第98話 口が裂けても言えない

 俺と藍は結局その後は一言も喋らないまま東西線に乗り込んだ。

 藍は座席に座っているが目は虚ろだ。俺は藍の前に立っているが、正直、藍にどのような言葉をかけてやればいいのか分からない。

 だが、次の駅に到着し、ドアが開いた途端に舞が乗り込んできて

「おっはようございまーす!」

などと元気に挨拶をしてきたので、ここで俺も藍もハッとなった。

 そういえば・・・舞は俺と藍が唯と一緒に住んでいる事を知らない。それに、唯がここにいない事は不自然だし、3つ先の駅では唯派の会長を自認している中村も乗り込んでくるから、唯がいない事を当然俺に聞いてくるはずだ。まさか唯が家の階段から落ちて怪我をした所を『その場で見ていた』などとは口が裂けても言えない。

 俺はどう答えればいいのか分からず、舞を見たまま固まってしまった。

「あれ?拓真先輩、唯先輩はどうしたんですか?それに拓真先輩も藍先輩もどうしたんですか?全然元気が無いですよ」

 舞は不思議そうな顔をして俺と藍を交互に見ている。

 だが、このまま沈黙していても無駄だ。それに、どうせトキコーについたら山口先生に唯が怪我をした事を連絡しなければならない。このまま沈黙を続けていても無駄な事は分かり切っている。

 でも、どうやって舞に説明すればいいのか分からない。

「・・・舞さん、ちょっといいかしら?」

「あ、はーい、いいですよー」

 ここで藍が覚悟を決めたような顔をして舞に話しかけた。舞は無邪気な顔をして藍の顔を覗き込んでいる。

「実は・・・今朝、唯さんの家に迎えに行ったら丁度お母さんが運転する車で唯さんが病院へ行くところだったのよ」

「えっ?何かあったんですか?」

「・・・私も直接現場を見てないから詳しくは知らないけど、家の階段で足を踏み外して落ちた時にどうやら右の手と足を怪我したらしく、しかも右手は間違いなく骨折しているみたいなのね」

「えー!本当ですかあ!?」

「ええ、本当よ。私は唯さんのお母さんから山口先生への言伝を頼まれたから登校したらすぐに職員室へ行く事になるけど、拓真君も唯さんの怪我を私の口から聞いた事で相当落ち込んでるわ」

「・・・そうだったんですか・・・」

「そういう事よ」

「・・・藍先輩、2年A組のみんなにはどうやって説明するつもりですか?」

「・・・さっき舞さんに言った通りの話をするしかないと思うわ。詳しいの怪我の具合はさすがに病院で診察を受けてみないと分からないからね」

「それもそうですね。拓真先輩、あまり落ち込まないで下さいね。下手に落ち込んでると唯先輩との関係を周囲から、特に中村先輩から疑われますよ」

「そ、それもそうだな・・・出来るだけ普段通りに振舞うようにするよ」

 さすがは藍だ。要点をうまくまとめて舞に説明してくれた事で、あらぬ疑いを掛けれずに済んだ。それに舞の指摘も的確で、舞の指摘がなければ俺もボロを出す可能性があった。二人には感謝しなければならないな。

 だが、さすがに今日は空気が重い。誰もいつものような感じで話す事が出来ず、会話がここで途切れてしまった。そのまま誰も喋ることなく3つ先の駅に着いてしまい、中村たち三人が乗り込んできたが『佐藤きょうだい』が三人しかおらず、しかも重たい空気が支配してるので中村も最初は俺に話しかけるのを躊躇したくらいだ。その中村も俺の口から唯が怪我をして病院へ行った事を聞かされると「マジかよ!?」と驚き、その後は放心状態になってしまった。無理もない、唯派会長を自認している中村としては唯の天真爛漫な笑顔を見れないという事は地獄に突き落とされたのにも等しいからな。

 南北線の車内でもそれは同じで、唯がいない事に気付いて一時的にザワザワしたが、俺たちが重苦しい雰囲気だったので逆に車内がシーンと静まり返ってしまい、地下鉄を降りて地上に出てからも、さっきの車内を再生したかのようになってしまった。

