第27話

 それは、あまりにも柔らかすぎた。まるで柔軟剤を使ったかのようにフワフワで、食虫花に蜜で誘われる虫のように俺は引き寄せられ、それを堪能していた。

 それに触れていると全てがどうでもよくなり、桃源郷に居るような感覚に陥る。少しでもその感覚を得ようと俺の手は欲望のままにそれをまさぐる。


「あの……アルバ?」


 俺の耳元で何かが聞こえたが、今の俺には雑音にしか聞こえず、この甘美な時間を邪魔するものにしか思えなかった。

 俺は気にせず、それを享受し続ける。ああ、なんて素晴らしいのだろうか。……このモフモフは! 

 そして自分の語彙の少なさが恨めしい。俺の知ってる言葉だけでは、このモフモフの素晴らしさを伝えきれない!


「アルバ、しっかりしてよ!」


「は!?」


 俺の耳元でいきなり大きな声が聞こえ俺は我に返る。気づけば俺は、ヤツフサに抱き着く形でヤツフサの尻尾をモフり回していた。

 他人から見たら間違いなくアッチ系な光景に俺は慌ててヤツフサから離れる。


「あ!す、すみません!僕、もふも……フサフサしたものに目が無くてつい我を忘れてしまいました」


「べ、別に良いよ。ちょっとびっくりしたけど……」


 俺が、ぺこぺこと頭を下げて謝るとヤツフサは気にしないでという風にパタパタと手を振る。


「こほん……それでは、気を取り直して始めましょうか」


 俺は、先程の事を無かったかのように振る舞い構える。なんか、フラムが小声で「……有りですわね」とか言っていたが、何が有りなのか聞くのが怖かったので知らないふりをする。


「そ、それじゃあ行くよ?」


 ヤツフサが遠慮がちに確認してきたので俺は頷く。すると、ヤツフサはその場でトーントーンと軽快にジャンプし始める。


「……?」


 ヤツフサの行動の意味が分からず眉をひそめていると、ヤツフサの体に一瞬電気が走るのが見える。


「なっ!?」


 俺とヤツフサとの距離はおよそ10m程有ったのだが、気が付けばヤツフサは俺のすぐ目の前まで迫っており、鋭い爪が生えた手を振りかざしていた。

 考えるより先に両手を顔の前でクロスさせて防御態勢をとると、その上から衝撃が走り吹き飛ばされてしまう。


「うぉぉぉぉぉぉ!?」


 俺は1,2m程吹き飛ばされて受け身を取りつつ地面を転がっていく。ランドリクさんからは毎日手ほどきを受けているのでそれが幸いして怪我は無かったようだ。

 勢いが収まり立てるようになったので服を叩きながら立ち上がり籠手を確認する。 

 材料がミスリル鉱“石”の為、魔力を通せば操ることが出来るので咄嗟に魔力で硬くしたのだが何とか上手く行ったようで薄く傷がついているだけだった。

 

 それにしても先程の移動はなんだったのだろうか。もしやバトル漫画でよく見る瞬間移動……縮地とか瞬動とか呼ばれるあれだろうか。

 ヤツフサは、狼だしこういうファンタジーものでは狼は素早いという設定が多いからヤツフサがそれを使えても何ら不思議ではない。


「アルバー!大丈夫ー?」


 立ち上がった俺を見てヤツフサが心配そうに声を掛けてくる。


「僕は大丈夫ですー!それにしてもさっきの移動凄かったですねー!」


「そーおー?アルバにそう言って貰えると嬉しいなー」


 俺に褒められると、ヤツフサは照れくさそうに頬を掻く。とても訓練中とは思えない和やかな雰囲気だが、こういうのも悪くない。


「その調子で、どんどん来てくださいねー!僕もどんどん攻めていきますからー!」


 俺は、ヤツフサに向かってそう叫ぶと呪文を唱えつつ地面に向かって拳をぶつける。


隆起する10本の石柱テン・トーテム・ポールズ!!」


 ミスリル製の魔法具を付けたことにより地面に魔力を通しやすくなり、さらに強力な魔法を使えるようになった俺は直径1m、全長3m程の石柱を10本を乱雑に地面から生み出す。

