第100話 マジで勘弁して欲しいぞ その3

 唯が階段から落ちて右手の指を骨折したのは昨日の朝だ。右足も捻挫、正確には足首の捻挫だが幸いにして骨や靭帯を痛めた訳でなかったので手の指よりは早く治る見込みだが、それでもガッチリ固定されているから1週間くらいは松葉杖がないと動けない。

 昨日の唯は母さんが運転するワゴン車で帰宅したが、車に乗り込む作業を藍が手伝った関係でそのまま二人共に母さんの車で帰っている。だから俺は一人だけ地下鉄を使って帰宅しているが逆に藍にちょっかいを出されずに済んでホッとしているくらいだ。

 それに、昨夜の唯は大人しかった。それは母さんが唯を結構気遣ってほぼ一緒にいたからだ。ついでに言えば夕食の時には俺と藍に「指の骨を折っても泣かなかった唯は立派だ」と揶揄われて苦笑いしていたし、母さんも「見栄っ張りは駄目よ」と窘めていた。

 唯は終始笑顔を振りまいていたが、内心はどう思っていたのだろうか・・・さすがに松葉杖で2階に上がる事は危険極まりないので客間に布団を敷いて寝る事になったが、藍が唯を気遣って一緒に寝たので、かなり遅くまで賑やかだった。

 だが、今日の唯は朝からわがままモード全開だ。

 朝は母さんが忙しいし、それに今日は唯を送り届けたその足で出勤する事になる。時間的に厳しいのでかなり早く学校へ送り届ける事になるから、せわしなく動き回っている。

 藍も唯の代わりに制服や着替えを用意したり布団を片付けるなどしているから、誰も唯の相手をしていない。結局は俺がいつもより早い時間に起きて、いや、正確には母さんが目覚まし時計が鳴る30分以上も前に無理矢理俺を起こした挙句、唯の下僕状態になっていた。

「たっくん、テレビのリモコン持ってきて」から始まり、「たっくん、クロワッサンを焼いて」「たっくん、ウィンナー頂戴」「たっくん、牛乳もってきて」「あのねえ、どうせなら牛乳をコップに入れてよー」「たっくん、もう1個クロワッサンを焼いてね」「たっくん、唯のマグボトルに『おーい、お茶だ』を入れておいてね」「たっくん、お皿片づけてね」「あ、そうそう、新しい『おーい、お茶だ』を冷蔵庫で冷やしておいてね」「たっくん、お弁当とマグボトルを鞄に入れてくれたの?忘れてないよね」「たっくん、鞄を車に入れておいてね」とまあ、殆どお嬢様が執事に命令するかの如き、いや、失礼、唯は『A組の姫様』だから姫様が臣下の者へわがまま放題言ってるのと同じだ。朝から俺もヘトヘトにされ、まさに地獄の朝だ。

 だが、藍に対しては腰が低かった。さすがのヘアピンコレクター唯も「ヘアピンは適当に選んでくれればいいよ」としか言えなかったくらいだ。

 唯が最後に俺に言ったわがままが「たっくん、着替えるから自分の部屋に戻って」だったから俺も唖然とした。俺は唯が色々と言ってくるから自分の朝飯をまだ食べ終えてない。だから「おーい、勘弁してくれえ」と文句を言ったが「だってえ、客間にはテレビが無いからこの襖を開けて着替えるしかないけど、そうなったらたっくんに丸見えだよ。さすがにそれは勘弁してよー」と言われてしまったから、俺は仕方なく食べかけのまま自分の部屋へ戻るしかなかった。いつもの事だが藍はニコニコしているだけで、俺の手伝いを何もしてくれないから少々腹が立つけど、藍に「手伝ってくれ」と言えない俺もある意味情けない・・・。

 しかし、いつまでたっても「いいよ」という返事がないし、いくら何でもおかしいと思って階段の上から声を掛けたら、藍が下から「お義母さんと唯さんならもう出掛けたわよ」と言ってきた。

 俺は開いた口が塞がらなかった・・・。

 おいおい、マジで勘弁して欲しいぞ!

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