回想(2)

 二コラはその夜眠れずにいた。夜の番を交代制にしていたので、今日の担当に話を打ち明けてみた。二コラの次に年長で、ある名家の隠し子だということで、なかなかに頭が切れる。

――僕は、二コラ、君に残っていてほしい。いや、みんな、そういうと思う。君のおかげで、僕らは貧しいけれどもめごとなしにやってくることができた。君がいなくなったら、また前の無秩序に逆戻りだと思う。

――やはり……

 断るべきか、と二コラの胸中で考えが付き始めた。

――でも二コラ、君はここには似合わないほどの強さを持っているよ。君の心は、決して物乞いに落ちることがない。それは、すごいことだと思う。僕らのなかから、学者が生まれるとしたら、僕は誇りに思いながら、ここで暮らすよ。

 二コラは気づくと頬を涙で濡らしていた。

――絶対、絶対に助けに来る。君たちみんなが、幸せに暮らせるよう、必ず努力してくる。

――二コラ、泣くなよ。めでたいことだぞ?

 その夜二コラが弱々しく泣いたことは、彼から誰にも伝えられなかった。

そうして二コラは――集いの皆に見送られながら、アマンダの誘いに応じたのだった。

 街の中の、人生で一度も踏み入れたことのない区画――修道院へと、新たな生活の期待が二コラの心で熾っていた。


 修道院生活――それは二コラに、自らの知見がいかに狭かったかを思い知らせるに十分だった。

 アマンダは、修道院の七科の勉強をよくした。特に算術と幾何学が得意で、院の同年代で最も秀でていた。二コラはそんな彼女の夜の自由時間を借りて、補習に取り組んだ。まずは、おぼつかない文字の読み書きの習得から。修道院の講義ははじめ、なにを言っているのかわからなかったので、アマンダによる補習だよりだった。アマンダは惜しげもなく、彼女にものを教えた。その心の中にある美しい施しの心が、信仰に向いていると信じていた。二コラもしっかり期待に応え、少しずつ知識を磨いていった。

 しかしそれでも、院の朝夕の祈りの時間、簡単な裁縫などの作業の時間は、はじめ二コラにとって苦痛だった。神への信仰についての書物を大量に読み漁り、筆写し、祈ること。その一連の行いに、疑問を感じた。

 何より二コラは、貧しい人が救われるという教義に納得いかなかった。現実は全くそうではない、貧しい捨て子は何も知らぬまま死んでいく。

しかし、そう考えて書物を放棄してしまえば、院から罰を受けることになる。

――私には神への信心があるわけでもない、神に仕える修道女としている、ということは、自分でも変だなと思うよ。

 修道院の規則正しい生活にも疲れ、ある夜、二コラはアマンダにそう泣きついた。

――へえ、そうなの。奇遇ね、私もそうだわ。こんなの、知識を得るためのポーズに過ぎないわよ。

 なんということのないように、平然と言ってのけるアマンダに面食らった。そして、彼女の直情径行な性格を好きになり、アマンダへのかけがえのない親しみを感じた。

 彼女と一緒なら、この修道院で学を修めていきたいと思った。

 そして仲間たちを――救いの手を差し伸べてやれるくらいに、立派な修道女になる。そういう気持ちが、確かに二コラの心の中で涵養されていた。

 一年後の同じころ、二コラは努力の甲斐あって、何とか講義を理解できるまでになっていた。

 ――あなたが来て、一年がたつかしら。あわただしいけれど、楽しい生活だわ。だから、たまにはちょっと息抜き。冒険しましょう。

アマンダはかねてより、街の様子を知ることに関心が強かった。修道院の図書館では何より、時事にまつわる調べ物を多くしていた。

 ――実はあなたと出会った日はここを、抜け出してきたのよ。

 後日アマンダは二コラに、いたずらっぽい笑みを浮かべながら言った。

 修道院は外の世界とのかかわりをできるだけ断っていて、外出はほとんど許されない。けれど、付き添いのものの計らいで、年に何度か外の世界を見ることができたのだった。

二コラを連れ出して、アマンダはそれをやろうとした。彼女の肉親も修道士であり、少しぐらい規律を破ったところで、ある程度の融通が利く。成績優秀な彼女なら、なおさら目をつぶっていられる部分がある。

アマンダに、二コラもついて行くことにした。何より気になるのは、かつていた街のはずれ、さびれた区画に今もいるであろう、捨て子たちの群れであった。今頃、どのようにして食いつないでいるだろう? それともみなまとめて骸に――と悪い想像も二コラの頭をよぎった。

アマンダの用事は、どうやら街の祭り、大市が行われることの噂について探索をしたいようだった。周辺の街からの特産品を募り、町中が大いににぎわうという。二コラの頭にはそのことは入ってこなかった。果たしてそれは、今にも死に絶えてしまいそうな、子供の群れを救うだろうか?

 おそるおそる、アマンダはかつていたところを訪れ――見知った顔を見つけて声をかけた。

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