エピローグ

第271話 そして3月・・・卒業・・・俺たちはバラバラになった

 俺が舞と付き合う事を公にしたので、藍と唯の俺を巡る争いに終止符が打たれてトキコー中の教師と生徒が安堵したことは言うまでもない。

 でも、俺が藍も唯も選ばなかったから『お茶戦争』と『あんぱん戦争』は中途半端は結末を迎えた事になった。特に『おーい、お茶だ』と『伊左衛門』をトキコーに卸していた業者とすれば、引き続きトキコーに自社製品を納入する事が出来たのだが、ライバル社を蹴落とす事が出来なかったのも事実だ。


 当然だが藍と唯には再び「付き合って下さい」と告白する連中がゾロゾロ現れたが・・・以前と同じく藍も唯も「ごめんなさい」を繰り返していた。歩美ちゃんも面白がって再びリストを作って競争させているようだけど、歩美ちゃんに言わせると殆ど互角らしい。ただ、当たり前だが舞には誰も言ってこない。「藍先輩と唯先輩も大変ですねー」と半ばノロケながら言ってるから俺が逆に冷や汗をかいて「頼むから二人の前では言わないでくれ」と舞に言い聞かせたほどだ。

 父さんと母さんには舞の事を「俺の彼女」と堂々と紹介した。舞を見た母さんは「あらー、お人形さんみたいに可愛い子ね」と一目で気に入ってくれたようだし、父さんも満更でない様子だった。ただ、舞が帰った後で父さんも母さんも「ぜーったいに拓真は年上好きだと思ってたから、後輩を連れてくるとは夢にも思わなかった」と本音を漏らしたから藍と唯が笑ってたなあ。

 舞は今カノの特権で毎朝俺を起こす為に早朝から押しかけるようになった。それも、始発に乗って俺を起こしに来た舞を母さんが家の中へ招き入れるのだから完全に親公認の彼女になった。ある意味ラブコメの主人公になった気分だが、そのせいで再び目覚まし時計で起きなくなってしまった。

 唯は校内でも俺のことを「お兄ちゃん」、藍の事を「お姉さん」と呼ぶようになった。藍も唯も校内では舞がいるから俺に対して大人しいけど、外では舞がいなければ俺の両側に立って歩く事は珍しくない。でも決して俺を巡って罵り合うとか火花を散らす事はしていない。唯は俺の事を「お兄ちゃん」と言ってるから、知らない人から見たら「『彼女』VS『ブラコン妹』のバトル中」そのものらしい。かなり後の事になるがその話は長田の彼女である黒沢さんが「お父さんとお母さんが呆れてたけど、拓真君だって教えたら逆に羨ましがってたわよ」と笑いながら教えてくれた。


 お昼ご飯は『仲良し五人組』プラス舞の六人が同じテーブルを囲む事になった。泰介と歩美ちゃんが向い合せの席に座って、舞は俺の隣に座って毎日手作り弁当を・・・ではなく、ここは舞が藍と唯に譲歩した形で「月曜日は藍。祝日だったら火曜日」「金曜日は唯。祝日だったら木曜日」が俺のお弁当を作って、それ以外の日は舞が俺の弁当を作る事になった。当然だがお弁当を作った人が俺の隣に座ってそれ以外の二人は俺の向い側に座る。周囲は「羨ましい」という意見と「アホじゃあないか」という意見に真っ二つに分かれたけど、隣のテーブルに座る藤本先輩は「あのさあ、お前ら三人は拓真の日替わり彼女かあ?」とか言って毎日のように半ば呆れながらA定食を食べていた。篠原がコッソリ教えてくれたが「弁当を作ってやるなど、とてもではないが恥ずかしくて無理」と言ってるくらいだから、藤本先輩から見れば俺はハーレム状態なのかもしれない。


 修学旅行は例年通り2学期の中間テスト明けに台湾へ行った。当たり前だが舞はいなくて俺は気楽な立場でいた・・・のだが、藍と唯が四六時中俺に纏わりついて、周囲は「舞ちゃんの目が届かないのを利用して再び兄貴を巡って修羅場再開かあ?」と逃げ腰になっていた。唯は「舞ちゃんが『拓真先輩がハメを外さないように見張っていて下さい』と言ってたから見張ってるだけだよ」、藍は「姉として弟と妹の面倒を見るように舞さんから頼まれただけ」と言って平然としてたから山口先生も呆れていた。実際、藍も唯も俺の取り合いをするような事もなく平穏な一週間で『両手に花』の修学旅行だったけど、周囲は最後までハラハラしていたみたいだ。特に山口先生は修学旅行から戻ってくるなり期間中の気苦労の反動で3日間寝込んだほどだ。

