回想(1)
人の気配のしない建物を見つけて、十代半ばのニコラは曇り空を見上げていた。歳不相応に大人びた顔つきだった。
――雨が降りそうね。
そこに棲みついていた子供らに、外に干してあるしなびた着物を取り払うように指示した。ニコラはその集まりの中で年長だった。
うち一人――まだ歩き出して数年もたたないような小さな男児が、おなかを抱えてぐずりだした。
――次にお腹いっぱい食べられるのは、いつなんだよう。
そう言って、地面に這いつくばり動かない。と思うと、急激に足をじたばたとさせた。ぬかるんだ地面は、男児の脚に蹴られて泥濘をまき散らす。そうして捨てられた子の中で、彼は衆目を集めた。
通りすがる人々に、興味本位でちらりと覗かれては、見て見ぬふりをされていく。――彼の目論見は失敗に終わろうとしている。
――哀れみを買って食べ物にありつこうなんて、しちゃ駄目。
その一部始終を見ていたニコラが、たしなめて言った。
――そんなことを言ったって腹は減るんだ。もう我慢できないんだ。
――だめよ。これは命令。
幼い子供たちの集まりながら、孤児たちはニコラを頂点に団結して、彼女の言いつけは必ず守っていた。
――誰が助けてくれるって言うんだ。俺たちのことを。
ニコラはそれに応えるすべを知らなかった。代わりにその男児を、泥まみれになった衣服を身にまとっていることにかまわず、抱きしめた。
そうしながら、彼の不自然に肉のない体の感触を探っていた。彼がもう長くないということを、ニコラは経験から察知できた。それを口には出さないで、とにかく彼を抱く腕の力を強くすることしかできなかった。
男児は一週間後に死んだ。最後の最後には黒ずんだ衣服と同化するように、静かに息を引き取った。
代わりに、と言っては何だが、一人の子がこっそりと、道の端箱の中に捨てられているのを迎え入れた。きらきらと秀でた額が日光を跳ね返して、その少年は自らが捨てられたのだということに全く気が付いていない様子だった。そう、日の光はあまねくすべてのものに差す――
――あなたはこれから、私たちと一緒に暮らすのよ。
ニコラには、何が正しいのかわからない。例えば男児が必死になって生をつなごうとする本能を、理性でたしなめることは、本当に正しいか。むしろ放っておいて、なにも知らないまま死んでいくほうが楽なのではないか。考えを突き詰めていっても、底なしの沼のように果てがなく、気分はどん底へと陥り、後には疲労が蓄積するのみだった。
もはや、何がどういう宿命で、自分たちがこの世に生を得たのか、それすらつかめない。
少女が一人、貧しい子たちのそばを通り過ぎようとしていた。ぶかぶかで新しそうな修道服に身を包んだ少女は、さびれ、様々な悪臭の混じった街並みにまったく似つかわしくなく、町を行く人々は、誰もがそこへ迷い込んでしまったのだと思ったことだろう。憐みの目を向けられる前に早くここから立ち去ってほしい、二コラはそう願った。あまり華やかな身なりであると、眼を付けられ追いはぎなどに会う可能性が高い。
しかしそのあどけない表情には確かな覚悟があった。まさしくここに用がある様子で、付き添いのものの制止を断って二コラのもとへ寄ってきた。
――あなたが、ここの子供たちの主なのかしら」
鈴のなるような、鋭くりりしい声だった。
――そうだけれど、どうしたの?
――近年、あなたのおかげか、この地域の子供たちが悪さを働かなくなっていると聞くわ……大したものよ。
――そうなのか、初耳だが。
二コラは彼女の本心がつかめない。むしろ警戒を強めた。そこで彼女の衣服――見覚えのある衣服の紋章が、近くの高名な修道院のものと気づく。少女は服に着られている印象を与えるものの、眼光は鋭く光っていた。
――あなたの力で、もっと多くの人々を助けてみない?
いよいよ怪しい話だと、二コラは露骨に眉をしかめる。
私たちの修道院に入り、学ぶことによって、あなたのやさしさが、こんな小さな集団じゃなくて、もっと大きなところで活かされるなら素敵だと思わない?」
アマンダの提案に二コラは答えて、
――どうやって私のことを知ったか、それは聞かない。けれど私はこの子供たち一人ひとりの面倒を見ることでいっぱいいっぱいなんだ
――こうしている間にも、どんどんと仲間が死んでいくのに? それでこの子たちを、本当に守れているつもりなの?
二コラの胸に、アマンダの言葉が突き刺さった。
――あなたには、才能があると思うの。けれど、それを生かす力が足りない。――私もこの街の貧困者を助けたい気持ちのもとで勉強をしているの、だからあなたと一緒に修道生活を送りたい――
二コラはかろうじて、
――すこし待ってほしい。
そうとだけ言った。
――今日のところは、用件だけ伝えに来たつもりだからいいわ。また数日後に来る。それまでに、決めておいて。
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