どうしようもなく情けない、男の話
キジノメ
どうしようもなく情けない、男の話
いつのまにか、本を読むことよりも書くことよりも、ネットで動画を見ることが増えて、そうして集中力が減った気がする。
本を喰らうように漁っていた昔は、食べることも寝ることも忘れて、ずっと椅子に座って本を読んでいた。周りの音なんか聞こえなくて、教室にしょっちゅう置いていかれたっけ。もう遠く、懐かしい思い出に感じる。
また動画の再生ボタンを押す。画面右下の時刻は、17時20分。あと20分で出ないと、笹川との約束に遅れる。もう動画を見るべきじゃないことは、重々承知していた。それに本当は勉強もしないといけない。今パソコンの電源を切って、単語のひとつやふたつ覚えればいいのに。頭の片隅で勉強への心配が渦巻く。
でも手は止まらない。動画を再生させて、音量を調節して、ニヤニヤ笑って俺は見ている。その内容は、とても面白かった。けれど脳の片隅が「勉強しろよ、するべきだろ」と心配そうに囁いている。動画を素直に楽しめない。
見終わってシャットダウンすれば、時間はもう17時40分。途端、罪悪感に襲われて、動画を見てだらけていた自分に叱咤を呟くが、それで時間が返ってくるわけではない。ため息をついて、単語帳と財布を入れたバッグを肩にかける。どうせこの単語帳も、開く時間はないんだろう。自分への罪悪感をなくすために持っていくようなものだ。
人と会うというのに、今から憂鬱だった。
地元の駅前にあるファミレスは、平日の夕方という微妙な時間のせいで、そんなに人は多くなかった。威勢よく挨拶をしてくる、あのウェイターは新人だろうか。他のウェイターの接客なんて、ただこなしているように見える適当なものだから、彼女はとても目立った。
奥のテーブル席は窓に面していた。外を見れば、ちょうど笹川が階段を昇ってくるのが見えた。ドリンクバーだけでも先に頼もうかと呼び鈴に伸びた手を下ろす。
入口のドアについている鈴が鳴り、先ほどとは違う店員が気の抜けた声で応答している。奥にあるこの席からは笹川の姿が見えないが、少し待っていれば気さくに手をあげながら彼がやってきた。
「来るの、はえーな」
「別に、さっき来たばっかだよ。何も頼んでねえもん」
「じゃあまずなんか食おうぜ」
メニュー表を開けば、テーブルに沈黙が落ちる。俺はミートスパとドリンクバーを頼むとすでに決めていたから、すぐにメニューを閉じてスマホを取り出した。青い鳥のアイコンを押せば、顔なんか知らない「知り合い」が好き勝手に呟いている。
『小説、第一次審査通った!』
『アンソロ企画やります。誰か参加しませんか? ××で販売予定です!』
「よーし、俺はハンバーグとピザとソーセージ頼むぜ。お前は決まってんの?」
慌てて画面を切って、スマホを仕舞った。
「決まってる。じゃあ押すぞ」
呼び鈴でやってきた店員に注文する笹川の姿を見ながら、やっぱりこいつはよく食うな、と思った。笹川は90キロくらいあるんじゃないかという巨漢だ。高校の頃からデブだなんだといじられていた。
立ち回りが上手く、いじめには発展していなかったが。
「どーよ、最近。お前は大学行くんだっけ?」
笹川の突然の質問に、さっきの自分がフラッシュバックした。
パソコンの前で、2時間も3時間も、ニヤニヤと、動画を見て。
「ああ。勉強してるよ。一応浪人生だからね」
そっちは? と聞けば、肩を竦められた。
「俺は大学行かねーし。バイトはしてっけど、基本ネットだぜー」
うははは、と豪快な笑いに、俺もつられて笑う。
「安定のニート生活だなー」
話が弾む前に飲み物を取りに行こうと思って、俺は席を立った。
「笹川、コーラでいいか?」
「サンキュー」
笹川は、高校の頃からああだ。ずっとネットにべったりで、勉強は全然出来ない。だから真面目な奴には馬鹿にされたし、アニメとかゲームが好きなやつとはとことん仲が良かった。
俺はといえば、アニメもゲームもするがそれ以上に好きなのは本だったから、いつも話すような仲ではなかった。でも偶に話していて、今では卒業してもこうやって会う仲だ。勉強仲間というわけでも、すごい話が合うというわけでもないのに。
コーラを2つ持っていけば、すでにテーブルにソーセージがあった。一本分の隙間が空いているから、食べたんだろう。
「はい」
「あんがと。食う?」
「ソーセージ? いや、いいや」
「あっそ」
フォークを突き刺す音が、ばりりと響く。つられるように、俺は声を出した。
「動画とか見る?」
「動画? アニメってこと?」
「じゃなくて、ユーチューブとかのさ」
「あー見る見る。けっこーおもしれーよな」
「よなー。見てると時間経つんだよね」
自嘲気味に言ったが、笹川の顔が輝いたから、罪悪感はすぐにどこかにいった。
「俺、アニメがそれだわ! 最近放送されたやつなんてさ……」
アニメについて語る笹川に相槌を打ちながら、俺は思う。
俺は、大丈夫だ。ここまで動画にハマってない。こいつほどでは、ない。
何分か語った後(俺は相槌しか打てなかった)、笹川は息を吐き出し笑った。
「ま、なんだかんだ言っても、拙者はアニメを見るか、ゲームばかりやってるでござるな」
「情けないでござるよ」
ははは、と笑いながら彼の冗談の口調に乗ると、「お前も動画見てるくせに」と笑い飛ばされた。