 唯は12月に行われた生徒会長選挙に立候補、いや、正しくは職員会議での推薦の形で立候補し、ほぼ100%の信任を得て西郷先輩から会長職を引き継いだ。前期の執行部はトキコー祭が最後に控えるから毎年人事で難儀するのだが、唯は副会長に舞を抜擢した。舞の調整能力や交渉能力を使ってトキコー祭の準備作業を滞りなく進めようとしたのだ。そのくらいに唯は舞を信頼している。


 新年早々、舞の両親は正式に離婚した。舞の親権は舞の予想通り母親が持った。

 その結果、佐藤三姉妹は消滅・・・ではなく、佐藤三姉妹のままだ。俺の両親が舞を引き取った・・・などというアホな事は有り得ない。舞の母親が離婚と同時に『婚氏続称届』を出して佐藤姓を選択したからだ。どうせ舞の母親は再婚する気だし、その再婚相手である部長さんの姓が『佐藤』だからだ。旧姓に戻した後に再び佐藤姓に戻すと色々な書類の手続きが無駄になるから、それなら『佐藤』のままでいた方が楽なのは俺にも分かる。それに、佐藤さん同士だから周囲に再婚したというのが分かりにくいという考えもあったようだ。

 母親側に非があるとはいえ慰謝料の事で揉めると離婚協議が長引くので「舞の教育費は母親側が持つ」という条件で双方が折り合い、舞が住んでいたマンションは財産分与の為に売りに出されたので、舞は母親と共に部長さんが住むマンションに引っ越すしかなくなった。

 でも、当然ながら舞は母親と部長さんに反発した。挙句の果てに母親と喧嘩して家出をして俺の家に逃げ込んできた。さすがに父さんと母さんが憂慮して舞を追い返すのだけはしなかったが、かといって俺の部屋に舞を寝かせる訳にもいかなかったので客間を貸し出し、その翌日に父さんと母さんが舞に同席する形で部長さんと話をしてきた。まあ、結論だけを言えば舞は学生向けのアパートを借りて一人住まいをする事になった。もちろん、それにかかる費用は全て部長さんの負担だ。部長さんも大口取引先の部長でもある父さんの説得を受け入れた形になったけど、本当は高校・大学の大先輩である父さんの貫禄勝ちだ。

 舞の部屋は北斗学園大学や付属高校の学生が多く住む賃貸アパートだ。俺の家からは歩いて10分ほどで部長さんのマンションからもあまり離れてない。形の上では部長さんが部屋を当てがったのだが、実際には舞が自分で選んだ部屋を部長さんが借り上げたに過ぎない。部長さんも舞の母親も舞を何度か説得しようと試みたが舞自身が二人と会うのを拒否するようになって、この頃から手紙やメールでしかやりとりしない関係になっていた。

 3学期も舞は相変わらず毎朝俺を起こしに来てくれていたのだが、殆ど朝食は俺の家で食べるのが当たり前のような生活を送るようになった。

 父さんが舞の境遇に同情して食べさせていると言った方が正しいかもしれない。母さんも特に反対してないから、舞は3学期からは本当に『佐藤三姉妹の末っ子』同然の扱いになった。大雪や吹雪で来れない時も当然あったけど、その時には藍と唯が面白半分に俺を起こしにくるから、結局は毎日三姉妹の誰かに起こされる日が続いた。


 4月になり俺と藍、唯は3年生、舞は2年生になったけど、1学期の登校初日、俺たち3年A組のクラスには37個の机があった。俺は『転入生が来たのか?』と思っていたが、転入生ではなく篠原がA組に編入してきたのだ。A組の誰にも知らされてなくて、まさに『寝耳に水』だった。本当は篠原はA組に編入したくなかったようだが「真姫の置き土産で仕方なく編入した」とボソッと言った。当たり前だが俺は「しのはらー、とうとう『真姫』って言うようになったのかあ」と揶揄ったけど篠原は「『真姫先輩』は校内にはいないからな」と、あくまでクールに言っていた。

