第6話 修羅場の一歩手前
「唯の事?」
「あの子、多分、精神的に不安定になっていると思うけど、拓真君はどう思う?」
「不安定?」
「どうみても普通じゃあないわ。だって、パンを焼く順番、メールを送信する順番なんて、普通に考えれば目くじらを立てるような事ではない筈よ」
「・・・たしかに」
「それに、夜、時々泣いてるわよ」
「マジかあ?」
「ええ。引き戸1枚隔ててベッドが隣り合わせだから、シクシク泣いているのが分かるのよ・・・」
「・・・俺個人の意見だけど、あいつ、実の母親が亡くなった後、お婆ちゃんと一緒に暮らしてたけど、そのお婆ちゃんも年明けに亡くなった。実の父親も、くも膜下出血で亡くなった。それも朝は普通に出勤したかと思ったら、昼には帰らぬ人になった・・・多分、誰かから置いて行かれる、取り残されるというのを怖がっているんじゃあないかなあ」
「・・・そうかもね」
「パンの時もメールの時も唯が後だったから、自分が取り残されたような感じになって不安感が増大して暴走したのかもしれない。夜、一人でいるという事は、自分だけこの世界に取り残されたような気分になって、不安感から泣き出したのかもしれない」
「それじゃあ、拓真君が唯さんと一緒に寝てあげれば?」
「おい、冗談だろ?」
「だって、唯さんの彼氏でしょ?それとも単なるお世話係?」
「あのなあ・・・もしそうだとしたら、藍さんはどうする?」
「・・・どうして『藍さん』って言うの?」
「はあ?」
「どうして昔のように『藍』って言ってくれないの?」
「・・・お前、まさか・・・」
「・・・私だって辛いのよ・・・こんなキャラだから気付いてくれてないみたいだけど・・・お願い、どうすればいいの( ノД`)シクシク」
「・・・俺は・・・俺は・・・」
「って冗談!」
「おい、ふざけるのもいい加減にしろ!マジで考え込んだぞ!」
「あー、楽しかった((´∀`))ケラケラ」
「ったく」
「・・・でも、唯さんが泣いてるのは本当よ」
「俺が唯を抱いたら、お前は耐えられるのか?しかも引き戸1枚しか隔ててない隣で」
「・・・私がとやかく言う権利はないわ。それに、やりたい盛りの男の子の家に可愛い女の子が二人も同居していて、しかもそれを見るだけだなんて、蛇の生殺しみたいでしょ?」
「はー。お前、それを知っててあんなイタズラを仕掛けたのか?」
「さあて、何の事でしょうか」
「とにかく、今は唯を何とかしないと・・・だからといって、今の俺が唯と一緒に寝たら、唯が泣こうが喚こうが力ずくでもやっちまうだろう。そうなったら、俺たちきょうだいは間違いなく崩壊する。俺は不器用だから、両方同時に、なんて器用な事は出来ない奴だ。それは藍さん自身が知ってる筈だ」
「・・・・・」
「だとしたら答えは一つしか残らないのではないか?」
「一つとは?」
「藍さんと唯の両方と均等の距離を保ちつつ、唯の精神を安定させる方法を見つける」
「両方と均等?」
「そういう事だ」
「・・・それはおかしいです」
「はあ?」
「先ほど言いましたよね、『両方と均等の距離を保つ』って。これについては私も異論はありません。でも、あきらかに拓真君は唯さんに軸足を置いてます。これは不公平です」
「じゃあ、どうすればいいんだ?」
「わ、私・・・私の・・・私の所へ・・・」
「はあ?」
「だから・・・唯さんではなく、私・・・私の所へ軸足を置いて。お願い」
「ちょっと待ってくれ、あの時、藍さんは『しばらく距離を置きましょう』と言ったよな。だから、俺はお前が・・・」
「・・・私は一度も『別れましょう』と言った事はないわ。今でも私の中では、あなたを唯さんに貸しているだけ」
「でも・・・」
「じゃあ、なぜ、今でも『仲良し五人組』は存在してるの?なぜ私は拓真君から離れないの?それを疑問に思った事はないの?」
「そ、それは・・・」
俺は答えに窮した。
たしかに俺は藍と付き合っていたのは事実だ。そして、俺と藍の仲がギクシャクした原因は、まさに、さっき藍が言った通りの事を俺がしたからだ。しかも、学校の風紀を維持する生徒組織の部屋である風紀委員室でだ。
だが、俺は藍と最後までやるだけの度胸が無かったチキン野郎だった。俺は罪悪感に駆られて、いたたまれなくなって飛び出していった。あの時の藍の恐怖に怯えた顔はいまでも脳裏に焼き付いて離れない。
実際、あの翌日藍は学校を休み、俺が連絡しても、あいつの家に行っても藍は俺と会おうとしなかった。だから俺は藍に見捨てられたと思っていた。
だが、その次の朝、学校へ出てきた時の藍の態度は変わらなかった。俺は藍に即座に謝ったが、藍は『このヘタレ!最後までやる度胸がついてから押し倒しなさい。私の決心が鈍るじゃあないの』と言って、ニコッとほほ笑んで軽く俺の胸をグーで小突き、それで終わりとなった。その後も藍の態度は変わらなかったから『表向きは彼氏彼女の関係だった事を誰も知らないから、いきなり疎遠になると返って怪しまれるので、今まで通り接している』と解釈していたが、俺の方に罪悪感があったのも事実だ。だからなんとなくギクシャクした関係になり、藍から『しばらく距離をおきましょう』と言われ、俺は藍に振られたと思っていた。
多分、藍としては「しばらく冷却期間を置きましょう。気持ちの整理がついたら教えてね」という意味で言ったんだろう。
その後、俺は恋愛そのものが嫌になりかけたけど、俺が落ち込んでいる事を気遣ってくれた唯に誘われるまま、唯と付き合い始めた。だが、俺は藍との事がトラウマになっていたから、最初は唯に積極的になれなかった。まあ、唯の家庭の事情もあり、父子家庭になってしまった事で唯自身が落ち込んでしまい、俺が逆に唯に気を遣う事が多くなって、うまく仲が進展しなかったのも事実だ。
だが、今の状態の唯を放っておいたら、唯は間違いなく潰れる。それだけは避けねばならない。だとしたら、俺がやるべきは・・・。
「俺は不器用な奴だ。しかも両方同時は無理だとも言ったぞ」
「・・・そう、でしたね・・・」
「唯自身が俺を選ばないと決めた時には藍さんの言っている事を考えてもいい」
“バチーン!”
突然、俺は藍に昨夜と同様、左の頬を思いっきり平手で叩かれた。
しかも、藍は目に涙を浮かべている。
「・・・私は・・・私は唯さんの補欠ではありません!」
そういうと藍は立ち上がり、一目散に教室を出て行った。
俺は真っ赤になっている筈の左頬に左手をあてながら、昨日の、今日の、そして過去の言動を思い返してみた・・・。
「あいつ・・・やっぱり、あいつも精神的に不安定になってやがる・・・」
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