髪をなびかせ、女の姿が通りへ失せる。去り際にひゅんと、しなった尻尾を見て、ヴィンセントは用事があることを思いだした。彼もまた通りに戻って歩き出す。いつまでも油を売っている場合じゃない、はやいとこルイーズの事務所まで行かなければ。


 ちょろっと辺りを見回すが、道を行くのは人間だらけ、虎女の姿はもう見当たらなくなっていた。



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