 その3年A組の担任だが・・・まさか松岡先生になるとは夢にも思ってなかった。俺の本音は松岡先生と伊達先生が担任になるのだけは勘弁して欲しいと思っていたから、新学期早々ガッカリしたのは事実だけどボヤいていても仕方ない。因みに松岡先生は今年も名目上ではあるがクイズ同好会の顧問である。今年も俺たちクイズ同好会に入部した人はいなかったのだが、舞が存続を主張する意見書を理路整然とまとめ上げた事で今年も存続が決まったからだ。ある意味、俺も篠原も長田も舞に頭が上がらなくなった。

 3年生になって1週間で再び校内に激震が走った。舞のクラスである2年E組担任の山口先生が「年内に母になる」と公表した事で大騒ぎになったからだ。当然だが特に女子からは祝福の嵐だったが、本人は「こんな高齢出産を祝福されてもなあ」と苦笑いしていた。


 舞は唯や周囲の期待に応えて見事にトキコー祭の準備作業を仕切って称賛されたが、本人は至って控えめに「唯先輩のお力添えがあったから上手くやれたような物です」と言っていた。でも、山のように実行委員会に持ち込まれる無理難題を時には自分が出向いて説得し、時には周囲を動かしてまとめ上げ、時には神業の如き采配で片づける舞に誰もが脱帽していたのも事実だ。

 今年も早くから『ミス・トキコー』には誰がエントリーするかが話題になった。候補の一人として舞の名は上がったが「わたしはミスコンに出るような器ではないですし、だいたい拓真先輩に失礼です」とか言って出場せず、実行委員長として司会役で参加した。唯は早々に『ミス・トキコー』に出ない事を宣言して藍の推薦人として名を連ねたけど、応援演説は藍派会長の内山が三年越しの念願が叶って行った。唯が応援演説しなかったのは去年のように「佐藤唯」と書く連中が出てくるのを唯自身が懸念したからだ。ただ・・・やっぱり今年も無効票が続出した。今年は4分の1弱が「佐藤唯」「佐藤舞」と書かれた無効票だったが、全投票数の約3分の2、つまり有効投票数の9割近い得票率という歴代最高得票率で藍が圧勝して第21代目の『ミス・トキコー』になり、姉貴の『3年連続準ミス・トキコー』の珍記録の二の舞にはならなかった。


 山口先生はトキコー祭を最後に担任から外れ7月からは別の先生が2年E組を担当する事になった。山口先生は双子を身籠っていて、本来なら安定期に入る筈なのに逆に流産の危険性が出て母子共に危うい状態になって早々に入院したからだ。しかも場合よっては超未熟児のまま双子を帝王切開で出産するかもしれない事態になっていた。

 その山口先生の代理として急遽2年E組の担任としてトキコーに来たのが・・・あの高崎みなみ先生だったから、2年生と3年生が熱狂して再びトキコー中が大騒ぎになった。残念ながら高崎先生の授業があるのは2年生だけなので俺たちが高崎先生の授業を受ける事はなかったが、それでも最初のうちは去年に匹敵、いや、去年を上回ってまさにトキコー中がフィーバーしていた。

 後日、高崎先生が俺に直接教えてくれたが、本当はトキコーを運営する学校法人『時計台』には採用されず、公立校や他の私立校でも採用されなかったので大学の臨時事務職員をしていたが、山口先生が教頭先生と校長先生に推薦する形で高崎先生を非常勤の教員として3月まで採用する事になったのだ。今年の授業の様子や他の先生方や生徒たちの評判如何では来年から正式に教員として採用されるオプション付き、いわゆる仮免許状態らしい。

 ただ、山口先生は今年は軽音楽同好会の顧問ではなく、歩美ちゃんが部長をする放送芸能同好会の顧問になっていたので、高崎先生はそのまま引き継ぐ形で放送芸能同好会の顧問に就任した。因みに軽音楽同好会の顧問だが・・・男子テニス部も女子テニス部も部員減少で、どちらも同好会落ちが避けられなくなったので4月に「テニス部」として松岡先生が顧問になったから、伊達先生は軽音楽同好会の顧問になった。でも、伊達先生も就任早々第2子を妊娠した事で同好会の事は部長にお任せ状態になり、産休~育休後は伊達先生の代わりに1年C組担任となった山下沢子先生がそのまま引き継いだけど、ほとんど爆笑英会話教室と化して「去年以上の『お喋り隊』になったけどホントにこれでいいの?」と部長の中野さんが、同じ3年D組のクラスメイトである長田に愚痴っていた。