 正門の所では藤本先輩と3年生女子の風紀委員が立っていたが、藤本先輩は唯がいない事と俺たちの周囲にいる2年生の集団があまりにも重苦しい空気に包まれている事を不思議に思い、恐る恐る藍を捕まえて状況の説明を求めたくらいだ。その藍が藤本先輩に状況を説明したので、周囲にいた2年生の集団が唯の怪我を知り再びざわめき始めた。中にはさっきまでの中村のように放心状態になる奴まで現れる始末だ。

 その集団を無視する形で俺と藍は上靴に履き替えると、教室へは向かわず直接職員室へ向かった。

「・・・失礼します」

 藍は普段からは考えられない位の落ち込んだ声で職員室へ入り、そのまま山口先生の所へ行った。俺は藍に続く感じで職員室へ入った。

 当然、山口先生は俺と藍が異様なほどに暗い事に気付いた。それは山口先生の隣にいた高崎先生も同じだった。

「おーい、佐藤藍、それと佐藤拓真。どうしたー、朝から元気ないぞー」

「そうですよ、高校生なら朝から元気に『おっはよー』って大声で挨拶しても怒られないくらいですよー。もっと元気を出しましょう!」

「あのー、山口先生・・・実は・・・」

 藍は努めて冷静に唯の事を山口先生と高崎先生に説明した。

 山口先生は寝耳に水と言わんばかりにびっくりし、慌てて周囲に他の生徒がいない事を確認した後は小声で俺たちに話しかけた。

「なるほど・・・それでお前たちは元気がないのか・・・怪我をした現場を見たのか?」

「はい・・・ただ、みんなには唯さんのお母さんの話として説明しました」

「それが正解だな。下手な説明をするとお前たちの関係がバレる可能性があるからな。となると、後で母親か佐藤唯本人から連絡がある筈だが、どうやって対処すればいいのか先生も正直迷うな・・・」

「・・・山口先生、取りあえず俺と藍は努めて普段通りに振舞います。唯が登校できるかどうかは今の段階では答えられないというのが正直なところです」

「だろうな。ただ、右手の状況から考えて仮に登校できたとしても松葉杖で移動は厳しいだろうな。となると場合によっては学校の備品の車椅子を使うしかないだろう・・・教室へはエレベーターを使って移動するしかないけど、旧校舎に行くのは無理だな。それとトイレは各階1か所のバリアフリー用でないと入れないな。しかも右手が使えないから一人で移動は絶対に無理だろうから誰かが介助役をやるしかない・・・そうなるとやはり義姉である藍にやってもらうしかあるまい。頼んだぞ」

「はい、わかりました」

「教頭先生への報告は先生がやっておくからお前たちは教室へ戻れ。それと、もし車椅子が必要なら、その場合の学校事務への手配は先生たちがやるからお前たちは心配しなくていいぞ」

「ありがとうございます。では、これで失礼します」

 俺と藍は山口先生と高崎先生に頭を下げると職員室から退室し2年A組に向かった。だが、既に唯が怪我をして病院へ行ったという事は噂話として校内中に知れ渡っていて、あちこちの教室や廊下で色々な生徒が話している状態だった。さすが有名人だけあって噂になるのも早い。

 2年A組に入っても教室内は唯の話で持ちきりであり、藍は教室に入ると早々にみんなから取り囲まれ、唯の怪我の事を聞かれる始末だった。

 だが藍も診察の結果までは知らないので、結局はさっきの東西線の車内で舞に話した通りの内容しか説明できない。クラスの連中も詳しい事情を知りたかっただろうから藍に食い下がったが

「私はこれ以上の事は分からないから、唯さん本人か家族から連絡があるまでは私に聞いても無駄よ」

と言ってクールな目でみんなを見渡した事で、全員がアッサリ引き上げた。このあたりは『A組の女王様』としての立場をうまく利用して追及を逃れた藍の貫禄勝ちといったところだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る