そこで、ふと、というように笹川が呟いた。
「そういや俺さ、大賞取ったんだよ」
「たいしょう?」
「ゲームシナリオコンテストの、大賞」
「マジ?」
信じられなくて、半笑いで笹川の顔を見る。やつの真面目な顔は嘘をついている顔には見えなくて、にやついている俺が馬鹿みたいだ。すぐに笑みを消した。
「マジ」
「え、どこの?」
「いや、有名なとこじゃねーよ。ちょっとしたネット上のコンテスト」
良かった。
この時俺が思ったのは、安堵だった。
笹川が、このいつもだらけている様にしか見えないこいつが、すごい賞を取ってなくて良かったという、安堵だった。
「へー、大賞」
「ああ、ちょっと嬉しい」
照れを隠すように、笹川がピザに手を伸ばす。俺は笑うことも出来なくて、ため息をつきながら椅子の背もたれに寄りかかった。
「いいなー、俺も賞とか取りてえな」
「なんの賞だよ」
「小説とかさ」
「へー。なんか書いてんの?」
「いや、別に。だって今年は勉強しなきゃじゃん。そんなのにうつつぬかしてられないって」
「ほぉん……」
何かに飽きた様に、笹川が相槌を打った。
流さないでほしい、と強く思った。
結果を残したお前と同じくらい、いや、それ以上に俺は小説家になりたいと思っているんだ。それを、まるで「対抗するために言っただけだろ」という感じで流さないでくれ。
俺も、こんな状態で止まってないで、そうだ、何もやっていないようなこいつでさえ、変わったんだ。だから、俺も、
「変わらないとなぁ……」
ちょっとした自嘲のつもりで、そう呟いた。
しかし、笹川は眉を潜めた。
「……お前さあ、ちょっと言うけどさ」
「な、なんだよ」
「会う度に、変わんねえと、って言うじゃん。本気で変わろうとしてんの?」
「してるって。だからいつも言ってんだよ」
はは、とやった空笑いを笹川は無視する。
「俺にはそうは見えねえんだよ。いっつもへらへら笑いながら言ってさ、結局やってること変わってねーもん。ただのポーズだろ」
思わず、笑いも止まった。二の句が継げない。店内を流れる女性グループの歌声だけ、妙に響く。「go my way」と繰り返す、ポップな曲。
黙りこんでいると、耐えられないように笹川が貧乏ゆすりを始めた。
「……俺さ、なんでたいして仲も良くなかったお前がこんなに会おうとするのか不思議だったんだよ。でも、さっきの、俺の話を喜ばなかった態度で分かったよ。わざと格下の奴と会って安心してたんだろ。ニートの俺に会うことで、それよりはマシだ、何か出来るって、安心したんだろ」
「な、」
俺はまず、驚いた。だって笹川はバカだから。そんな、俺ですら無視していた気持ちを言い当てるなんて思っていなかった。
そしてそれを聞いて、俺は、ああ、だからこいつと会っていたのか、と妙に納得してしまった。
「人で優越感に浸ろうとすんなよ」
笹川が、ここまではっきり言ってくると思わなくて、本当に驚いて――本当に悲しくなった。
どれも否定することのできない、自分の卑屈さに悲しくなった。
「……俺、帰るわ」
「……ごめんな」
「おう、じゃあな」
千円札を一枚置いて、笹川が席を立つ。3品頼んで千円なんて、安いものだ。
やけになって、俺はすぐさま酒を頼んだ。
泥酔一歩手前で外に出れば、時間は9時。ひどく重たい足を引きずり、駅前のベンチに座り込んだ。
笹川の言葉が、どんなに酒を飲んでも離れなかった。泥酔していっそ忘れてしまいたいのに、忘れられない。どこか脳の一部が冷めたままだ。
帰りを急ぐ人たちが、目の前を通り過ぎていく。誰も俺を見ないから、まるで透明人間になった気分だ。
変わりたくて、何者かになりたくて、現状にいつも不満で。だから先に進んでしまった笹川は喜べなくて嫉妬するなんて、なんて身勝手な感情だろうか。
そんな自己分析はとっくに済んでいるのだ。分かりきっている。文句を言うくらいなら変わればいいんだ。でも俺は変われなくて、毎日進もうともせず、動画を見て、己を慰める程度の本を読み、勉強して。
小説家になる夢だって、本当にその道を進んでいいのか分からないと思いながら、どうせなれないのだと諦観しているのだ。でも大学は、行かなくても済む道がどこかにあるんじゃないかなんて、逃げて逃げて逃げて。
追いつめられたら動けるはずなのに。追いつめるものが何か分からない。甘えた心はこのままで、毎日の現状が変わらない。
昔は夜の街で、澄んだ気持ちで決心すれば何か変わるのだと信じていた。でも、決心しても俺は昨日の地続きだから。漫画みたいな清々しい決意なんてどこにもない。努力をしないと。努力を、努力を努力を。
結局酔って、ここで座って月を見上げ反省する俺も、ぶった「俺」がさせるポーズだ。ああ、嫌になる。
でも変わりたい。何かに変わりたい。「my way」なんて分からないのに。どこに進むのも怖いのに。でも、ここにいるのだけは嫌なのだ。
変わりたくて、透明人間を止めたくて、皆が振り向く何者かになりたくて、自己嫌悪なんてしなくてすむような毎日を送りたくて、
でもどうすればいいのか、何年考えても変われない俺には分からなかった。
「助けて……」
小さな叫びを、誰も気が付かない。
どうしようもなく情けない、男の話 キジノメ @kizinome
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