 前期では蚊帳の外に置かれた形の藍だったが、かなり早い段階で「後期の生徒会長をやって欲しい」との打診が来ていたらしい。ところが長田が超がつく程の乗り気で担任である清水先生のところへ立候補の意思を伝え、しかもその事を俺に言ってきたから藍の耳にも入って「長田君が自分から立候補するなら私は会長選には出ません」と松岡先生に伝え、最終的に職員会議でも「今回の会長選には対抗馬を立てない」と決まり、3年ぶりにA組以外の生徒会長が誕生した。唯と舞は執行部に入らなかったが長田の指名で副会長兼風紀委員長には藍が就任した事で、藍はめでたく(?)『2代目トキコーの女王様』と呼ばれるようになった。

 その藍の風紀委員長としての一番最初の仕事は・・・何と長田の説教だ。正しくは長田と黒沢さんの説教だ。長田が「今年こそ全国制覇だ」と意気込んでクイズに熱中していたから黒沢さんが「わたしとクイズのどっちが大切なのよ!」とブチ切れて会長就任前に喧嘩別れしたからだ。でも、長田は昼休みには篠原と黒沢さんの三人で同じテーブルで食事をしていたのだから藍に簡単にバレてしまい、就任初日の放課後、藍は風紀委員室に長田と黒沢さんを呼びだした挙句「私の御指名にも関わらず喧嘩別れしたとは二人ともいい度胸してるわね」などと女王様ぶりを発揮した事で二人が震え上がって、お互い、ひれ伏さんばかりに謝って再び付き合う事になった。簡単に言えば一度別れたカップルが寄りを戻した格好になり、この噂はたちまち校内を駆け巡り、藍の所には『元カノ』や『元カレ』と寄りを戻したい連中が学年を問わず訪ねてきて、ほぼ毎日のように藍が『元カノ』『元カレ』の仲を取り持ってやった。

 当たり前だが藍の前で二人が別れた理由を言い合うのだが、ほぼ毎回のように藍が「そんなアホな理由で別れておきながら寄りを戻したいなんて私なら恥ずかしくて言えないわよ!」とか「自分から別れ話を切り出しておきながら撤回したいだなんて言い出すくらいなら最初から言うなー!」などとブチ切れて女王様全開で説教するから、放課後の風紀委員室は別名『懺悔ざんげ室』『説教部屋』とまで呼ばれるほどだった。

 もちろん『今カノ』『今カレ』が乗り込んできて寄りを戻せない時もあったが(当然だが『今カノ』『今カレ』にも「私の目の前で宣言した以上、別れたらどうなるか分かってるでしょうね!」と毎回釘を刺してる)、風紀委員長の任期中に半数以上が寄りを戻せた事で藍は『縁結びの女神様』ならぬ『縁戻しの女神様』とまで一部では呼ばれた程だった。藍としては不本意だったようで、ため息交じりに「もし私が拓真君と寄りを戻したいと言ったら誰がやってくれるのかしら。舞さんが親身になってやってくれたら嬉しいけど無理よねえ・・・」と俺と舞の前でボヤくことボヤくこと、それこそ耳にタコが出来るかと思ったくらいだ。

 これとほぼ同時期に舞の母親は再婚し、形の上では舞は母親の連れ子として部長さんの養女になったのだが、実際には養父だけでなく実の母親との間でも完全に不仲になって、舞は俺の家に入り浸り状態になっていた。一応、部長さんが毎月の生活費を毎月欠かさず支給しているが舞もこの前後からバイトをするようになった。舞の実父も毎月生活費を欠かさず送り続けているが、どちらの金にも殆ど手を付けず貯金を続けている。舞自身が将来の道を決め、それの為にお金を貯め込んでいるというのが正しいかもしれない。父さんも部長さん夫婦と舞の間に立って何度か親子間の仲を取り持とうとしたのだが舞の方が頑なに拒否して、この頃には父さんも説得を諦めていた。


