第231話 お願いがあります

 俺はもうちょっと湯舟に浸かっていようかと思ったけど、舞が強がっているだけなのは明白だからある程度のところで切り上げて湯舟から出た。そのまま脱衣所へ行って舞が用意してくれた服に着替えて廊下へ出た。その時に気付いたが、俺の靴は舞がタオルで水気を拭きとった後に布団乾燥機のノズルを使って乾かしている最中であった。

 そのまま俺は灯りがついている部屋・・・多分キッチンかリビングだと目星をつけて行ったら、そこはリビング兼キッチンになっていて舞はココアを飲んでいる最中だった。髪はドライヤーで乾かしてあったが、服は全部着替えていてさっきとは別の物を着ていた。でも、舞が寒がっているのは明白だ。その証拠に舞は冬のトレーナーに厚手のセーターまで着こんでいる。

「え?拓真先輩、早過ぎませんか?」

「いや、大丈夫だ。それより舞の方こそ大丈夫か?真冬の服なんか着ているし」

「・・・大丈夫です」

「そんな事はないだろ?さっき舞が俺に言った通りの言葉をお前に返すぞ」

「・・・分かりました。じゃあ、ちょっとだけ。でも、ぜーったいに脱衣所に入らないでください。入ったら殺します!」

「うわっ、結構怖いセリフだな」

「当たり前です。ここにはわたしと先輩しかいませんから、先輩の倫理観だけが頼りです」

「分かった、絶対に入らないよ」

「じゃあ、先輩を信用して少しだけ入ってきます。コーヒーでも紅茶でも、好きな物を飲んで結構です。ポットにお湯が入ってますし、冷蔵庫から適当な物を出して摘まんでもいいですよ」

「分かった」

 舞は飲みかけのココアを一気に飲み干すと廊下へ出て脱衣所へ向かった。俺は舞が脱衣所に向かった後にかなり濃い目のコーヒーを作って、そのままブラックで飲んだ。2杯目は薄目に作り、そこに冷蔵庫から取り出した牛乳を入れ、テーブルの上に置いてあった歌舞伎揚げをつまんだ。

 どのくらいの時間が経ったのだろうか、時計を見てなかったから分からないが舞が戻ってきた。髪を洗ったようで辺りにシャンプーのいい匂いがしてきた。髪は半乾きのようで頭にはバスタオルを巻いたままだが、さすがにさっきまでの真冬を思わせるような厚手のセーターは着てないけど、それでも冬のトレーナーは着ていた。

「お待たせしましたー」

 それだけ言うと舞は俺の向かいの席に座り、さっきと同じくココアを飲み始めた。そのまま暫く俺たちは無言でお互いの飲み物を飲んでいた。

 正直、舞とこんな場所で、こんなシチュエーションで向い合せに座る事になるとは夢にも思ってなかったから、どういう言葉を言えばいいのか全然思いつかなかった。舞の方はどちらかと言えば緊張したような顔でずっとカップを見ていて、決して俺を見ようとしない。

 やがて舞が顔を上げたかと思うと

「・・・拓真先輩、素朴な疑問ですが、どうしてずぶ濡れでGAOの前にいたんですか?」

「・・・大谷ふるさと祭りに行ってたら夕立が来たから、うちに帰るつもりであそこまで走っていった」

「・・・拓真先輩、それは嘘ですね」

「はあ?」

「本当は何かカッとなる事があって無我夢中で走っていて、たまたまGAOの前にいたんじゃあないですか?逆に質問しますが仮に大谷ふるさと祭りに行ってたとして何故南郷なんごうどおりを渡ったんですか?北斗学園大学は道路のあっち側ですから合理性がありません。南郷通を渡る手前にある地下鉄乗り場から地下に入ればいいのですから説明に無理があります」

「・・・・・」

「沈黙しているという事は、拓真先輩は嘘を言った事を認めていると解釈していいですね」

「・・・分かった。正直に言う」

「・・・言ってみて下さい」

「大谷ふるさと祭りに藍と唯の三人で行って、唯と二人で櫓の脇のベンチで話している時に夕立がきて、俺が持っていた1つしかない傘の取り合いで唯と喧嘩になって、カッとなって飛び出してきて気付いたらGAOの前にいた」

「そういう事だったんですか・・・」

「藍はどうなったかは知らない。唯は俺が走って出ていく際に何か大声で叫んでいたけど、多分、俺を引き留めようとして何かを言ったと思うけど雨音が大きくて聞き取れなかったから、その後は二人ともどうなったか分からない。スマホを見たけど藍と唯からのメールや着信履歴はないけど、何か俺から連絡するのもシャクだから何もしてない」

「そうですか・・・」

「そういう舞こそ、どうしてあの雨の中、レンタルビデオショップなんかに行ってたんだ?」

「わたしの場合、あのGAOに行ったのは雨が降るかなり前ですよ。無料クーポンを持っていた事と暇潰しの意味もあって、レンタルする作品を決めるのに2時間近く店の中で色んな作品を物色していて、さあ帰ろうかと思って自動ドアの前に行ったら土砂降りになっている事に気付いたんです。傘を用心して持ってきて正解だったと思って外へ出たら、ずぶ濡れの拓真先輩がいる事に気付いて声を掛けただけです」

「じゃあ、本当に偶然か・・・」

「そうです。わたしが持っていた傘が全然濡れてなかった事に気付きませんでしたか?」

「いや、さすがにそこまで見てなかった」

「まあ、その辺りは別に推理大会をやっている訳ではないからいいです。それより、唯先輩に謝らなくていいんですか?」

「・・・正直、何と言えばいいのか分からない。それに、1つ問題がある」

「問題?」

「ずぶ濡れで走っていった俺の服が乾いていたら誰でも疑問に思うだろ?」

「それもそうですね」

「顔を合わせたくないなあ」

「・・・・・」

 俺はそう言うとため息をついた。たしかにずぶ濡れの服を着るのは体に良くない事はすぐに分かる。でも、まさか「舞の家に行って、風呂も借りて洗濯もしてもらった」などとは唯には、ましてや藍にも言えない。口が裂けても言えない。ある意味、俺は藍と唯に会う訳にはいかなくなった・・・。

「・・・拓真先輩、お願いがあります」

「・・・お願いって何だ?」

「・・・わたしを・・・わたしを・・・抱いて下さい」

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