第99話 泣かなかったよ

 授業はかなり重苦しい雰囲気の中で行われ、俺も正直辛かった。唯がいない事でここまでクラスの雰囲気が暗くなるとは想像すらしてなかった。逆に言えばそれだけ唯の存在が大きいという事だ。

 だが、唯は2時間目の授業終了のチャイムが鳴った直後に登校してきた。

 2時間目は物理の授業で平川先生の担当だ。丁度山口先生は受け持つ授業が無く、また当然ながら高崎先生も授業が無く、しかも3時間目が国語なので山口先生が唯を乗せた車椅子を押し、高崎先生が松葉杖と授業で使うプリント、それと唯の鞄を持って教室へ入ってきたのだ。ステップは1時間目の休み時間にB組の日直が持ってきて教室の隅に置いてある。

 教室へ入るなり唯は

「すみません。皆さんにはご心配をかけて申し訳ありませんでした」

と言って謝り、山口先生が車椅子を押す形で自分の席へ行った。だが椅子に座れないので、椅子は窓際の後ろに片づける形で車椅子のまま席についた。

 唯の右手はギブスで固定しそれを首から吊っていた。右の足首は固く包帯が巻かれていて、当然だが左足だけハイソックスと靴を履いてる状態だ。

 物理の授業は既に終わっていたが、平川先生が大声を出して全員そのまま席に座っているよう指示を出しクラスのみんなを黙らせた。その平川先生が怪我の具合を簡単に教えてくれと言ったので、唯に変わって山口先生が怪我の具合を説明した。

「あー、みんな聞いてくれ。佐藤唯だが、右手は薬指と小指の骨折で全治3週間程度、右足は幸いにして骨には異常が無かったが階段から落ちた時に足首を捻挫して一週間程度は足首を固定するから歩くのは無理だ。ただ、左足や背中も打撲してるから今日は車椅子で授業を受けてもらう事にしたので移動の際は介助が必要だが既に佐藤藍に頼んである。そういう訳なので暫くは佐藤唯をみんなで支えてやってくれ、以上だ」

 こう山口先生が発言したところで平川先生が「もう立ってもいいぞ」と言ったので、そのまま休み時間となった。当然ながら唯の周りにはクラスのみんなが集まってきたが、唯は

「いやー、ちょっとドジっちゃいましたー」

とか言って自分のキャラを前面に出して追及をかわしていた。


 今日の唯は3時間目以降の授業をすべて受ける事になったが、4時間目の体育だけは見学となり体育館の片隅でポツンとバスケの授業を見ていた。が、それでも元気に声を出して「伊藤さーん、ナイスシュート!」「歩美ちゃん、ふぁいとー」とか言って女子には声援を送っていたが、「おらー、篠原、ちゃんと走れー」「ながたー、手を抜くなー」とか言って男子には盛んにヤジを飛ばして周囲の笑いを誘っていた。

 えっ?B組の篠原とC組の長田がなぜA組の俺と一緒に体育をやってるのか分からない?おかしいじゃあないか!という疑問がある!?・・・えーと、それはですねえ、体育は男女別に行うのだが各クラス単独では人数が少なすぎるのでA・B・C組の3クラスが一緒に行うのだ。因みにD・E組とF・G組も2クラス一緒にやる。だから篠原や長田が俺たちと一緒の時間に体育をやっているのだ。

 因みに『A組の姫様』たる唯に名前で呼ばれるのは男子にとっては栄誉ある事なので、ヤジでもいいから名前を呼ばれると周囲から羨ましがられたのは事実だ。でも俺は一度も声を掛けられなかった。おい、何か意味があるのか!?

 昼休みは俺たち『仲良し五人組』でいつも通りのお弁当・・・と行きたかったが残念ながら唯は病院から直行したのでお弁当を持っておらず、仕方ないので俺が購買へ『おーい、お茶だ』のペットボトルとミックスサンド、それと今日だけは特別に牛乳を買いに行った。お金は表向きは俺が立て替えたという事になったが実際には俺が負担したというのが正しいだろう。

 俺が購買から戻ってきた所で全員でお昼ご飯を食べ始めたが、やはり唯は泰介や歩美ちゃんから今朝の事を色々と追及された。唯は階段から落ちたところまでは事実を述べたが、患部を保冷剤で冷やしてくれた事は母さんが、車に乗り込む時は母さんの肩を借りて乗り込んだと説明した。

「いやー、正直に言うけど、骨が折れた時に少しずれてしまったから結構痛かったんだよねー。麻酔を注射してから骨を元の位置に戻してもらってからギブスで固定したんだけど、自分で曲がった指を見るのは耐えられなかったから、ずーっと右手を見ないようにしてたんだよー。でも、さすがに高校2年生だから怪我をした時も麻酔をして骨を元の位置に戻す時も泣くのだけは耐えたわよ」

 おーい、唯、お前、嘘をついてるぞー。俺の前で涙をポロポロ流してたのを忘れたのかあ?それとも俺は夢を見ていたとでも言いたいのか?でも、それを言ったら俺は唯が怪我をした時に現場にいたと言う事がバレてしまうから黙って唯の嘘を聞き流す事にしたけど、帰ったらビシッと言ってやるぞ。それに藍もこめかみがピクピクしてるぞ。多分、帰ったら唯にガツンと言ってやる気満々だな。

 泰介はその嘘を信じて目を丸くしてたけど、歩美ちゃんは感心したような顔をしていた。

「えー!その時に泣かなかったの?わたしも小学2年生の時に鉄棒から落ちて右手首を骨折した事があるけどその時は大泣きしたわよ。中学3年生の時は左手を骨折したから、その時も結構泣いたわよ」