 俺たちクイズ同好会は『三度目の正直』を目指して高校生クイズキング選手権北海道予選に挑み、藍と唯、舞の佐藤三姉妹も参加した。予選の決勝は俺たちクイズ同好会と佐藤三姉妹の同校対決、つまり昨年の予選準決勝の再戦となったが、今年も俺たちが圧倒して三年連続北海道代表になって東京の本選に進んだ。因みにこの予選決勝の模様は全国放送の時のダイジェストでも取り上げられ「2年連続で同じ学校の同じ男子チームに負けてしまった可哀想な女の子三人組」として紹介された事で、これが後に藍の運命を変える出来事になる。

 だが、今年も俺たちは全国大会の準決勝を勝ち抜けなかった。

 準決勝は『すごろくクイズ』だった。出題されたクイズの答えをパネルに書き込み、正解すると大きなサイコロを振って自分たちの駒をゴールに向かって進ませるのだが、俺も篠原も長田も、何故か『1』『2』『3』しか出せないから、いくらクイズを正解しても駒がなかなか進まなかった。

 決勝に進めるのは6校中3校のみ。13問目が経過した時点で俺たちは残り2マス。既に2校は決まり、残る1枠を4校が争う形になった。14問目を正解したのは残り2マスの俺たちと残り6マスの2校の3校。最初にサイコロを転がした学校は『3』だったけど次にサイコロを転がした学校が『6』を出して一気にゴールした。ルールにより同時ゴールの場合は両校共に決勝進出できるから俺たちは『2』以上で決勝進出が決まる。だが、俺たち三人が揃って投げたサイコロは無情にも『1』。ゴール直前で逆転負けを喫した。準決勝6校で唯一全問正解したにも関わらず決勝に進出できなかった訳だ。

 俺も篠原も長田もその瞬間、茫然と立ち尽くす事しか出来ず、周りにいた司会者やゲスト、スタッフ、他の5校も何も言い出す事が出来ず、スタジオは沈黙が支配した。でも俺が篠原と長田の脇腹を小突いて司会者に頭を下げてスタジオから静かに立ち去ったので退室する時に全員から割れんばかりの拍手が起こった。

 俺たちは最後まで正々堂々と勝負した。最後まで潔く有りたかった。ただそれだけだ。

 つまり、今年は『運』をクイズに取り入れた形になって、結果的に俺たちは『幸運の女神』に見放された形で決勝に進めなかった。テレビの全国放送では「今年も決勝に進めなかった悲運の三人組」として取り上げられたけど、唯からはテレビ放送が終わった直後に「三人ともリアルで女神様と付き合ってるから幸運の女神様が拗ねたんじゃあないの?」と皮肉たっぷりに揶揄われた。

 ただ、さすがに放送直後からトキコーのHPへ俺たち3人への同情メールや番組に対する意見が続々と寄せられ、テレビ局側にも「『知の甲子園』などと言っておきながら一番正解数の多い学校が敗れるのはおかしい」などと番組に対する意見が殺到した事で、後に俺たち3人に対し、学校経由で番組から『特別賞』として優勝メダルのレプリカが贈られてきた。これが俺たち『クイズ同好会』が3年間で得た最初にして最後の、そして最大の勲章だ。


 俺たちクイズ同好会は2学期以降は活動を停止した。それぞれ別の道に進む事が分かっていたから、その道に進む為の準備が始まった。

 もちろん、俺と藍、唯の進む道も別になるのが分かっていた。


 そして3月。俺たちは卒業式を迎えた。

 結果的に唯は1年生の時に『ミス・トキコー』になった後はコンテストそのものに参加しなかったから形の上では『ミス・トキコー』の肩書を持ったまま卒業式を迎えた。藍は三年生の時に『ミス・トキコー』に選ばれたのだから、義理とはいえ姉妹で『ミス・トキコー』として卒業した事になった。

 篠原は三年間主席を守り通し卒業生代表として答辞をした(本人曰く「本当は藍さんか唯さんにやって欲しかったけど、真姫が『わたしはみさきちに譲ったけど一樹は譲るなどと言い出したら説教するからな』って言ってたから仕方なく引き受けた」とボヤいてた)けど、在校生代表として送辞を行ったのは前期生徒会長の舞だった。ボソボソッとした答辞の篠原、聞く者を魅了する送辞をした舞、各々の特徴が顕著に出た挨拶だった。

 この卒業式を最後にクイズ同好会だけでなく、佐藤三姉妹もバラバラになった。

 舞はもう1年間の高校生活がある。藍と唯は別々の大学へ進学が決まった。俺も藍と唯とは別の大学への進学が決まった。


 そして、5年の歳月が流れた・・・。

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