 方向も出てくるタイミングもバラバラな石柱に、ヤツフサは怯むどころかそれを足場にして軽やかに跳躍し空中から俺に向かって蹴りを繰り出してくる。


「まじかよ……」


 とても11歳とは思えない身体能力に俺はボソリと独り言を言うがすぐに両手を地面につけ厚さ30㎝ほどの石壁を生み出し盾にする。

 が、時間を掛けたならまだしも短時間の詠唱無しなのでそれほど強度は無く、ヤツフサに石壁を蹴破られてしまい、石壁の欠片が飛散する。

 飛散した石の欠片の死角を利用し、俺はすかさずヤツフサの後ろに回り込んで拳を地面にたたきつけヤツフサの下に深さ30㎝程の浅い落とし穴を出現させる。


「うわ!?」


 深さは無かったが、それでもヤツフサの体勢を崩すには充分だったようで驚きの声を上げながらヤツフサはバランスを崩してしまう。

 俺は、そこであえて追撃をせず距離を取る。

 ヤツフサのあの体捌きから考えると接近戦は不利だ。俺もランドリクさんに訓練をしてもらって多少は動けるが、流石にヤツフサに肉弾戦で勝てる気がしない。魔法使いは距離を取ってなんぼなのだ。


13本の石の矢サーティーン・ストーン・アローズ!!」


 ヤツフサが体勢を立て直す前に素早く呪文を唱え、13本の石の矢を放つ。

 基本、魔法は数を指定することが出来、数が増えれば増えるほど消費魔力が増える。

 伝承では1000本の矢を放つ化け物クラスの魔導士が居たらしい。もっとも、昔の話なので真偽のほどは定かではないが。


 刺突、というよりも打撃に近い石の矢はヤツフサに向かって飛んでいく。


「ガアアアアア!」

 

 ヤツフサは、思わず身がすくみそうな程の声を上げながら石の矢を叩き落とすが、落としきれずに2,3本受けてしまう。


「グゥッ!?」


 ヤツフサが頑丈なのか俺の石の矢が弱かったのか分からないが、大したダメージは無いようですぐに復帰する。

 俺は追撃をしようと呪文を唱えていたが、唐突にバチッと電気が走る音が聞こえてくる。

 すると、またもヤツフサが俺のすぐ目の前まで迫っており俺を蹴り上げようとしていた。

 呪文を詠唱中だった為、反応が完全に遅れた俺は防御が間に合わずモロに喰らって吹き飛んでしまう。


「ガッ……は……」

 