「へえ、A組随一の体育会系女の歩美が大泣きねえ。俺にはピンとこないなあ。何かの間違いじゃあないのか?」

「失礼ね!これでもか弱い女の子よ。泰介には乙女の純情が分からないの?」

「そのか弱い乙女が『あー、パフェ食べたーい、当然泰介のおごりでね』とか言うかあ?」

「ちょ、ちょっとー、そういう事はこの場では言わないでよー」

「あー、スマンスマン」

 とか言ったからみんなで爆笑となった。泰介と歩美ちゃんのアツアツなところを見せられると、さっきまでの暗い雰囲気が嘘みたいに明るくなるから逆に助かるよ。

 でも泰介が真面目な顔をして

「ところでさあ、オレは骨折した事がないから知らないけど、右手を骨折していて松葉杖が使えるのか?足を怪我した時に2本の松葉杖を使うのは何度も見た事があるけど、1本しか使えない時は、怪我をした足と同じ側に松葉杖を使うんじゃあないのか?これで本当に歩けるのか?」

と唯に聞いてきた。それは俺も疑問に思っていたところだ。これで本当に歩けるのか?それに、どうやら藍と歩美ちゃんも同じ疑問を持っているようで「大丈夫なの?」「歩けるの?」と唯に聞いてきた。

 これに対し唯は泰介にニコッと微笑んだ後に

「あー、それは大丈夫だよ。唯も最初は疑問に思ったけど、病院で看護師さんが実演してくれた事で納得したよ。怪我をした足と同じ方に松葉杖を持つと、どうしても怪我をした側に体重がかからないよう松葉杖に体重を預けちゃうから、健康な足の方が浮いちゃうのよ。そうすると逆に踏み出す事が難しくなっちゃうのね。下手をすると体の別の場所に負担を掛けてしまって逆に体によくないんだよ」

 と言いながら車椅子の上で歩く仕草をして説明してくれた。

 俺たち4人は唯の説明を聞いて「へえ、そうなんだあ」と初めて納得できた。

「怪我をした足と松葉杖を同時に前に出すようにして歩いて常に健康な足の側に体重がかかる状態にしておくのがポイントだよ。そうすることで松葉杖が滑ったり、ぶつかったりしても健康な足の側で体を支えることができる状態になってるから大丈夫なんだって」

「じゃあ、まさに不幸中の幸いね。私も毎日唯さんの介助をさせられるのかと思ってヒヤヒヤしてたけど、今日だけで済みそうだから助かるわ」

「だけど、さすがに足がこれだとシャワーも浴びる事ができないんだよねえ。髪だけを洗うのは別に風呂場でなくても出来るから問題ないけど、体の方は湿らせたタオルで拭く位しか出来ないよ。けど、どちらにせよ一人でやるのは無理だから誰かに手伝って貰うしかないよ」

「お、たくまー、出番だぞー」

「シー!泰介、声がデカいぞ」

「あー、スマンスマン。でも、お前しかいないぞ」

「えー、たっくんはパス。さすがに唯の部屋に来て貰ってたっくんにやってもらうと、家の人にたっくんと唯の関係がバレちゃうよ」

「それもそうだな。たくまー、折角ポイントを稼ぐチャンスだったのに残念だな」

「たいすけー、俺はそこまでして唯のポイントを稼ぐつもりはないぞー」

「そうそう、拓真君が唯さんの肌を見たら体を拭くだけで済まなくなるからやめておいた方が無難よ」

「あー、それは唯も思った」

「わたしもそう思うわよー。わたしだったら絶対に泰介にやってもらわないからね」

「あゆみー、オレは紳士の対応をするから大丈夫だぞ」

「どうかしらねえ、信用おけないなあ。それより泰介はもうちょっとデリカシーという物を学習しなさい!」

「はあい、すみませんでした」

「そうそう。泰介君は完全に歩美ちゃんの尻に敷かれているね」

「それは認めざるを得ないなあ・・・」

「「「「ハハハハ」」」」

「あ、そうそう、教頭先生が校内への車の乗り入れを許可してくれたから、当面は車で登下校する事になったよ」

「あら、そうなの?」

「さすがに朝夕の南北線を松葉杖を使って乗車するのは無理があるから、体育館裏の通用門から入ってお客様駐車場に車を止めていいって言ってくれたんだよ。まあ、さすがに昇降口まで車を乗り入れるのは勘弁してくれって言ってたけどね」

「それもそうだな。他の生徒の邪魔になるし、だいたい、方向転換に困るぞ」

「たくまー、唯ちゃんの乗り降りの手伝いをしてポイントを稼ぐチャンスだ」

「たいすけー、また歩美ちゃんに怒られるぞ」

「あー、そうだったなあ」

「「「「ハハハハ」」」」

 とまあこんな感じで和やかな時間を過ごした昼休みであった。本音では俺は唯の体を拭けないのが残念であったが、さすがに泰介たちの前でそれを言う訳にはいかなかった。だから泰介の言葉ではないが紳士の対応をしたのだが、もしかしたら藍や唯にはバレていたのかもしれない。

 ただなあ、唯が車で登下校するって話をした時、一瞬だけ藍の目が輝いたのを見たぞ。そうなると明日からは朝は藍が絶対に俺にちょっかいを出してくる。いや、下手をしたら帰る時も俺にちょっかいを出すつもりだ。唯は唯で歩けない事を良い事に家の中では「たっくん、アレをとってきて」とか「たっくん、アレをやって」とか言って俺を召使いのようにコキ使った挙句に今まで以上にベタベタするのが確実だ。しかも藍も当面は黙認する事になるし・・・このままだと間違いなく修羅場に突入するのも時間の問題だ・・・。

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