第97話 唯、骨折

 だが、いつもなら「あー、すみませーん」とか言って笑って誤魔化す筈の唯が何も喋らない。それに唯の様子が変だ。何か苦悶の表情を浮かべている。


「・・・唯さん、どうしたの?」

 藍がたまらず唯に声を掛けた。だが、唯はますます苦しげな表情をしている。しかも、左手で右手の小指、薬指を押さえている。

「唯!ちょっと右手を見せろ!!」

 俺は唯の右手首を自分の右手で掴んで・・・そこで俺は気付いた。唯の右手の小指と薬指が間接とは違う場所で曲がっている事に、しかも真っ青になって膨らんでいる事に気付いた。

 藍も異変に気付いて

「お義母さん!唯さんが階段から落ちて右手の指を骨折したみたいだから早く病院へ連れて行って!」

そう叫んで母さんを呼びに行った。

 俺は唯に小声で出来るだけ優しく声をかけた

「唯、大丈夫か?」

 唯は無理矢理笑顔を作って俺の方を向いたけど、それが逆に痛々しい・・・。

「・・・大丈夫、と言いたいけど百パーセント嘘だよね・・・滅茶苦茶痛い・・・それと・・・」

「それと?」

「・・・多分、右足首もやっちゃった・・・」

「はあ?じゃあ、歩けないのか!?」

「・・・ごめん」

 唯は弱々しく言うと涙をポロポロ流した。さすがに大声を出して泣くと言う事はしなかったが、結構痛そうだ。

 母さんは直ぐに唯の所へ来たが、医師でも看護師でもないのでどうする事も出来ない。

「藍ちゃん、悪いけどフリーザーに入っている保冷剤をタオルで包んで、それで唯ちゃんの右手と右足を冷やして頂戴。直接保冷剤を肌に当てるのは駄目だからね」

「あー、はい、分かりました」

 そう言うと藍はフリーザーから保冷剤を取り出し、母さんから言われた通りタオルで包んでから唯の右手と右足首に巻いた。その間に母さんは家の固定電話を使って新札幌の病院へ電話して状況を説明し、すぐに車で唯を連れて行く事にした。軽自動車だと乗り降りが逆に面倒なので普段は父さんが使っているワゴン車の鍵を持っている。

「拓真、悪いけど唯ちゃんを背負って車まで運んで頂戴。病院へは母さんが一緒に行くから、拓真と藍ちゃんは今日は普段通り学校へ行きなさい。でも担任の先生には唯ちゃんを病院へ連れて行った事を伝えてね」

「ああ、分かった」

 俺は藍に手伝ってもらって唯を背負うとそのまま車へ連れて行った。母さんは俺よりも先に行き車のスライドドアを開けてくれた。

 正直に言うと背中に唯のCカップが当たってるし、それに両手で唯の柔らかい太ももを支えているから、不謹慎な話だが結構おいしい役回りである。でも、唯が脂汗をかいているのが分かってるし、それに骨折の状態によっては手術が必要な事もあるので急いで病院で診察する必要があるから、この状況を楽しむなどという考えを起こしている余裕はない。それに藍も明らかに心配そうな顔をして唯を励ましている。

 俺は唯を車まで連れて行き、2列目の座席に座らせた後にシートベルトを締めてやった。藍は唯の鞄、それと靴を車に入れた後、スライドドアを閉めた。

「じゃあ、母さんは行ってくるから鍵だけは忘れずにかけてね」

「ああ、分かった。それはやっておくよ」

 そう言うと母さんはエンジンをかけ、そのまま車を病院へ向けて走らせた。

 俺と藍は車が走っていったのを見届けた後、一度家の中へ戻り自分のお弁当とマグボトルを鞄の中に入れ、唯の弁当は仕方ないから冷蔵庫に入れた後、家の窓の鍵を全部閉めた事を確認してから玄関に鍵をかけて地下鉄の駅に向かった。