 地面に背中を打ち付け、痛みにのけ反りながら空気が肺から押し出されるのを感じる。

 俺は息を荒くしつつもヤツフサの追撃から逃れようと立ち上がろうとするが、何度か聞いた電気の音が聞こえてくると背中に衝撃が走りそのまま前のめりに倒れてしまう。


「……あ!ご、ごめんアルバ!つ、つい夢中になっちゃった!痛かった!?痛かったよね?」


 俺が痛みで起き上がれないでいると、上からそんな声が聞こえて抱き上げられると、そこには真っ黒い毛に覆われたヤツフサの顔が有った。


「……あ」


 俺は痛みで声が出ないながらも心配ないと言う風に手を伸ばし、ヤツフサの頭を撫でる。

 ああ……わが生涯に一片の悔いなし……


「ちょ、アルバ!?アルバー!?」


 モフモフ様に触れて満足した俺は、なにやら叫んでいるヤツフサの声を聞きながら意識を手放したのだった。


「知ってる天井だ」


 と、天丼ネタと思わせて生意気にアレンジしたセリフを言いつつ起き上がる。


「アルバ!目が覚めたんだね!」


 俺が起き上がったのを見ると少し離れた場所にあるテーブルに乗っていたアルディがこちらに飛んできて抱き着いてくる。

 アルディの頭を撫でながら周りを見渡すと、そこは医務室だった。

 俺は保健室特有の簡素な白いベッドに寝かされていた。回復魔法を掛けてもらったのか体に痛みは無かった。


「あの……アルバ」


 俺が状況を確認していると、申し訳なさそうな声が聞こえて来てそちらを見ると人間形態に戻ったヤツフサが、耳と尻尾をこれでもかとしょげさせていた。


「ご、ごめんね。俺の種族って戦いになると我を忘れちゃうところがあるんだ。それで……アルバには痛い思いをさせちゃった……」


「別に気にしてませんよ。本気を出してほしいって言ったのはこっちですし。それに負けたのは単純に僕が弱かったからですよ」


「あ、アルバは弱くないよ!強かったからこそ俺も我を忘れちゃったんだし」


 俺の言葉にヤツフサは叫びながら否定してくる。ヤツフサの言葉は嬉しいが実際、負けたのだから俺が弱いということになるのだ。アルディが居ないとやっぱり俺はダメだな。

 今後は、アルディと連携をメインに戦い方を学んで行かなきゃな。


「……そういえば、フラムは何処です?」


 現在、医務室には俺とヤツフサ、アルディの2人と1体しか居ない。うぬぼれているわけではないが、フラムの性格上看病してそうな気がしたのだが。


「ああ、フラムさんならアルバの回復を願ってお百度参りに行くって言ってたよ」


「お百度参り!?」


 この世界にもその文化が有ったのか。ていうか9歳児がお百度参りとかどんだけ本気なんだよ。


「先生は、回復魔法掛けたから大丈夫だって言ってたんだけどね。念には念を入れますわ!って言って出て行っちゃったんだ」


 ヤツフサがフラムの口調を真似しながら説明するが、その真似が何だかおかしくて吹き出してしまう。


「あ、笑うなんてひどいなあ!」


「ははは。すみません」


 表面上は怒ったふりをするヤツフサに俺は笑いながら謝る。


「そうだ。訓練でヤツフサさんが使ってたアレ。なんなんですか?」


「アレ?」


「あのバチッっていう音がしたら一瞬で近づいてるやつです。あれは正直驚きましたね」


「ああ、あれすごかったよね!私もフラムと一緒に見てたけど瞬間移動にしか見えなかったよ!」


 俺の言葉にアルディが興奮しながら話す。やっぱり第三者から見てもあれは瞬間移動に見えていたのか。


「ああ。あれはね、俺の村に昔から伝わる魔法なんだ。と言っても雷が扱える人じゃないと無理だけど」


 そう言いながらヤツフサは説明をする。


「雷動って言うんだけど、弱い雷を体に流して普段より早く動けるようにするんだよ。ただ、普通の人間だと体がボロボロになっちゃうから俺みたいな体が頑丈な種族じゃないとだめだけどね」


 原理は分からないが、俺なりに予想するとだ。生物の体には常に脳から微弱な電気が流れていてそれが信号になるから、それを魔法によってさらに活性化させて速い動きを実現させてるという所だろうか。

 まあ、俺はそこらへんはうろ覚えだから間違ってるかもしれんがそんなところだろう。


「でも、凄いですよね。本当にいつ近づかれたか分からなかったですもん」


「でも、俺はまだ未熟だから1対1でしかも広い所じゃないと使えないんだ。っていうのも一回発動すれば方向転換が出来ないんだよ。それに細かい調整が出来ないから洞窟とか狭い場所だとぶつかっちゃって全然使い物にならないんだ」

 

 あー、速すぎて制御が難しいのか。強い技には、それなりのデメリットはつきものだしなあ。

 その後も俺とヤツフサは、今後の課題について話し合った。お百度参りから帰ってきたフラムに抱き着かれたり、それを真似したアルディにも抱き着かれたりと男としては幸せの様な年齢的に地獄の様な時間を過ごしたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る