第268話 聞き間違いじゃあないですよね。冗談で言ってないですよね

 舞はシフォンケーキを食べようとしていたが、俺の言葉に持っていたフォークを落とした。

 明らかに舞の手はブルブル震えている。顔が真っ赤になっていることからも俺が言った言葉の意味を理解している筈だ。

「あ、あのー・・・聞き間違いじゃあないですよね。冗談で言ってないですよね」

「ここで嘘を言ってどうするんだ?」

 舞はますます頬が紅潮してきた。でも、それはからではでない。から真っ赤になっているのは俺にも分かる。

「・・・先輩はわたしが断れない事を知っていて、それでいてわたしに苦痛を与えるのも分かっていて言ったんですか?」

「それも理解している。だが、お前しかいないんだ」

「それは藍先輩と唯先輩の為ですよね。わたしの考えは無視ですよね」

「それも分かっている。山口先生でも藤本先輩でもなく、お前しか藍と唯を止めることができないんだ」

「・・・拓真先輩、藤本先輩が言ってましたよ」

「藤本先輩が?何を言ってたんだ?」

「藤本先輩からは口止めされてましたけど、あえて先輩には言っておきます。藤本先輩はこう言ってました。『恐らく、藍と唯が「拓真がこの人を選んだのなら仕方ないね」と認める子を拓真が選んで藍と唯を納得させないとこの争いは終わらない』ってね。だから藤本先輩が普通に誰かを紹介してやっても逆にその子が不幸になるだけだし、返って火に油を注ぐだけだとも言ってました」

「そうだったのか・・・」

「でも、藤本先輩がその直後に『もしかしたら・・・いや、何でもない』と口を滑らせてしまいました。わたしはその瞬間に藤本先輩が言いたかった事が何なのか気付きました。だから失礼なのを承知で藤本先輩が言いたかった事と、その理由まで言い当てて藤本先輩に迫りました。だから藤本先輩も渋々だけどわたしの考えが正しいのを認めました。拓真先輩は分かりますか?なぜ藤本先輩が躊躇したのか、その理由も分かりますか?」

「・・・・・!!!!!まさか、相沢先輩!?」

「そうです。唯一、藍先輩と唯先輩が納得する相手として相応しいのは相沢先輩だけだ。けど、相沢先輩の気持ちを考えたら口が裂けても言えないと認めましたよ」

「・・・・・」

「当たり前ですよね。相沢先輩が求めていた人は自分の彼氏さんですからね。藤本先輩が相沢先輩に対して『拓真先輩と付き合え』などという傷口に塩を塗るような事を言ったら、本当に相沢先輩と藤本先輩の間に亀裂が入ります。藤本先輩は相沢先輩が自分から身を引いたというのが分かっているから、余計に言い出せないんです」

「・・・・・」

「でも、わたしもその時に気付きました。もし拓真先輩自身が藍先輩と唯先輩を納得させる相手として言い出す可能性があるのは、このわたしだという事に」

「・・・・・」

「たしかに藍先輩も唯先輩もわたしの事を妹のように可愛がってくれています。わたしの事も認めてくれています。だから藍先輩と唯先輩が納得する相手として拓真先輩が言い出すとしたら間違いなくわたしだというのは容易に想像できました。だから今日の拓真先輩は9割方は解決案を教えて欲しいと言い出すだろう、でも、1割くらいは藍先輩と唯先輩の修羅場を終わらせる方法として『俺と付き合ってくれ』と言いだすだろうと思ってました」

「そうか・・・その1割を俺は引き当てたという事か」

「藍先輩も唯先輩も今は拓真先輩に執着していますが、これが10年、20年続くかどうかは分かりません。いずれ拓真先輩以上に藍先輩や唯先輩に相応しい男性があらわれるかもしれません。ですが、その男性が現れるまでは拓真先輩の横には藍先輩と唯先輩が納得するような女性が立ってないと駄目なんですよね」

「・・・・・」

「でも、拓真先輩はわたしに『唯先輩を選ぶ』と認めましたよね。つまり、わたしはいつ終わるか見通せない藍先輩と唯先輩の争いに終止符が打たれるまでの間の代用品ですよね、拓真先輩は唯先輩の代用品としてわたしを求めるんですよね。藍先輩に素敵な男性が現れるまでの代用品ですよね。わたしが「はい、喜んで」と言えない理由はそこにあります。恐らくあの日、藤本先輩が言い出さなかったらスンナリ終わったでしょうけど、今となっては地獄からの誘いにしか聞こえません。正直に言いますけど、あの日、藤本先輩に会わなければ良かった、あの時に藤本先輩を問い詰めなければ良かったと本気で後悔してますよ」

「舞、それは・・・」

「・・・ですが、そうも言ってられない事情もあります」

「そうも言ってられない事情?どういう事だ?」

「母の不倫相手である部長さんが先月の終わりに正式に離婚しました。部長さんの元奥さんというのは元院長、まあ、今の筆頭理事の末の娘さんですが、実際には後妻の子でプライドだけは異様なほど高くて、しかも結婚して間もなく自分から男を作って出て行ったにも関わらず離婚に応じなかったような人ですから、ある意味そんな人を押し付けられた部長さんには同情すらしますよ。実際、元院長も最後には部長の肩を持って元奥さんを母の病棟の主任さんや副院長などの前で本気で殴り倒したくらいです。それに『娘が迷惑を掛けた。本当に済まなかった』と深々と頭を下げたくらいで、その時に元院長も今後は部長さんの行動を縛る考えは一切ないと明言していますし部長さんをその事で左遷する気もないとも言って、もう1回深々と頭を下げたくらいです。この話は私がよーく知っている人、まあ母がいる病棟のヘルパーさんですけど、その人が言ってました。この人は口止めされてもついつい喋りたくなる人だから情報源としては信用できます」

「・・・・・」

「母は部長さんとの再婚を本気で考えていて部長さんも本気で考えています。父の方はいつでも離婚協議に応じる姿勢を見せていますからスンナリ決まりそうです。わたし個人としては父の方についていきたいのですが母が納得しないでしょうし、ここがネックになってしまうと離婚協議そのものが長引くから父が母に譲歩して親権は母が持つでしょうね。でも、わたしは部長さんを好きになれません。部長さんそのものは凄腕で評判のいい人で誠実な方ですが、わたしから言わせれば母を誤らせ、家族を崩壊に導いた元凶です。正直に言いますけど、わたしは母の再婚には反対の立場です。母の連れ子として部長さんの娘になるくらいなら拓真先輩のセフレか愛人になった方がマシです。ですからその話、引き受けます」


”バチーン!”

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