 普段より1~2分遅いが、これでも普段通りの東西線に間に合う筈だ。

 今日は急な予定変更ではあるが藍と二人だけで登校だ。だが、藍も俺と二人で登校しているにも関わらず、手を繋いだりとか腕を組むとかする事もせず、あきらかに動揺したような表情のまま歩いている。俺もそんな浮ついた事をする気になれない。

「・・・唯は大丈夫だろうか?」

「・・・なんとも言えないわね。左手は大丈夫みたいだし、右手も薬指と小指以外は青くなっていなかったから、単純な指の骨折程度だと思うわ。唯さんが左利きなのが不幸中の幸いね」

「・・・だが、右の足首はハイソックスを履いていたから患部がどうなっているか全く分からない。骨折でなければいいが・・・」

「・・・骨折してなかったとしても足首が腫れていたのは間違いないわ。痛々しくて見てる側が辛くなってきたわよ」

「ああ。でも、今日の授業はどうなる?それに今月末のトキコー祭はどうなる?あいつは実行委員長だろ?」

「今はそんな事を心配している場合ではないわ。まずは唯さん自身の容態を心配する方が先決よ」

「それもそうか・・・」

「それにしても唯さんも災難続きね」

「その通りだな。言い方は悪いがとうとう本人にも災いが降りかかった感じだな。マジで北海道神宮でお祓いしてもらった方がいいかもしれないぞ」

「実行委員会の方も唯さんにとっては災難ね。ただでさえ今度の実行委員会は紛糾する可能性がある所へ藤本先輩がドジを踏んだから間違いなく大半のクラスが計画修正案を出してくるはず。それに柔道部やバスケ部までコスプレする気でいるみたいだから殆ど修正の嵐よ」

「そうだな。規制を掛けるというのが明るみになった以上、駆け込みで提出してくるのは見え見えだからな」

「パンフレットや当日のスケジュール表、イベント案内の作り直しが発生するのに、内容が変わったら校正作業も馬鹿にならないわよ。私もどのくらいの規模になるか想像できないわ」

「しかもその作業の半分近くは生徒会執行部がやるんだから、藍も災難だな。俺たち実行委員にとっても迷惑な話だけどクラスの連中はお構いなしと言ったところだろうな」

「・・・私はまだ大丈夫だけど、唯さんのメンタル面が心配よ」

「それもそうだな。あいつの心が折れないようにしてやらないと」

「なら、彼氏として支えてあげなさい。当面は私も目くじらを立てないでおくから」

「スマン、恩に着る」

「その代わり、後でみっちり返してもらうわ。もちろん、唯さんにもその落とし前を払ってもらうわ」

「おい、目が怖いぞ。勘弁してくれ」

「あら?私としてはそんなつもりはなかったけど」

「あーいー、最近、マジで目が怖いぞ。唯を見る目が時々殺気立っているからなあ」

「・・・当面、私もストレスが溜まるわねえ。唯さんと拓真君がイチャイチャする所を黙認しなければならなくなるのは辛いわよ」

「・・・・・」

 たしかに唯にとっては不幸が続いている。マジでお祓いした方がいい位の出来事が続いた上に、今度は自身が怪我をした。普通に考えれば不安に思うぞ。

 トキコー祭の件だって本人が関与できない部分で仕事が増えて爆発寸前の状態だ。俺が実行委員長だったら既に匙を投げているのを唯はよくやっているなと感心するくらいだ。

 だが、このまま唯が潰れてしまう事は義理とはいえ兄である俺にとってもマイナス以外の何物でもない。それは義理とはいえ姉である藍としても同じだ。だから当面は唯を励ましつつ怪我が回復するまでは介助もやってやるしかない。

 ただ、藍にとって唯は叩き潰すべき相手でもあるから、藍自身の中では相当な葛藤があるはずだ。だから唯の方ばかりを向いていると今度は藍がその反動でおかしくなるかもしれない。まさに俺は両方に気を配ってやる必要が出てきた。

 だが、具体的にどうやればいいのか俺にもよく分からない。

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